何事もタイミングというものはあるようで、もう制服について厳しく言われない最終日直前にようやく写真を撮ることになりました。
瀋陽の人には大柄な人が少なくないのですが、彼女もハイヒールを履けば180センチ近くになります。
とても親しみやすい笑顔の持ち主です。

最後の夏といった感じで光の強い日でしたので建物の影に入ってもらいました。
飾りっ気のある建物ではありませんので、写真の背景としては面白みに欠けますが、それでも彼女の笑顔は人の気持ちを明るくします。

私の選択ミスで、背景は天井が低くて空間に広がりのない場所でした。
階段の緑の手すりをきれいに使おうと思ったのですが、瀋陽特有の土ぼこりが積もってしまっています。この土ぼこりは、「この地方の土質×いつでも、あちこち『工事中』」のせいで宿舎の机の上にもキーボードに上にも降り積もっています。
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- 2012/08/30(木) 01:40:22|
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成安造形のクラスを越えた有志が集まって「沈んだ街とパールの小部屋」と題してグループ展を開いている。
ここはギャラリー「Take Two」 御池通り、御幸街を上がる。
大学の4回生は「最後の夏休み」を過ごしている。
4回生では、就職活動や卒業制作という大きな山がある。大学や学部によって就活のピークは違ってくるだろうが、彼女たちにとってはこのグループ展を終えないと・・・。
たまたま在廊していたお二人にお話を聞かせていただいた。
私が訪ねたのは二日目。ここのギャラリーは大方のギャラリーが月曜は閉廊するのに、ここは少しばかりカレンダーが違う。これまでのケースから言ってもかなり融通がきくようだ。
今回は9月二日の日曜日まで。
海に沈んだ街の上を悠々と泳ぐバラクーダが巧みに図案化されたタペストリー。
怪異な雰囲気で描かれることの多いバルクーダがどことなくユーモラスに形象されている。

グループ展に参加しているのは、専門の違う8人の男女。
たまたま私と鉢合わせしたのが幸か不幸か分からないが、突然の撮影に幾分戸惑い気味だが・・。

上の絵にある文字のデザインをされたのがこの人。
深海魚は目が見えない・・目が見えない人の読む点字・・そこでパールの滴のような点字の「点」とイラストを組み合わせている。
深い海の底から波に光が揺れる海面を見上げてもらった。

もともと技術もないうえに、撮影にブランクがあるせいか、暗い室内では自信がない。
そこで入り口付近に移って、確実な一枚を。
しかし、白い服を「飛ばさない」ようにすることなどすっかり忘れている。

ここでは髪をつぶしてしまっている。せっかく若々しい笑顔のモデルなのに、画面も窮屈だ。



お二人の気持ちを解きほぐして、多少姿勢や雰囲気に変化を与えるためには私の方に余裕がなかった。
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- 2012/08/29(水) 01:16:11|
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たまたま今、ショパンの「別れの曲」が流れています。私の好きな曲の一つですが、学生の去った校舎やグラウンドというのは一種独特の感傷を呼び起こします。
おそらくはもはや二度と会うことのない若者たち。わずか5か月の交流でしたが、私にとっては得難い経験でした。

中国では日本でより、人間関係はシンプルのように感じました。夾雑物が少ないのです。
「写真撮らせて。」「はい。いいです。」
「日本に紹介するけどいい?」「はい。うれしいです。」

肖像権のことも、プライバシーの理解もあります。ですが、そうしたことについてのスタンスや感性が違います。もちろんこれには良い面と否定的な面があります。ですが、いろいろこねくり回しているうちに、人権もハラスメントも、それって本当はどういうことのためにあるのかということが混乱してしまって、何もかもがこんがらがっちゃってる日本とは違って、簡明です。

レンズの向こうに余計な幕がありません。

あす教室でスクリーンに映し出されることを知っていますが、余計な演技はありませんし、衒いはありません。私に対してもかまえるところがありません。

二人とも170センチを超える長身ですから腰を下ろしてもらっています。ハイヒールを履けば180センチです。

彼女たちの注文は「脚が細く長く・・見えるように」
すると「そして体も細く、肌は白く、きれいに・・・ 」と彼女たちの要求を代弁して周りの友人たちが囃し立てます。
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- 2012/08/28(火) 01:42:29|
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一知半解、木を見て森を見ず・・・。私の弱点です。いや時には森ばかり見て木を見ないことも。
まあそれはともかく、私が出会った人からだけで中国の全体を推し量ることは危険です。自戒しておかねばなりません。
それにしてもかつて『毛沢東語録』に傍線をひき、『矛盾論』や『実践論』をポケットに突っこんで歩いたこともあり、「ひょっとしたら毛沢東よりも劉少奇のほうが分かっているのかもしれないなあ。」などとつぶやいていた昔の若者が今この中国にいることにちょっとした感慨を抱いているのですが・・・。
(⇔)ぜひクリックしてご覧ください。

かつて満州開拓団員として入植し、その地で獣医を志した父、開拓団の女塾で裁縫を学びながら父のもとに走った母を持つ私。事と次第によっては「残留孤児」になっていたかもしれない私。
「満州」はその意味でも私にとって特別な意味を持つ。
そして日中友好を掲げるこの学校で若者たちと向き合うことになった私。ここには20世紀から21世紀にかけての東アジア史がある。私は心の底でそう思いながらこの若者たちと語り合った。

この若者たちの一生はすっかり21世紀と重なる。
この学生はだれもが認めるトップクラスの実力をもつ。それは話していて肌でも感じられる。

彼女に一冊の本を進呈した。こうした立場からの視角も大切だよと。
これは私が幾度か読んだ本だから何度も傍線が引かれているが・・。
彼女はその本を胸に抱き、「だったらなおのこと嬉しいです。しっかり勉強します。先生も〇〇大学に入ることをすすめてくださるのなら,ぜひともその大学に合格します。」ときっぱりと言ってくれました。
真一文字に唇を結び、まっすぐに眼差しを私に向けて話す彼女。
そして、

明日写真を撮りましょう、というと「では少しかっこよくしなくてはいけませんね。」とちょっとお茶目さを発揮した彼女。
制服に限られ、髪も短くカットしなければならない校則の中で「かっこよく」しましょう、という言葉がかわいい。

「でも、ちょっと恥ずかしいですね。」

大海の一滴としてであっても、彼女・彼らを通じて21世紀に、ほんの一筋つながることができたような気がした。
が、しかし、中国の学生が21世紀の課題を担いうるように成長していくためには、もっと多くの支援が必要だと思う。

卒業式(という名の授業)の時の彼女である。
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- 2012/08/26(日) 01:04:27|
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教育の醍醐味は「仕掛ける」ことだと思っています。
この若い日本人教師は、卒業式をしようと呼びかけました。「卒業証書授与」「卒業生の言葉」「来賓あいさつ」「祝電披露」「卒業の歌」、式後の楽しい集会。
学生は、最後のほんのわずかな時間を割いてエネルーギーを爆発させます。1,2日の準備ですから…これは学校の行事ではありません。・・司会進行は彼女自身がやります。

式の進行をスクリーンに映して・・。

あくまで、模擬卒業式ですから校長も副校長もいません。
式辞は責任上この場にいてくれる学年主任です。
そして「卒業証書授与」
公式には何の証明力も持ちえないただの紙切れ。しかし、この紙切れにどれほど感動があるか彼女はわかっているのでしょう。
この証書を作るための面倒な作業。それを心ひそかに楽しむことができる感性。それが教師にはぜひ必要です。
会場もおおいに盛り上がっています。
学生も証書受け取りの仕方を、授業で聞いて精一杯日本風にやろうとしています。

日本人教師のこうした活動を学校は受容してくれています。何しろ本来の夜の課業の時間のすべてを割いているのですから。

学生たちはふだんは・・修学旅行など以外では・・・決して許されることのない、私服を着てきています。大人世代よりもずっとおしゃれが板についていますし、センスもいいです。
これからお楽しみ会です。進行は学生にバトンタッチ。こういう時に学生の自発的な活躍を遠くから眺めて「目を細める」ことができる教員は素敵です。そういう時にこそ教師の喜びがあります。

「先生、一緒に写真を撮っていただいていいですか。(一緒に写ってください)」
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- 2012/08/24(金) 01:42:04|
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私の職場には日本から来ている若い二人の女性がいます。いずれも20代半ばです。
私が若いころには外国に行って学ぶことも、大学卒業直後に外国で仕事をすることなども思いもよりませんでした。昨年、たくさんの「素敵な人たち」に出会う中で、若い世代に海外へのバリアー低くしてどんどん活躍する人を見ました。そうしてそうした人たちに励まされてきたわけですが、ここにもそういう日本の若者がいます。

彼女は日本語教師です。高校3年生はあとわずかでこの学校を修了します。この学校には一斉の卒業式というものがありません。彼女は日本の卒業式を紹介しながら授業の一環として学生の手で卒業式をさせようとしています。
「答辞」作成にあたって皆の思い出を発言させています。
学生に人気のある彼女ですが、こんな表情もするのですね。いえ、決して学生を叱っているのでも、私がこっそり写真を撮っているのを咎めているのでもありません。
この卒業式の時、在校生はいません。既に在校生は夏休みですから、今学校にいるのは日本語コースのこの3年生だけです。ですから(⑤在校生の送辞)なのです。

「物おじしない」彼女の言動は、私に心地よい世代ギャップを感じさせます。
黒板に「軍事訓練」とあります。中学生の最初のころに合宿で1週間行進や集団生活の訓練を受けるんですね。なかなか辛いようです。行進の際の、腕ふりの角度やこぶしの握り方、足の上げ方など高校卒業までついて回ります。こういう行進の学校対抗の大会もありますし。まあ日本でも新入生にカッター漕ぎの訓練をして「しごいている」学校もあるし、高校野球の選手権大会の入場校行進をヒトラーユーゲント張りにするのを、堂々の行進、すがすがしい高校生の姿というくらいですから、これまたたいした違いはないかもしれません。

寮の舎監とやりあったり、授業でも教師に口答えもしているようです。
歌合戦は例年日本語と英語の歌が歌われるのだそうです。日本の「嵐」などは女子学生に大人気です。もちろん「ニノ」といえばすぐに通じます。

ここに「来賓祝辞」とあることがやがてわが身に降りかかってくるなどということをつゆ思わない私でした。
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- 2012/08/22(水) 01:33:46|
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それにしても「テーマ」欄に「女性ポートレート」はあっても単に「ポートレート」というものがないのはなぜだろう。
私は「人を撮りたい」というのです。が、その中には「若くきれいでかわいい女性を撮りたい」という気持ちがあることを隠す気は毛頭ありません。むしろぜひそうしたいと思ってモデルを鵜の目鷹の目で探しています。そういうことに対して世間はとかく余計なことを言いたがりますが、もう気にしないことにしています。「人には言うに任せよ」です。
ですが、男性を対象とするというか、人として人を撮る「ポートレート」というジャンルがないということは、いけないと思います。そういう見方をこういうブログのサイト自身がしていることが写真や絵画の文化をゆがめます。
先日「第2の周恩来」候補について書いているときにもそう思いました。
私のテーマは「素敵な人たちと」です。
テーブルを挟んで真向いから撮っているのですから、撮られるほうは気づまりでしょうね。

彼女はつい最近捻挫をしてしまったのですが、それがなければ公園の緑の中でモデルをしてもらいながら、いろいろ話しをするはずでしたが、まだ松葉づえを離せません。まあそれで食事をしながらということにもなったんです。
画像をクリックしていただけるとありがたいです。
(⇔)

彼女の意志や知性の優れていることを表現するにはどうしたらいいだろうか。
かわいくてきれいな人をかわいく、きれいに撮るのも難しいけれど、「その人」を撮るのもまた難しい。だからとても楽しい。

隣にいる友人との会話が助けてくれる。

隣にいる人には写真掲載の許諾を得ていませんから、気配だけです。

こうして撮った写真を教室で学生たちに見せます。大いに沸きます。歓声が上がります。でも残念ながらそういう時に発せられる言葉の意味が分かりません。
彼女は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていましたが、ほかの学生は、私が撮る学生の写真を期待して待ってくれるようになりました。
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- 2012/08/20(月) 01:31:49|
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昨日と同じ写真を、文章を変えて掲載しました。瀋陽での仕事も終わり、あと数日で帰国するのでいろいろ思いが募るからでしょうか。多弁になっています。 私が職場を訪れたときに、入構を門衛にとがめられないために出迎えてくれた女子学生。
在中の最後の日まで中国語のできない私の面倒を見てくれることになった二人のうちの一人。
「ちょっとお話ししましょう。」がいつの間にか「お昼を食べましょう。」ということになって彼女の友人と3人での食事。「中国には日本の喫茶店のような場所がほとんどないんです。中国人は食事をしながら、そこで(レストランで)話すんです。」ということらしい。

その話が親に伝わり、このレストランは親の紹介で、両親が送迎してくれる。それが中国のやり方らしい。大いに面食らう。親はメインの料理を注文して、いったん帰宅された。

中国の学校では、日本でいう学校のマドンナ、アイドル、「ミス、〇〇高」を「学校の花」というらしい。ほかの女子学生によれば、どうやらこの人がその『花』らしい。彼女たちの学校は瀋陽の頂点に立つ学校の一つだから、まさに才色兼備ということになる。しかも容貌外見だけではなく、実に明るくよく気が付く性格の良い学生で、スポーツを好み、初めて会った人もすぐ友達にしてしまう。ほめすぎのように聞こえるかもしれないが、決してそういう感じはしない。
ちなみに男子高生で人気のあるものを「学校の『草』」というらしい。「う~ン、『草』ではちょっとかわいそうじゃない?!」というと、『花』には『草』が合うんです。とのこと。

容姿の良さで人から愛されることはあっても、ちやほやされて何かしらいやらしさを含んでしまうという弊は少しも感じられない。
容貌の印象よりも表情の印象が残る。そこに彼女の禀質があるのだろうと思う。

彼女は「良い大学」に行くことになるだろう。だがその「よい」にからめ捕られていない青年としての志がある。

私の人生の「残額」は少ない。彼女の20年後、30年後を見られないのが残念だ。
現在の中国の現状からすれば彼女の志はまさに「大望」だろう。だがその志はアジア的課題につながる。静かでつつましやかな、しかし「大望」というにふさわしい彼女の志の行く末を見たい。そんな思いでシャッターを切る。
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- 2012/08/18(土) 00:19:37|
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4月に中国に来て以来、それまで続けていた「人を撮る」ことができずにいた。人が撮りたければ中国語を学べばいいのに、それをしないところが私の私たるゆえんだ・・と開き直るのも恥ずかしいが。

被写体となってほしいと思える人を見つけるのも難しい。
「あっ!撮れたかも・・。」と思える感触は久しぶりでした。

公園に行って撮ろうという話もあったのですが、食事を優先してお店の中です。
ですから光もポーズも出たとこ勝負。
カメラのレンズを向けながらの食事は「戸惑って緊張します。」 当然ですね。おいしく食事ができませんね。

学校帰りの服のままですし、ドライヤーもアイロンもない宿舎生活からの帰りですから、カメラを向けると「髪が・・・」とどの子も後ずさりするのですが、彼女の場合も同じです。でも無理を言ってがまんしてもらっています。

実は彼女の横にお友達がいるのですが、その子には了解をとっていませんので、すべてカットしてあります。むろん絵としてのトリミングもかねて、ですが。

ぜひクリックしてご覧ください。
モデルに、感覚を取り戻させてもらっているという感じです。
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- 2012/08/17(金) 12:00:10|
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私の記憶にこんなタイプの人物がほかにいたかどうか。記憶の底までさぐってもこの人なら良く似ているとか、あの人なら同じようなタイプだとかいう人物が思い浮かばない。
「気は優しくて力持ち」 しかも、おそらく同世代の中でも抜きんでた知性の持ち主だろう。
周囲の絶対的な信頼感。それを裏切らない包容力と誠実・謙虚さ。
女子学生は「彼はいじめやすい。」と言って笑った。
この学校のことを報道した文章の中に「第二の周恩来」を生みたいという言葉があった。あるいはそういう資質を持った青年かもしれないと、ふと思う。
- 2012/08/17(金) 00:01:23|
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私自身はいたって平凡な人生を歩んできました。他人と比べて回り道や足踏みが多かったとは言えますが、それが人生に劇的要素となったわけのものでもありません。
かつて私が知った日本の若者の中には、よくぞこうした家庭環境、生い立ちでここまで懸命にけなげに生きてきたものよと思わせる者が幾人かいました。それはそれですさまじいなあと思いましたし、安易な同情など何の役にも立たないとも感じました。
ここでも私の想像を超える生き方をしている若者に出会います。
まあそもそも小学校6年で留学コースを選んでいる時点で、私とは人生設計の意識が違いますが。

ある男子学生は安徽省に生まれ、日本に留学し、さらに両親と離れてこの東北の学校に編入し、日本の大学留学のノウハウや求められる学力の水準を把握すると、また一人安徽省に戻り、来年日本への留学を目指す。そして日本からさらに欧米に羽ばたこうとしている。安徽省からこの瀋陽までは同じ中国ではあっても外国といっていいくらい遠く離れています。親の直接的な援助はほとんど得られません。編入学や退校の手続きなど自分で一切やってしまいます。(ただ親子のきずなはとても強く、たがいに対する信頼や尊敬の気持ちは深いです)

この学校の学生の家庭の所得はおおむねかなり高い水準にあるようです。そういう意味では一人っ子でもありずいぶん大切に育てられていますし、お金もかけられていてどの子もお坊ちゃんお嬢ちゃんに見えます。が、一歩心の中にはいって見れば「大陸規模」の事情があるのです。

彼らの心の空間は時間的にも距離的にも内情の複雑さからも私などが三文小説的に想像する世界を優に上回っています。

見かけはふつうの女子高生、男子高生ですし、屈託なく笑い話す姿には日本の若者と何ら変わったところがありません。

しかし、越えていくもの、背負っているもの、志しているものが少し違うようです。
すくなくとも私の青少年期とは大分趣が違います。世代も国も違うのですから当たり前といえば当たり前ですが、何かそういってしまうとはみ出すような、掬い取れていないようなものを感じました。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/08/16(木) 01:16:13|
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中国に生活し、瀋陽で買い物をしても中国社会のことはなかなかわかりません。
ことに私のようにものぐさな人間には。

彼女たちが発する鋭い問いに答えながら、自分や現代についてもう一度反省します。・・ここであえて誤解のないように補足しておきますが、彼女は例えば日中戦争の日本の戦争責任を問うているのではありません。魚釣島の帰属について論じているのではありません。・・彼女の目線は、もっと別の遠いところに向けられているのです。

彼女のような人たちが日本を選んで留学してくれようとしていることは、日本にとってもうれしいことだと思います。ことに中国では欧米への留学のほうが増加傾向にあるという現状の中です。
狭い、頑なな、イデオロギッシュな反日・抗日の感情などに微塵もとらわれてはいません。
日本で「日の丸」「君が代」教育をどれだけ強化しようとも、容易に「排他的愛国心」を育てられないのと同じです。

彼女から反体制的なものは、歯がゆいほど何も感じられません。ただ、しかし、真剣なヒューマニズムの希求を感じます。それがあるところで日本への強い尊敬とあこがれになり、同じそれが日本に対する失望と疑念になっています。その視線は中国社会へも注がれます。
大人から見れば未熟な言説に、新鮮な魅力を感じるのは、やはりそれが青年の真剣な知性の営為から発せられるからでしょう。

この素敵なまなざしにこたえることのできる日本青年がたくさんいてほしいと願います。
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- 2012/08/15(水) 01:31:58|
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若者は社会の(歴史の)成長点(形成層)です。それはどこの国でも同じでしょう。
その社会・時代の矛盾を体現しています。その矛盾に慣れて、固定化してしまうのではなく、矛盾を矛盾のままに自らの葛藤とします。

プラトンが「イデア界」を覗き込んで幸せであったかどうか。哲学者はそのイデアの眩さに思わず常人と違った言動をとってしまうことがある。そこでプラトンは、だから(自分たち)哲人たちに同情を寄せるように人々に求めています。ポリスのアブであり、人に「掃われる」存在となったソクラテスに同情せよと。
「分かっている人」は時に孤独です。
その矛盾を内面化した葛藤と孤独が時に激しくその人自身を苛みます。感受性豊かな若者が啄木のように苦悩を負うことはいつの時代どの国でも同じです。

体制内に安住しようとする若者も、また多いことは、これも古今東西同じ現象です。大人たちは青年の角を矯めようとします。そして青年たちは家畜化していきます。
40年ほど前に深夜番組、「イレブンPM」のなかで各地の学校で中高生をヒツジ化しているさまを報道しました。私の出身県の学校もその中にありました。(現在はこうした批判的精神のある硬派の番組はほとんどありませんね。「イレブンPM」を硬派というのもなんだかおかしいですが。)

日本では青年が真綿でやんわり、しかし確実に、くくられています。中国ではくくっている縄はもう少し見えやすい。だが、その社会の中にいれば、日本人が日本は自由の国だと考えているのと同じくらい鎖は見えにくいのかもしれない。その縄や鎖は、往々人々に内面化してしまうから。

しかし、青年たちは時代を呼吸しながら敏感にそれに反応します。
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- 2012/08/13(月) 01:31:19|
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若い女性が、おしゃべりやおしゃれすることや食べることに関心があるのはどこの国でも同じです。
この学校は全寮制ですから、楽しみもいろいろ工夫します。その一つはやはり「おやつ」。日本に比べてたくさん果物を食べるようです。桃やブドウをよく見かけます。

校内の購買でもこうしたアイスキャンディーを販売しています。私も食べてみましたが、日本の製品よりも多少甘さが少ないようで、乳製品的べとつきも少ないように思いました。味が軽いですね。

この学生は長身でスリムで、指先もきれいで周囲からは「美人」だと評価されていました。
テレビを見ると女性のニュースキャスターやアナウンサーは、みな顎が細く顔は小さく、目がパッチリで、同じような傾向です。
勉強がよくできる人たちと芸能などで世に出る人たちとははっきりと住み分けているように感じられます。
東大出身の歌手とか京大でのお笑い芸人というような社会の在り方とはまだまだずいぶん違います。職業に関する貴賤感がかなり強いのではないかと思います。
そしてその尺度の大きな一つが収入です。教師などもつい最近まで評価がずいぶん低かったようです。教育(学歴)によって高収入の就職が可能になると、教師に対する評価も変わってくるのでしょうか。ただ教師を「聖職」と考えているかどうかはわかりません。教師のバイトも驚くような実態があるようです。

彼女が食べているのは食堂で買ってきた「焼きそば」です。
食器を汚さないための工夫でしょうか、袋のまま食べています。こういうところはちょっと違和感を感じますが日本でも、マクドナルドで紙袋に包んだままハンバーガーをほおばっていることを思えば、たいした違いではありませんね。

彼女たちも一生懸命に言葉を探して日本語で話してくれます。日本の歌手やアニメについてよく知っています。むろん消費税のことも。
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- 2012/08/12(日) 01:30:10|
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ロンドンオリンピックだそうです。私自身は自分でも不思議なぐらいオリンピックに興味も関心もありません。気になるのは平泳ぎの北島さんのことぐらいでしょうか。
しかし、中国の青年たちは・・当然ながら・・・オリンピックに関心を持っています。
日本のメダル数は、総数としては健闘しているようですが金の数は見劣りがするようですね。それを斟酌してかどうか、私の前であまりメダルの数を話題にしません。
ちょうど110メートルハードル予選の時です。ご存知だと思いますが、期待されていた劉翔さんが最初のハードルを越せず棄権してしまいました。
間もなく劉翔さんが走る110メートルハードルの予選レースです。

彼が北京オリンピックの直前に棄権したことやいろいろなけがを乗り越えてきていることなど情報はしっかりゲットしています。
さあもうすぐスタートです。

スタートの瞬間に集中して耳をそばだてていましたが、あまりにあっけない幕切れに、どう反応してよいか戸惑っている二人です。

沈痛な表情です。
中国選手が活躍した場面を集めたビデをを見て教室全体が湧くシーンもあります。しかし、その一方で中国選手があまり活躍しない種目もちゃんと報道、紹介してほしいという声も少なからずあります。世界のアスリートの様子を知りたいし、様々な種目への関心があります。
日本でも特定の種目ばかりが報道されます。しかも、スポーツの本質から離れた「芸能ニュース」的報道が多いです。私もとても苦々しく思ったことがあります。

少し前に、東京の某知事がオリンピック誘致に協力的でない都民を愚弄する発言をしていましたが、日本の国民の一部も中国国民がオリンピックの成果に熱狂することをとやかく言うより前に、こういう都知事のあり方を問題にしたほうが日本のためだなあと私は思います。
そして、たとえばマラソン界がどうして現在のような状況になったしまったのか、日本のスポーツ文化のあり方について、…オリンピックをお祭り騒ぎや国威発揚として騒ぐだけではなくて・・ちょっとまじめに考えてみたいと思います。

中国のスポーツ行政、なかんずく学校教育内のスポーツ文化はまだまだ未発達だと思います。
それでもそこここの職場のあちこちにバスケットゴールが設けられていますし、昼休みには、散歩や、服を着替えて蹴羽根(チェンズ)を楽しむ姿をよく見ます。
経済的な成長が、多くの国民に近代スポーツをより普及させる日も近いでしょう。トップエリートだけではない大衆的なスポーツ文化が中国にも育って欲しいと思います。そうなったときに中国の国際的なスポーツの成績はどうなるのでしょうか。
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- 2012/08/10(金) 02:26:01|
- 瀋陽
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