陶磁器といえば茶碗や花器を作るというイメージですが・・・。
もちろんそうでないものもたくさん陶磁器として生産されています。

この方は例えばお土産になるようなものを作られています。
今こうして作られているものは紐の先にぶら下がる「カバ」です。

なんだそんな玩具か、飾りかというなかれ、そこがやはり手作りの職人技が作り出すものは一味も二味も違います。
安いものは型に粘土を押し込んで成形して着色して焼きます。それで沢山同じものができます。
そのような同じものを手作業で作るのですが、その肌の風合いや曲面の滑らかさ感じ、さらにカバの表情などなど、うんなるほどという手指の技があるのです。

隣に十二支が並んでいます。愛嬌たっぷりのミニ龍たちが並んでいるのですが、その造形にこの方の工房ならではの表現があります。
工房のお名前は「暁陶房」 宇治にあるんだそうです。
小さなお地蔵さんがあるんですが、よく似ています。 誰にですって? 勿論この方にです。
これまた愛嬌たっぷりで見ていると顔がほころびます。

カバは二重瞼だったってご存知でしたか?
勿論こちらの工房の表現なんですが、それがとてもいいんです。
黒目を囲う瞼を作っています。

考えてみれば世の中のお店に並べられているものは何にしても生産者がいるんですね。
当たり前の事なんですが時に忘れがちです。人がものを作り出さない限り人に有用な材は生まれないんですからね。
(もっとも、経済学的に言えば自然財といって人の労働に依らないで無償で入手できるものは確かにありますけれど。例えば光や空気など。)
作られたものの背景に、人の営為をイメージしたいものです。
- 2016/04/04(月) 00:00:21|
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清水焼の絵付けをされています。
多くの職人さんは、普段はご本にお一人で工房にこもっておられたり、せいぜいご家族が並んで製作にいそしんでおられる場合が多いのです。
そこが機械制大工業と違うところで「朝の用を済ませて自分の場所に座ると昼まで誰とも一言も口を利かない。ラジオが話し相手。」みたいな場合が少なく無いようなのです。
(ちなみに機械制大工業が生まれて協業の中に組み込まれる多数の労働者が現れると、新たな人格が誕生するわけですね。つまり多数と眼前で協業するわけですから、常に他者との話し合いや意思の疎通を必要とするところから生まれる人格です。工場内の分業と協業は、工場外の分業と協業についても結びついて、人類の社会性を、それまでの歴史的段階では得られない高い段階に引き上げます。そうすることで、人類を「国民国家」を形成し、やがては地球規模で連帯することを可能とする存在に自己形成することが可能になるわけですね。ただしそれあくまで可能性で、それを現実的に達成するのが早いか、「利己心」に媒介された「(地球的規模の)社会性」[・・ですから、繋がっているからこそ対立するという疎外された社会性]の段階で自ら滅んでしまうかというのが現在の世界の状状況ですね。)

神祇衣装のように通常一般の消費者を相手にするのではない方々は別にして、
こういう器などを作っておられる方にとっては、果たして自分の作ったものがお客さんにどのように評価してもらえているのか、知りたいけど分からないというのは、ちょっと隔靴掻痒の感があると思います。
直接の小売りをしないで問屋などを通す場合が多いですからね。

農業の世界でも『生産者の顔が見える』というコンセプトが広がっていますが、それは生産者・消費者の両方からの「人間らしい経済関係」を望む気持ちの表れだと思います。
大工業でだって開発者を露出したり、工場で働く人たちをミニコミに出したりして消費者とつなげることが増えてきていますが、なおその間にある壁が取り除かれて、生産と(流通と)消費が人間的なつながりを回復すれば、社会は大きく変わると思います。
という様な話は少々大きすぎますが・・・・・。

互いの仕事を互いが理解しあい、敬意を抱きあうという事は、現代社会でとても必要なことだと思います。
震災などで「失われてみて」初めて気づくことがありますが、「復興」でそれを忘れてしまわねばいいなあと思います。
そして何がそういう見晴らしの良いつながりを阻んでいるのか、もう少し意識的に気づくことも大切だなあと。

器の内側にも絵を描いていくのですが、筆の扱いが難しそうです。
それでも龍のうろこの一枚一枚が「べたっと塗られ」ているのではなくて微妙に描き分けられ、桜の花びらも、一枚一枚の花弁の中に色の濃淡が描き分けられています。

こうした絵柄は先人たちの手になる過去の様々な作品を見て、改めて描き起こして下絵にします。
下絵に鉛筆などでなぞってそれを転写することもあるそうですが、今日は目で見て描き写しています。
いわゆる芸術作品のような一点ものではないですから、逆にセットとして精度高く「同じものを作る」力が求められます。
繰り返せば習熟しますが勢いが失われがちでしょう。そういう矛盾を克服しても行きます。そこが腕の良い職人ですね。

私たちは店頭で出来上がった製品を見ています。
この製品がどのような人によってどのような技術で・工夫で出来上がったものかを知りません。
それは、大工業製品だって同じです。
TVなどで、なぜこのことを人々に伝えないのでしょうか。

人は人生の活動的な時期の大半を「仕事・労働」に費やします。それは人生そのものと言ってもよいものです。
しかし、その姿をお互いに認め合えるような情報は発信されていません。
食べたり、飲んだり、遊んだり、人の隠したい情報にばかり群がっています。
こういう社会は真に人間的と言っていいんでしょうか。
- 2016/04/03(日) 00:00:26|
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花器に絵付けをされている。
前作のコピーを横に置いているのは、この工房の売れ筋の定番商品だからです。
と言っても、一つ一つ手捻りで造形して、こうして手描きしている製品ですから、そう安価なものではありません。

型に入れて成型するのならばどれも同じ大きさ、形をしていますから、そこに彩色するにしてもまたく同じようにできるわけでしょうが「やはり焼きあがってきたものが微妙に形も違ってくるから花の形や込み具合も少しずつ工夫して」描きこむのだそうです。
陶芸作家と陶芸職人とは目的とするところが違います。自ずと技にも違いがあるように思います。
(写真作家と写真職人もまたそういう相違があるのでしょう。それぞれの役割、社会的存在意義がありますね。)

陶器も型で絵付けをしたりプリントさえできる時代ですから安価な大量生産品に押し流されないためにはご苦労があると思います。
何分ちょっと見た目には手書き風にわざと乱したり崩したりしてプリントする時代です。匠たちの仕事を写真で取り込んでしまうこともできます。
職人の仕事は問屋に納められてしまえば著作権を主張することは難しいのです。
そもそもその職人もまた過去のパタンや絵柄を踏襲しているのですから。(この「踏襲」というところが微妙な意味合いを持つのですけど)

それにしてもこの会場も職人さんには優しくない会場ですね。
照明一つとってもとても職人さんのためのものでないことが明らかです。
常設ではないので・・・・臨時的、一時的なので・・・・金はかけられないという事でしょうか。
人を招いているのだという敬意を持った心配りがiいくらか不足しているように感じられます。

職人さんたちも、昔の偏屈な職人気質を脱っしてきている世代になっています。ですから、この業界のこと、仕事の事、高い技についてもっともっと知って欲しいという意欲があるわけですから、その気持ちを大切に汲み取ってあげてほしいなあと思います。

働きなれた普段の工房とは大きく異なった環境で物を作るという事は楽なことではないと思います。
『いつもは誰とも話さないでラジオだけが友達みたいな生活だからたまにはこうしてたくさんお人と交流できると嬉しい。」と言ってくださる方たちがいて・・・・不躾にカメラを向ける私としては・・・・ちょっと、ホッとするわけです。

この花器の素焼きがどういう風に焼かれて手元に来るかと言う様な話をしてくれています。
- 2016/03/27(日) 00:00:25|
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煎茶用の茶器なんだそうです。
ゴム様のもので素焼きの器に「マスキング」をしています。
かなり繊細なラインを要求されているのだという事で、いったん筆で描いた上をさらに丁寧になぞってラインの修正をされています。

絵の具とは違った粘着性を持っていますから、「描きやすいとはいえませんねぇ。」
これは白く抜く部分ですから、のちにゴム様のコーティング剤をはがします。
友禅で糊を置くのと同じですね。
- 2015/10/28(水) 00:00:34|
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後ろにお父さんが居られます。
この方自身も独立して工房をもっているようですが、親子続いて作陶をされています。
窯は滋賀県の北小松にあるんだそうです。
「来ていただいて撮ってもらってもいいですよ。」とおっしゃっていただけました。

職人さんが普段の仕事をしている工房で撮るのは私の次の夢ですから、今年はなんとかそのステップに上がりたいと思っています。

工房という場がその方を物語ってくれますからね。
これまで人物のクローズアップが多かったですが、そうなると少しワイドに撮ることも学ばねばなりません。
この同じ会場でろうけつ染めなどをされる方が「職人さんのマップ作り」を構想しているので、工房にいって写真を撮らないかとお誘いを受けました。
いいアイディアですね。
私のすることが役に立てばいいのですが。

内側の作業を外側から感じているのですね。

もうそろそろ仕上げです。

この瞬間を撮り損なっているようでは、職人マップ作りへの参加は難しいようです。
テーマ:ある日の写真 - ジャンル:写真
- 2014/04/06(日) 00:00:59|
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