この学校も制服制です。
日本のコミックやアニメを見ていますから日本の女子高生の制服も知っていて「かわいい」といいます。
「でもなぜあんなにスカートを短く着るんですか?」
学年ごとに服がちがいます。制服制は所得格差が大きい中国では、一面正しい判断かもしれません。ただ学生たちの要求にあっているかというと・・?

6時にはグラウンドに集合して体操し、
7:307:40に1時間目が始まります。一こまが40分。
9時間目が終わるのが17:00. 18:00の夜の自習開始までの時間は夕食をすますと目いっぱい楽しく過ごします。自習が終わるのが21:30.長い一日です。
彼らはこれを中学1年生から6年間続けているのです。

「慣れましたから」と、さして苦痛には思っていないようですが、しかし、もう少し自由な時間がほしいというのも本音のようです。
全寮制で宿舎は寝るだけのところですから、学習用具はすべて机の周りにあります。なかには教科書や学習参考書、問題集を机の上に7,80センチも積み上げているものがいます。インターネットのアマゾンで日本から問題集などを取り寄せています。

学生の中には日本の企業家の著作を読んだりしているものもいます。ただ単に工業の発達した先進国への憧れを抱いているばかりでなく、日本の企業家の考え方や民主主義の在り方などにも深い関心を持っています。

それでも多くの学生の学習や進学の動機は「発展途上国型」と言っていいものを感じます。
我々もかつて「良い大学、よい就職」を目指して受験『地獄』を生き抜きましたが、なぜ東大を目指すの?「東大は世界的に有名な大学だから。」と、そのような答えに接するのは一再ではありません。
ここで説明している彼女などはそこから一歩も二歩も踏み出そうとしていますが・・。

丸ごと覚えてしまう学習。答えが出ればいいという学習。日本でもよくお目にかかってきた学習の在り方です。教育の在り方といっても同じですが。
しかし、若い知性はそれ以上に伸びていかねばなりません。
この「老師」は日本でと同じように「なぜ、どうして、どのように、がわかる生徒」を目指して授業をしています。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/30(月) 01:29:01|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
中国から見た日本。その若者たちから見た日本。いろいろ想像していましたが、意外なことも少なくありませんでした。しかし、彼らはよく日本のことを知っています。ある意味で日本の青年よりよく知っているといっていいかもしれません。そして日本のある種の人々が、中国の人々をわざわざ色眼鏡をかけて見て、反日だ抗日だと言って煽っていることが滑稽に見える現実があります。
無論、何もかもすべてOKというわけではなくて違和感を感じることも一再ではありません。しかし、それは異なった国で異なった歴史・文化の中に育った者同士にが100%同じ価値観や感情を持つなどということがあるはずもありません。違っていて当たり前です。
しかし、私が見たこの青年たちが曇りなく日本を見ようとしている、そのことだけは確かです。
ここは瀋陽にある中高一貫、全寮制の私立学校です。
今、数学の授業が行われています。教師は私の友人で同僚です。(部屋が暗く感じられるのは私の露出設定が悪いからです。)
授業は日本語で進められています。ここの生徒(こちらでは「学生」といっています。)は中学3年生から本格的に日本語の学習を始めています。彼らが日本語を学ぶのは日本に留学するためです。
日本に留学して経済学や法学や化学や医学を学ぶのですから、語学留学ではありません。

留学生試験を合格すれば、翌年春には各大学で日本の高校生にそん色なく日本語で講義を受けます。この教室は文系ですが、別に理系のコースがあります。今、前に立った学生が自分の答案について説明しています。無論、日本語です。

日本からの数学の教師は、日本にいるときとなんら変わらない速さと語彙で授業を進めます。学生の机上には必ず電子辞書があり、いつでもどこでも辞書を引いて日本語の意味を確かめます。
昔私たちは紙の辞書を手垢で汚して勉強しましたが、彼らの辞書を引く頻度は・・ただ文章を訳すときだけでなく、日常の会話の全ての機会ですから・・大変なものです。そして彼らはそれを厭いません。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/29(日) 10:00:16|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
故宮から少し歩くと奉天軍閥の領袖、張学良の屋敷があります。ご存じのとおり張学良の父、作霖は日本の関東軍によって支援されて勢力を伸ばした奉天軍閥の頭領でした。蒋介石の「北伐」にこうする力がないとみると関東軍高級参謀らの策謀によって、満州鉄道の奉天(瀋陽)駅付近で爆殺されてしまいます。犯行が日本軍によるものだと知った学良は、支配地域に青天白日旗を挙げさせて抗日の意思を明らかにします。

私は中国で張学良が記念されているとは思いませんでした。父の張作霖は関東軍の、半ば傀儡になって東北地域に勢力を張っていました。それが国民党蒋介石の北伐に抗しえないとなると、関東軍の高級参謀河本らによって爆殺され、日本の満州への軍事的進出の口実づくりに使われてしまいます。

張学良は父の死は関東軍の仕業だと知り満州全土に青天白日旗を掲げさせて蒋介石に合流し、抗日の意思を示しました。また共産党を敵視する蒋介石を軟禁・説得して国共合作を実現したのですから、今日中国で評価されるのもけだし当然かもしれません。認識不足でした。
ここは正門ではなくて裏門になります。
ツアー旅行者がぞろぞろと出てきました。門前には果物屋が店を出しています。

のどが乾いたらその場で桃をほおばるというのはちょっと不思議です。荷車に乗せられた果物はどれもおいしそうです。でも洗わないとねぇ。

故宮のいろいろな建物に配置されている「係り」の人は愛想も何もありませんし、何が仕事なのかもわかりません。けれど高句麗好太王碑の保存施設でも、ここ張氏の邸宅でも「観光」をしっかり意識したところでは、係員の質が違うように感じられました。まあ一言で言って美人が多いです。

そして、その場に合ったコスチュームを身にまとっています。スタッフにそれだけのものおしきせることができるのも経済的成長の故でしょう。
美人たちのプロポーションはおおむねウエストが細いですが、胸から腰に掛けて流れるような曲線を作っています。マリリンモンローなどとは違うように思います。彼女たちはおおむね170センチ半ば以上の身長ですから、それもあって服がそよぐような優しいうねりを作ってなんとも優雅です。

テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/20(金) 10:49:45|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
故宮は満州族の国「金」の都に建てられたものだそうです。
大東門(撫近門)を振り返ります。この門の下にはその日の働き口を求める労働者が、自分には何ができるかを書いたプレートを置いて職を求めています。
この門の脇には日本で言えば職業安定所(ハローワーク)があります。
私は北京の故宮を見ていませんが、そちらはずいぶん大きなものだそうです。
入場料は60元で少々お高い。軍人は優遇されていますから、別の入り口から隊列を組んで整然と入っていきます。
チケット販売所はこの写真の右手です。

前方にずっと向こうに見えるのが大西門(懷遠門)です。

ここが故宮の入口です。今日は人出も多いようです。今回私はここをパスします。
町の果物屋です。果物屋はあちこちに見かけます。
全般的に食料は豊富で安価です。買い物はリンゴならリンゴ、ブドウならブドウを店にある袋に別々に入れてははかりにかけて値段を示してもらいます。スーパーではその値段のシールを袋ごとに貼ってもらいます。レジではそれを読み取ってもらうのです。こうした店でもおおむねそうした買い方になります。私には値引き交渉はまだできません。
(⇔)

大概の中国語の教材には「(値段が)高すぎます。少しまけてください。」というダイアローグが出てきます。こうした店や市場ではそれが普通のようです。
量り売りの店では「500gにつきいくら」と表示されています。問題はその500gでリンゴだといくつになるのかがわからないという点です。
中国の人は玉ネギなどは表面の食べられない部分をその場ではいで「軽くして」秤のあるところに持っていきます。したたかです。大阪っぽいです。でも写真はそんなことで撮ったのではなくて、街の風景として「いいなあ」と思って撮ったのです。
(⇔)
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/19(木) 14:25:53|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
故宮の周辺には土産物屋がたくさんあります。無論、食事処も。
こちらに来てギャラリーなどで絵を見ることがほとんどないのでちょっと飢えています。
水墨画の「制作・展示・販売」の店をいくつか見つけました。

前の客が出て行ったので店の中に入ってみました。するといろいろ話しかけてくれるのですが・・。無論少しもわかりません。中国語がわからないと言うと、それでもいいからと椅子に掛けるようにと勧めてくれました。
そして彼の作品や海外での展示の様子、受賞した記念写真などを見せてもらいました。
イタリア人と一緒に写真を撮ったりしていました。
友禅の職人さんと同じように筆の先と根元を上手に使い分けています。
根元に赤の絵の具、先は水と白・・。

手法も絵の出来上がりも、もはやすっかり手の内にあるようで、自由自在に描いていきます。

花や竹だけではなくて鶏や弦、鷲なども羽毛の美しさだけではなく、猛禽類の獰猛さやその身のこなしなどを実に見事に表現しています。
すぐ後ろに掛かっている松に梅の、額装された絵が2000元とついています。私の給料半月分です。ただ額付の値段かどうかは確かめていません。

やはり遠慮があって及び腰な撮り方ですね。踏み込めていません。でも「謝々、再見」と言って店を出た時はちょっとうれしかったです。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/17(火) 02:15:47|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:6
何しろ町を歩くのが心もとないのです。が、一人歩きをしないと何も始まらないので、…ここの所忙しかったのですが…きょうも、よい夏日でしたので、リュックを担いで外に出ました。
地下鉄が分かりやすくて便利なのですが、今日はバスです。街中に向かって終点まで乗ります。終点までですから途中できょろきょろそわそわしなくてよいはずです。
今日の運転手は穏やかな走りです。(帰路の運転手も走りは穏やかでした。が買い物で乗り継いだバスの運転手はずっと携帯電話で話し続けていました)

地下鉄と違ってバスは街の景色を見ながら行きます。バスの客は地下鉄の乗客より少し大衆的な雰囲気です。この路線は「1元」均一です。
大東路と大什字街の交差点を北に少しいったところが終点です。
ここは始発にもなりますので客がきちんと並んで待っています。(でも、歩道を歩く人の道をふさいでいます。この列に後から割り込ンで乗る人は、「まれ」とは言えません)バスは同じ番号のバスが団子になって来たり、しばらく待たされたりとかなりいい加減です。が、本数は少なくないのでそれほどいらいらしません。
この辺の景色をよく覚えておかないと帰れなくなります。

きょうはずっと以前に案内してもらった故宮への道を復習します。自分で歩けるようにならないと・・。
一人で歩くと、やはり自分の関心の方に足はむきます。
今日は日曜日です。ですからキリスト教会では日曜礼拝をしています。教会の中から讃美歌が聞こえています。大変に上手な女性の方がリードしています。礼拝所には100人を超える人が集まっているように見えます。
ここでトイレを借りたのですが、大の方の用を足している人と、「同居」してしまいました。う~ん、自分ならあの無防備な態勢で用を足せるだろうか?!
ぐるり見学させてもらいましたが、敬虔な信者さんたちの集まりですからこれ以上の撮影は遠慮しました。

故宮への道には露店が出ています。
道路にシートを広げてその上に、女性の下着を、文字通り山積みにして売っていました。う~ん、この感性、わかりません!!

でも,どこでも露店は楽しいです。

故宮の大東門(本当の名前はそうではありません。撫近門といいます。)に近づいてきました。白人と黒人の混じった旅行者?が中国人の案内で歩いています。使われているのは中国語ですが、・・・。
黒人の女性が私に気づいて笑顔を向けて来ました。私も見るからに旅行者なのでしょうか?それとも中国人に見えた?!
- 2012/07/15(日) 17:40:06|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
西塔路はコリアンタウンです。私はコリアンタウンにはいまのところあまり興味がありませんので、そこは一瞥して西塔に向かいます。
途上こんな建物を見かけました。1927年とあるところを見ると、満州事変以前に日本によって建てられたもののようです。
私がこの文章を書いているのは実は「7月7日」です。日本の人々のどれ程がこの日にちを意識しているでしょうか。
1937年の「7月7日」は盧溝橋事件が起こり、現地では軍同士が一応の決着をつけようとしていたのに日本政府が強引に事態を拡大して一挙に日中戦争に突入させてしまいました。
日本国憲法は言います。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」と。今の日本政府は自公にしろ、民主にしろ自衛隊を海外に派遣して勇ましいところを見せなければいけないように思い込んでいるようです。彼らの見ている「国民」が極めて狭い範囲になってしまっているからでしょうね。消費税問題でも原発再開問題でも、彼らが意識している国民は、日本国憲法が想定しているものとはずいぶん違っているのだと思われてなりません。「視野狭窄症」に陥っています。剣呑です。

西塔です。
門前の駐車場を管理する人はいますが、拝観料をとるような人は見かけません。地元の人も自由に出入りしているようです。拝観料をとるための窓口のようなものがありますが、使われている形跡がありません。
では、失礼して、入らせていただきますよ~。

寺院としての名称は延寿寺のようです。皇帝の命で建てられたものですから、「護国」とあります。東大寺や京都の東寺などと役割は同じですね。

白塔も同じですが、建物が極彩色なのに対して塔が「白」いのは色彩的に面白いですね。日本では本来は塔も極彩色だったと思います。

日本の寺院では塔が本来の位置から脇においやられているのとは違って、ここでは中心的な位置にあります。日本では塔に向かって合掌する人はほとんどありません。ここにこそ仏の舎利が安置されているはずなのに。

塔の前には石造りのベットのようなものがおかれていて、そこに身を投げ出して祈ります。

「写真、撮ってもいですかぁ~」と訊ねようにもどなたもいません。撮影禁止マークもありません。
中に入って撮るのは、はばかられますので、外から失礼。
実勝寺の仏像もほぼこのようなものでした。汚れひとつチリひとつ被らないきれいなものでした。


ところで、コリアンタウンにはこのような店があります。北朝鮮政府が直営しているらしいレストランです。入口に政府が厳選したという女性が立っています。
一階が喫茶店、二階で食事ができるようです。歌や踊りのショウもあるようです。こうした店は何店かあるようですが、それにしても一国の政府がこのような店を開いて外貨を求めねばならないとは。
しばらく心がふさがりました。おぼれている国とその国民にただ石を投げつけるだけでいいのか。
私たちの国は「ABCD」包囲網を敷かれて何を感じ、どう行動したのだったか。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/09(月) 17:18:21|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
寺に入るとそこは静かな空間でした。
私はチベット仏教については無論のこと仏教についても知識がありませんので、ただ物珍しく歩くだけです。

写真やテレビジョンで見るチベットの寺の前にはたくさんのハンカチ状の布がはためいていましたが、ここに見るものと同じような物なのでしょうか。

布きれに描かれる図像には像などがあって、何となくインド風にも感じます。
仏教がもともとインドに発したのですから不思議はないといえばいえるのかもしれませんが。

鐘楼がありました。鐘の形は日本でもおなじみの形ですが、それをつるす「楼には屋根がありません。
衝木もつるされていません。どうやって鳴らすのでしょうか。
」

(⇔)

尼僧がおられましたので、ご本尊を写真にとって良いかと尋ねると、丁寧に断られました。
黄金に輝く釈迦像です。
日本では年月を経た多くの仏像は、色が剥げてくすんだ生地の色となっています。それはあたかもカラー写真とモノクロのように対照的です。
モノクロ写真がえてして精神性が高いように感じられるのと同じような効果が日本の仏像にはあります。

あえてこじつければ、中国の仏像には現世利益を、日本の仏像には心の救いを求めたくなるようなそんな違いを感じます。だからと言ってどちらがより高尚で「えらい」などという議論をするのは適切ではないように思います。

それにしても、どこで出会っても君は愛嬌があるなあ。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/08(日) 01:50:52|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
チベット仏教系の寺院だそうだ。
境内はさほど広くはない。
寺域に入る前に側面に回ってみる。
古ぼけた感じはありません。寺を囲む壁も扉も朱です。瓦屋根の縁取りが面白いですね。なかなかいいデザインだと思います。
入口右手では、日本でいえば「おみくじ」のようなことを料金をとってしています。神だとか仏だとかの直営でなくてもいいようです。
門から中には「入りにくい」雰囲気はまったくありません。拝観料は3元でした。日本での貨幣価値を想像するためには100倍して円にしてみればそれほど大きな誤差はないと思います。
簡体字で書かれていますからこれ自体は古いものではありませんね。中国でも香がたかれますが、日本のものが「線香」ならば、こちらは「棒香」「まるたん棒香」とでも言いたくなるようなものが時にありますね。
(⇔)
当たり前のことですが、人々の日常生活に溶け込んだ寺院の雰囲気です。どこやらの観光寺院とは違うようです。
この門の扁額には繁体字(旧字?)が使われています。これなら読めます。

今くぐった門を振り返るとこんな感じです。

壁画も含めて鮮やかな色使いです。「離苦得楽」 誰の願いも同じ・・というところですか。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/07(土) 01:21:01|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
瀋陽にはコリアンタウンがある。そこに向かう途中にかつての商業域「北市場」がある。
現在でも商業が盛んな地域のようです。
そこの入り口にはこんな巨大な石造りの門がありました。

門の柱の一つ一つにこうした獅子?が配置されています。
。

内側から振り返っているのですが、こうしたほうが大きさが分かりやすいでしょうか。

この門をくぐってすぐのところに実勝寺(皇寺)というチベット仏教の寺院がありますが、それを過ぎると広場があります。ここには清朝歴代の皇帝のブロンズ像が並んでいます。
先の実勝寺が、清の太宗ホンタイジの命によって建てられたもので、祖廟ともなっているからでしょう。
歴代皇帝はみな肖像を描かせていますから、その肖像画に基づいてこの像が作られたのだそうです。
そんな説明をしてくれたのが、この若い友人たちです。


玉座に腰かけて記念撮影をする人がいるのでしょう。でも今はカメラマンはお留守。そこでちょっとお借りして「はい。チャオズ」

かなりの造形力だと思いました。
若い同行者たちは、私たちが徳川歴代の将軍をあれこれ話すのと同じようにその人となりや政策を話してくれました。

皇帝玉座の造作です。

瀋陽のラストエンペラー・愛親覚羅溥儀は皇帝としての肖像画がないために、のちの満州国執政?時のものがもとになっているようです。
装束も椅子も違います。彼と彼を巡って蠢いた人々の怨念や野望、屈辱や悔恨。いろいろ思い浮かべます。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/06(金) 09:18:29|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
いつも行くスーパーマーケットの入っているビルにはほかにもいろいろなテナントが入っています。その中心的な一角には下の会から上の階まで住宅の内装や設備関係の展示場があります。一戸建ての住宅はもちろんですがマンションもワンフロアで150平方メートルなどというのが売りに出されていて、なかなかリッチな人たちがいるようです。
内装の展示の一カットです。
とにかくヨーロッパ調が大人気です。しかもロココ調、バロック調といった派手で「成金趣味」なものが多いように思います。
日本でもとにかくでかいソファーを入れたり、絨毯を敷いたり、身の丈に合わない豪華さが農山村の住宅にまで広がった時期がありました。豊かになっていくときにどの国でもたどる道なのでしょうか。

そんな展示場で、壁面に張る高級な木材のボードを展示しているブースの前でこんな青年に会いました。
(ほとんどのスタッフが展示の高級感とは不釣り合いに「普段着」です。むろんスーツにネクタイのスタッフもいますが。それにしても彼のTシャツの文字がいいでしょ?!)

彼が私を中から認めて、招き入れようとするので「日本人で、中国語が分からないから・・。」と断ると、是非にと言って椅子をすすめ、紙コップに冷水を入れて、出してくれた。
私は中国語を、彼は日本語が分からないので、仕方がないからたどたどしい英語での会話となった。
彼の英語力は私よりずっとましでス。ソニーの関連会社にいたことがあるそうで私のカメラにずいぶん興味を持っていましたが、話は「1937年についてどう思うか?」ということになりました。
いうまでもなく1937年とは盧溝橋事件以来の日中戦争のことです。
彼は大略、次のように言っていました。中国でも過去の歴史をことさら声高く言い募るものがいるし、日本は日本で、不誠実な態度をとるものだから、問題がいつまでもくすぶりつづけている。だが私たち若い世代は、未来に向けて日中の良い関係を作りたいと思っている。過去のことを軽視はしないがそれにこだわって先に進めないということは賢明ではないと。
まあまとめてしまうと『政府見解』みたいになってしまうけれども、「だからこうして日本の人と話せることはとてもうれしい。ぜひまた立ち寄ってほしい。」と。
そこで私は初めて中国語で「あなたの写真を撮らせてもらえないか?」と話しかけた。彼は英語で「喜んで・・。」と応じてくれた。私が一人で中国語で話して写真を撮った記念すべき第一号です。
写真を撮るとお互いに握手して別れた。彼は25歳の青年だった。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/04(水) 02:54:04|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
日本から持ってきていたマウスが壊れてしまいました。パッドでの作業は慣れないせいもあって、とても不便です。そこで「マウスを買いに行きたいのだが・・。」というと瀋陽での私の保護者が「じゃあ、瀋陽の『秋葉原』に連れていってあげましょう。」ということになり、瀋陽の「秋葉原」こと三好街にきました。
ソニーやらパナソニックやらアップルやらの名前があちこちに見えます。
最初は偵察もかねてソニーのショップに入りました。「初めから買う気ではだめです。」「こういう専門店は高いし値引きもしません。」だそうです。
ソニーのマウスは(光+有線)で159元でした。「高い!!」・・のかどうかわかりませんが、保護者二人は「高いです。」ときっぱり。
その保護者達です。

ここにカメラもあってα77などを見まわしていました。するとそのカメラに装着してあるレンズが、なんとキット・レンズではないのです。展示状態のカメラにツァイスのVario-Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSMです。フィルムカメラではそれなりの素晴らしい能力を発揮しても、デジタルカメラでは名前以上に価値があるのかどうかなどと言われてはいますが、それでも前から欲しかったレンズです。
「参考のために値段を聞いてくれる?」「6500元だそうです。高いですねぇ!!」
それはそうだ。私の中国での給与の1.6か月分超。もしこれが日本ならば・・・。
しかし、です。人民元と日本円との為替レートでいうと9万円弱なんです。あり得ます?!
上の保護者の写真はそのバリオ・ゾナーで撮りました。
一旦α900につけたレンズを返したのですが、心の中では、半分以上「これは買いだな!」でした。
でも、保護者は「ここで結論を出してはいけません。」でした。
マウスは様々なショップの入ったパソコン関係の総合ショップで買いました。メイドイン中国。40元を35元に値切って買ってくれました。もっと探そうもっと別を探そうといってくれるのですが、私がこれでいいよというものだから、とても残念そうでした。10元ぐらいのものがあるんだそうです。
つい先ごろノートパソコンを買ったらスピーカやら何やらをつけてくれた、それが普通だというのです。で、その…今は、使わないからということで・・スピーカーは私の机の上で鳴っています。
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/03(火) 02:42:17|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
瀋陽の町の東西南北にそれぞれ「塔」があります。
西塔に行った帰り道です。交差点で女性の警察官が交通整理をしていました。瀋陽ではトップモデルじゃないかというようなプロポーションの女性に、ときに出会います。
以前、集安に行ったときに女性交通警官がかっこよかったと報告しましたが、・・・。
背中にリュックを背負って歩きまわるのですが、少々疲れましたのです、水分補給を兼ねて交差点脇の木陰で一休みです。
(⇔)

この女性警官の指示にはいささかのあいまいさもありません。実にきびきびしていますし、動きがきれいです。

中国は本当にわずか前まで自転車の国でした。イナゴの大群のように自転車が走っていたようです。それが自動車に置き換わりました。そしてかつてと同じ感覚で自動車を走らせ警笛を鳴らします。
歩行者安全とか優先とかいう意識はみじんも感じられません。交通法規が自動車の運行のためにできています。

歩道を自動車やバイクが走っても誰もいぶかしく思いません。歩道上に駐車場があるのですから自動車が通るのは当たり前なのですが、それ以上の走り方です。
交差点では信号のいかんにかかわらず、右折OK ですから、歩行者がいてもそのままのスピードでつっきろうをとします。

街中でも日本ほどにはハイヒールの女性を見かけません。底の平らな靴が多いです。
この警官を見てください。私服に着替えてもヒールの高い靴は不要ですよね。
もっとも瀋陽の道路の状態でピンヒールなどをはこうものなら一日に5,6回は足首を捻挫すること間違いありませんが。

最近気が付いたのですが、瀋陽では外反母趾の女性が少ないのです。どれだけ統計的な有効性があるかわかりませんが、私が注意深く観察したところによると・・です。
中高生のうちからつま先の狭いサンダルやハイヒールを履いている日本女性の足が、哀れにかわいそうです。
(⇔)

姿勢がいいですね。
(⇔)

「ちょっと、ちょっと。いつまでも写真を撮っていないで、さっさそ行きなさいよ。」と言われているわけではありませんよ。
(⇔)
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2012/07/02(月) 01:38:15|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2