寺町三条を少し西にいたっところに「同時代ギャラリー」があります。
今そこでは
第七回X接点「京 - 新しい京都」 という8人の写真家たちのグループ展がされています。
会期は9月4日(日)までということです。
「新しい京都」をテーマにいわゆる京都の写真という観念にとらわれず、それぞれの視点で京都を表現しています。・・・ということだそうです。
なかなか難しいテーマ設定です。
そこにお邪魔して3人の方と楽しくお話ができました。
そこでいつものように「写真撮っていいかなあ。」ということになり・・・。

この写真はH田さんの作品。
この色を求めて何度も早朝に足を運んだそうです。しかも降雨が条件。欄干の光がその苦労に報いています。

「八分の一ぐらいなら手ぶれさせない」には衝撃でした。
このギャラリーは暗いし色かぶりはあるしで私は手こずっているのですが、彼はすぐさま露光条件を割り出していました。さすがですね。
次の写真はH村さんの作品です。
この写真にするための仕掛けについてどうぞ彼女自身に聞いてみてください。

同じ仲間のO田さんが、私と同じような?写真を撮られているのです。それは町で「あなたを撮らせて下さい。」と声をかけて様々な人の写真を撮るというものです。彼の写真について話をしていて私もここで「あなたを撮らせて下さいう」といって撮らせていただくことにしました。
上の写真の作者のH村さんです。

ここに座りましょうと言って自ら床に座ってくれました。写真家として写る側であっても出来上がりの写真のイメージがすぐに湧くのでしょう。

なかなか絵になりそうな人です。
- 2011/09/03(土) 00:02:17|
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長い夏休みを終えて「ギャラリー知」が再開しました。
再開第一弾は「鳥彦」さんの「鳥彦Exhibition 鳥人計画 ~太陽の子供達~ 」で始まりました。
彼はこれまでシャープペンシルを使ってグラデーションを描くことに努めてきたのだそうですが今回は版画の一種のメゾチントという聞きなれない技法で作品を提示しています。失われた技法ともいわれ浜口という方が復興されたことで知られます。技法の特徴などは門外漢の私が説明するととんでもないことになりますので鳥彦さんに尋ねてください。
「鳥人計画」については彼のHPをご覧ください。(⇔)

このギャラリーのスタッフのCUさんが「写真をとってらっしゃるソウジュさん・・」と間違ってはいないけれども多分に誤解を招く紹介をされるので「プロの写真家さんに撮っていただくのは初めてで・・。」と多少緊張しています。
芸術家というよりどこかの企業の人事担当者に見えませんか?
無論、彼の「プロの写真家に撮ってもらう」という初体験は今後に待つわけですが、

黒の面が広くて深いので背景でボケている写真では描かれている世界はなおのこと判明しませんが、彼自身の分身?である「鳥の子」のいわば成長期です。
本を読むのが好きという彼は、自身文章も得意としていて冊子を出版しています。
今回展示されている版画のキャプションもなかなか意味深い表現力にとんだもので版画と響き合って一つの世界を作っています。

少年期・青年期の自意識や過剰な万能感などがよく自覚されて言葉でも巧みに表現されています。
そこで大学院研究生で画家を目指す自覚的青年をちょっと崩して鳥彦さんの「少年」の部分を引き出して撮ってみました。

一番の自信作の前で撮ったのですが、この鳥彦さんの作品、ぜひ見てあげてください。
メゾチント技法の特徴である黒い面の複雑な細妙なグラデーションを描けるようになると神秘的な画面の効果が一層増して魅力的なものになるように思います。楽しみですね。
- 2011/09/02(金) 00:02:28|
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まだまだ暑さの残る京都。出町柳でこんな青年を見つけました。
厚い黒っぽい表紙のノートを広げると賀茂川と高野川に架かる橋をスケッチし始めました。
ちょうど三角州を挟んで二つの橋がかかる位置ですからちょっと絵になります。

夕方には時々ここに来てスケッチするのだそうです。
「夏のこの時期は人もたくさんいますけれど、10月ころになると人の数はずっと少なくなるんですよ。」と彼。
流れに足を浸して涼をとりながらのスケッチです。
彼の目線の方向に向こうむきに飛び石に腰をおろしている白いシャツの人物がいますね。あれは読書中の外国から来ている若者です。
彼もまた暑い京都に苦しんでいるのかもしれません。
できることなら彼の目線の先の風景をも画面に取り込んで彼のスケッチの様子を伝えるところなのですが、それをしようとすると膝まで水に入って撮影しなければなりません。(「しなければいけません。」て泣き言をいう前にやるべきでしょ?!という声は聞こえそうですが・・。)

今日はご存じのように「防災の日」です。1931年の9月1日に神奈川沖を震源とする巨大地震が起きました。この時に地震の揺れで倒壊した家屋が昼食を準備する七輪やかまどの火から燃え広がり多くの人々の生命と財産が失われました。
この震災の後東京は復興を遂げていたということになっていますが、住民の生活の復旧・復興が大切な柱になっていたかどうかについては検証が必要だと思います。阪神淡路大震災の時も経済的開発の経済的な発展の千載一遇のチャンスとしか見ないようなリーダーの姿にうんざりしましたし、その人たちのまき散らす復興の幻想にやすやすと乗っかる人々の姿がありました。震災の教訓とはなんなのかを考えたいものです。 また関東大震災では朝鮮民衆に対する市民・警察・軍による大量虐殺がありましたが、あのころの日本人の心性や政治意識と現代のそれと明確に異なっていると言えるかどうか私にはあまり自信がありません。
警察と軍による大杉栄夫妻・甥の無法な虐殺、南葛飾の労働運動家の虐殺などの権力犯罪について「反省」がされたかどうか、教訓が国民の共通の財産になっているかどうかも考えたいものです。
- 2011/09/01(木) 00:04:15|
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