
写真を撮らせてもらってややあって「あの、よく職人を取材している方ですか?」
「うん? 取材ってことでもないですが、ここでも多くの職人さにを撮らせてもらってきましたが・・・。」

「実は9年前に、この仕事について間もないころですが、ここで実演デビューの時に撮ってもらいました。」
「ええ?! そうだったんですか。ごめんなさい記憶がなくて。」
「撮ってもらった後で、先輩職人さんに『おまえ、ブログに出てるぞ。』と教えてもらいました。」
その教えてくれたという職人さんはそれより先に撮らせていただいた方で、このブログで紹介していた人だそうです。

西陣織や友禅などの職人さなっちの中では「知る人ぞ知るブログ」になっているんですね。 「エッヘン」

それでこの人の仕事歴は9年ということで、でもこの業界ではまだ若手ですね。
職人仲間で作っている若手の会(「京の伝統産業わかば会」)があるんだそうですが、その中で頑張っているそうです。

この人の「金彩」は着物の仕上がりの最終工程に出てきます。 絵柄にきらびやかな加飾する仕事ですね。
金箔や金粉を使う仕事はここではできません。エアコンの風で飛んで行ってしまうからです。
使う素材は金や銀ばかりではなくてアルミなどもあるわけですが、最近はロシアのウクライナ侵攻戦争の影響で金の価格が高騰していますから、困っているようです。
そうでなくとも仕事部屋は常に真空掃除機で箔や粉を集めて再生業者にちゃんと引き取ってもらう訳で、そうでなければ高コストになってより高価になってしまいますね。

この人は御父上がこの仕事をしてきたのでそれを継ぐ形で仕事を始めたわけですが、金彩の仕事の、先輩とも後輩ともずいぶんが年が離れているそうです。
やはり後継者は少ないそうです。
でも、着物の仕事がなくなるわけではありませんからと職人の技術継承に意欲を燃やしています。
- 2023/02/26(日) 00:00:05|
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オバマ元大統領が訪日した時に夫人のミシェル・オバマさんが来ていた洋服の図案を提供したそうです。会場の来し似たときの写真がありました。
・・・・大統領がトランプではなくてオバマでよかったですね。・・・・

表情を見ていただくと、撮影を始めて間もなく、力みや衒いのないお顔になっていることが分かってもらえると思います。
長年、友禅の世界でよい仕事を積み重ねられてきて、しかしその仕事の中でも浮き沈みを経験されてきたでしょうから、そういうことを滋養にしたよいお顔なんだろうと思います。
が、同時に深刻な大病を経験されて、ほとんど奇跡的に、お元気になられた経験、死の淵を見てきた経験から、「生」についてブレークスルーしたお顔かもしれません。
私は「大家然」とした写真を撮りたくなかったですし、それはこの方にふさわしくないと思いましたので、色々話しかけながら撮りましたが、終始、品を失わない表情でした。

実は写真をとらせてとお願いした時には洋服でした。
和服で過ごそうと思って準備されていたのですが、会場の設営をやり直したり、お客さんの対応をされるのに忙しくて着替える暇がなかったのです。
それで、せっかく撮ってもらうんなら着替えようといってくれて、実は二階に用意されていた着物に着替えてくれたというわけです。
「若いころちょっとお茶もしたので・・・。」と着物姿も堂に入っています。
私としては「おじさんシリーズ」を頭の片隅に置いていますからこの貴重な機会を無駄にしないように集中しました。

写真を並べたら、写真同士がこごもご人生を語りだすようなそういう「おじさんシリーズ」にならないかな、と。
写真にできることは、その人を見つけることだけ・・・かもしれません。
- 2023/02/24(金) 00:00:05|
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四条室町角の「ギャラリー・ちいさいおうち」で、長年にわたって友禅の意匠図案をされてきた片桐嘉正さんが、個展をされていました。
意匠図案は着物などの元になる絵柄を描く仕事で、その図案を着物の生地に下絵が描かれるなどの作業が始まります。

傘寿というわけですから60年以上もこの仕事をされてきたということになります。
片桐さんのお師匠の指導は、「絵が描けるように修行しなさい。」ということだったそうです。
えっ当たり前じゃんとお思いになるかもしれませんが、図案はもう長い間に多くの人が描いてきていますから定番の物、人気の柄などがたくさんできています。そういうパタン化した絵柄を上手にこなすという人は多いわけですが、それを越えて芸術品としても耐えられる「絵」が描けなくてはいけないという指導だったようです。

それで植物を初めてとして熱心に写生を積み重ねてこられたそうです。
こういう図案をのちに有名な画家になったような人が口に糊するために描くようなことがこの京都ではよくあったそうで、そういう逸話を時とに耳にします。

職人さんたちも過去の作品をよく研究するだけではなくて日本画や水墨画や書などを広く学び、また茶の湯や立花の素養も身に着けたりします。
ですから相当な『教養人』なのです。
そして知的に学ぶだけではなくてて技を磨くための描く修行をするわけです。
京都には植物園がありますが、名だたる画家や職人さんたちが画板やスケッチ長を並べていたりするわけです。

このギャラリーに1,2階の全部を使っての展示ですから、壁面が相当あります。
それでも所狭しと絵がかけられている様子は壮観ですが、「家を探してみたら思いのほかたくさんのものが出てきて・・・。」と職人人生の総集約ですね。
職人さんのこうした図案は手を離れて下絵として写し取るときに傷つけられてしまう時代もあったそうですから、全画業というわけではないのですね。

会場には同様の仕事を永くされた知人、友人、同業者が足を運んできますから、見る目は厳しいかも知れませんが、この方はこういう図案を描く職人さんたちを教えてきた方ですからその点は大丈夫。
傘寿の晴れ舞台です。
- 2023/02/23(木) 00:00:03|
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伝統工芸の衰退が言われて久しいのですが、だからと言って若い人たちがまるで無関心かと言うと決してそうではありません。
直接何かのジャンルに飛び込んで技術を身に着けようという人がいる一方で、若い世代の感性や新たな知識を携えて伝統工芸を盛り立てようとする人もいます。
カメラを構えるこの人もそういう人の一人です。

こうした職人の技術を紹介したり新たな世界と結びつけたり、提案をしたりすることに関心を持たれているようです。
もう足しげく通っていてすでに信頼されかわいがられているようです。

ここで実演されているのは組みひもですが、この職人さんとカメラをもった彼女との会話はまるで祖母と孫のようでもあります。
私ではこうはいきませんし、それは関心の持ち方、スタンスから言って同じようにはなりはしませんが。
カメラ女子のまなざしがとてもやさしくてしかも親しげです。

よく割りませんが、私が来る前に動画を撮っていたのでしょうか、チルト式の背面液晶画面が開いたままです。
こんな状態でファインダーをのぞくなんて、たぶん私の世代にはないことでしょうね。
まあ、背面液晶画面がない分、鼻がボディーに強く当たらなくていいのかもしれません。液晶画面も鼻の油で汚れませんしね。
そうか、案外そういう理由でわざとこうしているのかもしれませんね。私などからすれば新方式です。
レンズは下から支えながらピントリングを回すものだと、そんな風に慣れてきました。

でも今のレンズはプラスチックでできていて軽いために手ぶれしにくかったり、カメラやレンズに仕込まれた手振れ防止装置の性能が高くて、少々の手振れはものともしませんから、下から支えて、脇を閉めて、足は肩幅に開いて体を安定させて…なんてことは考えなくともよいのかもしれませんね。
オートフォーカスにすればこんな一眼レフ機でも、片手で持って撮れるかもしれません。
いや、実際私も片手で撮ることがまれにありますし、体を倒れるままにしてその刹那に撮ることもあります。
撮り方も工学的な技術に助けられてどんどん変わるのでしょう。

そんなことよりも、こうして若い人が職人さんと直に話して色々教えられながら自分の学びを生かしていこうとするのはなんといっても頼もしいものです。こういうところに期待するしかないですしね。
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- 2022/12/17(土) 22:28:38|
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ずうっと以前に撮らせていただいたことがあります。
日本画の円山応挙の流れを汲む方です。

最初撮らせていただいた時には、ただただ友禅の絵を描く人だくらいにしか思わないで、その風貌に感じるものがあって撮らせていただいたのです。
その後また別の二回りほど若い気鋭の職人さんとお話しする機会があり、「あの人は自分の師匠筋で、円山派の大御所だよ。」と伺ってびっくりしたのでした。

目が見えなければ蛇が出て来ても恐れないと言いますが、・・・こういうときに歴史的な言い回しができないことを、人権意識が高まったとだけ考えるのはどうかなと私は思うのですが・・・実に私などはそれを地で言っている訳でして・・。

ご自身を「やくざだ、やくざだ。」とおっしゃるのですが、そうした画流を継ぐ者として、未だに至らずという自覚をお持ちになるからだと感じました。
ご自身は若い時に日本画家になるつもりだったそうで、「その頃色々気負いもあって、既存の画き方に反旗を翻したのが、こういう始末かなあ。」とおっしゃっていましたが、南画に飛び込まれて、それが前後の世間の流れからは外れたということをおっしゃっているようでした。南宋の画流ですね。私は好きなんですが。

最近は油絵の世界で極めてリアルな絵を細密に描くのが流行しています。
現代画の「分からない」にくたびれた人々の反応ではないかなと私は思っているのですが、小木曽誠さんが、そういう道に入ったころはちっとも流行らず、精神的な苦悩も多かったようです。それが今や公募展でありふれた存在になっています。たまたま流れが後追いしてきたわけですが、この四条派の実力者の場合はそうはならなかったのですね。
けれど、「流行り」がいいものだとは、必ずしも言えないわけで、それがしかし、日が当たるか、経済生活にどう影響するかということに人生の色がつくわけですね。

自分が探求して、研究して、ようやくつかみながら実践していることが、気が付くと回りで「流行っている」ということもあるわけです。
そうすると「流行」に乗っているかのように揶揄されることもあるわけですが、自身の研究、試行錯誤の果てに確信をもってやっている人と「トレンド、日和」に乗って上手くやろうという人とでは自ずから、その理解の深浅が違う訳ですよね。
まあ、今はそのトレンドをかぎ分けて一時的に流れや風に乗って「うまくやり、美味しく」やればOK、流れが変わればまた帆の向きを変えればいいという御仁が多すぎますね。
お客さんが来て、私がその場を離れて、旧知の金彩の職人さんの方に回ってお話をして入ると、遠くから手招きをしてくれました。
「いいものを見せるからおいで・・。」と。
ちょっと他の人には見せられんから・・・と随分厳重に包装した絵を広げてくれました。
「おや、なんと、そういう訳ですか?! ふ~ん、こうれで結構稼ぎましたね(笑い)」
江戸期の画家たちもまた、表で流通するものよりはこちらの方に力を込めたとも言います。
旧知の職人さん・女性が「な~に、私にも見せて。」と近づいて来られましたが、「あ、いや、これはね・・・ははは」とまた華麗な包装をもとに戻してしまいました。
随分と奥座敷や蔵の奥の話をしていただきました。
- 2022/11/05(土) 00:00:02|
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