友人知人が極端に少ない私です。そんな私にとって貴重な10年来の知人のお一人です。
しかもお会いすればほぼ確実に写真を撮ります。
「写真を撮らせてもらっていいですか?」から始まったお付き合いですから。

私の第一回と第二回の個展のDMに収まってもくれました。
撮るのは何時も、こうしているときですから、何百枚も撮った写真は特に代り映えしません。
ただこの人と私のそれぞれの時間が流れてきただけです。

この時「つい最近○○才になりましたよ。」と言われて、ちょっと驚きました。
この日は「先日ここに訊ねてきたときに写真を撮らなかったから。新しいレンズを買ったのに…正しい意味において・・・適当な被写体が他にいないから、それにこの付近でちょっとしたことがあってそれを周囲からでも見たかったから。」などと口実を設けて撮りに行きました。

マスクを外してもらえない環境なのが残念です。
この人は七宝の職人さんですが、先日、注文を受けて製作したという素晴らしい製品を見せてもらって、腕を上げたなあと大いに感心したところでした。
右目にピントがいくともっと良かったのですが、いい感じの写真になりました。
こういう雰囲気をまとった写真が撮れるのもこの人が年齢を重ねてくれたからでしょうね。そしてその時にまだ撮れているという事。

「男はつらいよ」が50作を作った、その50作目というのは・・簡単に使いたくはない言葉ですが…ある意味で、奇跡的な作品ですよね。
あそこまでは行きませんが、10年目の収穫という事です。
いろいろなポートレート写真がありえますが、こういう意味合いのものも得難いなあと思います。
- 2022/08/11(木) 00:00:04|
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ギャラリーのHPにはこんな文章がありました。
「京都を軸として関西には美術・工芸を学ぶ大学が集まり、毎年優秀な卒業生が数多く巣立って行きます。しかしながら、卒業を(ママ)同時に作品制作の機会も、発表の場も、ともに切磋琢磨した仲間も、極端に減ってしまいます。せっかく育った優秀な才能を少しでも発揮できる場が提供できないものか、との想いを込めて企画しました。」
今回はこの企画の第一回と同じ「染織」です。

芸術系大学を卒業しても、画いたり作ったりを継続できにくい現状。
無論、定年後にもう一度学び直したりして大きな公募展に挑戦されている人もいます。
が、芸術を深めることは生涯の課題として取り組むに足ることでしょうから、有為の青年たちが筆や鑿を置いてしまうことは残念なことです。
日本の文化の脆弱さを示す景色ですね。
この人はとある大学でアシスタントをしながら作家活動を継続しているそうです。
一般によほど恵まれた人でないと、大学を出たとたんに制作の環境が失われてしまいます。工房が持てないのですね。
作陶家は窯を持たねばならないし、土を保存し、焼く前の作品を乾燥させる場所もなければなりませんが・・・。
染織の人も広いスペースやにおいの漏れを心配しなくてよい制作環境が必要です。

富裕層や企業は新自由主義に浸りきって文化的な支出をけちるし、大衆は貧困にあえいで芸術作品を購入できないし。

心豊かな人生の集合が日本国でありたいものだ。
そのためにはこうした若い作家の活躍を支える必要がある。
- 2022/05/22(日) 00:00:01|
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この日は「春」のような一日。晴れて暖かく風も穏やかで。
1月2月の手作り市は寒いもの。出展者の皆さん覚悟しているんですが、暖かいと体が楽でいいです。
笑顔にもなります。

手作り市に出てこられるモノづくりの人の中には、「採算度外視」的な人がまま見られます。
関節が動く木製ロボットを作っておられる方もそうですが、この寄木の方もどちらかというとそういう傾向がありそうです。
材料費はともかく「労賃」にあたる部分はちゃんと相応に計算に入っているのかなとちょっと心配。

「作るのは大変でしょと言われるんですが、その大変なところが面白くて、やってて楽しいところなんですね。」
どういう道でも、そういう事なんだろうと思います。 簡単にできたら打ち込む面白味がないし達成した喜びも薄いわけで・・・。
楽器の演奏、絵を描いたり彫刻をしたりするのも同じでしょう。

作られたものを前に話が弾むのは、その政策の工程に工夫や忍耐強い仕込みがあるからでしょう。
材料一つ取ったってこれはというものを手に入れるには苦労話の二つや、三つはあるものです。

私だって、実は愛機のα900で撮ればこういう色にはならないんですけどと・・・いやそれは話が違うか。
よその工房で廃材になっても、見方を変えて「こうなるかな、ああなるかな」と生かせば色々に生きてくるもののようです。
数珠の玉をくりぬいた後の木を、捨てられるはずのものを、「これは・・・・」と初めから計画したようなものに仕上げています。
そういうところもこうしたモノづくりの醍醐味ですね。

この方は写真も撮っておられるそうで猫の写真がファイルに入れられた置かれていました。
これは猫好きはたまらんでしょうという写真ばかりです。
猫の写真でも、遊ぶ、楽しむ精神が溢れています。 この寄せ木の作品にもそれが横溢しているように思いました。

お話を伺っているときに、この人の笑顔を見て、私の脳はり何度シャッターを切ったことでしょう。
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- 2022/02/16(水) 00:00:05|
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意外にも竹を編んでいくのにかなり手指の力が必要なようです。
私の持っていた職人さんおイメージを壊してくれた七宝の若い女性職人さんがいます。彫金もされるのですが、糸鋸を引くときなど手の甲には筋が立ちます。小柄のその人の手指は一見か細いのですが、確かな力を持つ指なのです。
この方の人差し指の付け根の関節などの太さや筋肉の盛り上がりは素晴らしいものです。

こうして竹の素材に触れ続けているのですから、肌も荒れるだろうなと思うと、それがまた意外にもと言ったら失礼なのですが、きれいなのです。
それでも作業が続くと荒れるし、 籤の面取りをするまでは籤のエッジで切ったり、「とげ(削げ)」をさしたりすることが何度もあるんだそうです。

竹細工はこうして汲む作業の前の、素材作りに手間暇がかかります。し上げるものを意識して素材作りをするわけです。
工業製品ではない自然の竹素材ですから微妙な条件の違いがありますし、、竹の産地などでも肉の厚さや撓りやすさ≒折れやすさなども違う訳です。

職人さんの表情は手指や姿勢にも勿論出るわけですが、やはり目や口元にも出ます。
マスクをされているとそこがやはり捉えにくいのです。
当分マスクは外していただけない、そこが辛いですねぇ。

D850の白黒写真ですが、ソニーとはずいぶん違いますね。 年代の違いもあるのでしょうか。
やはり会社の違いでしょうねぇ。 フジとも随分違います。 キヤノンとも違います。
着物の柄の出方には可能性を感じますが、どうも扱いが難しそうな気がします。

ニコンはキヤノンと並ぶ二大メーカを張ってきたかなり普及したメーカーなんですが、カラーも白黒も何か独特な感じですね。
現時点では「困ったなあ。」です。
二大メーカーだと言ってもデジタルの歴史はそれぞれ大して長くはないのだし、ソニーなどの映像機器メーカの方が先行者ですしね。 筐体は作ってきたし、レンズも作ってきたけれど、画像づくりは間接的にしかしてこなかったわけで、あまりアドバンテージがあったわけでもないし。
ソニーやフジの方がしっくりきますね。果たして、私に使いこなせるでしょうか。
さすが〔高級機」ですから微調整をする機能がいろいろあります。
何とか研究してみたいと思います。
そのためには一杯、撮らせていただかないといけません。 何しろ私は「人を撮る」のですから。

早く、いわゆる「モデル撮り」もしたいものです。
それはいつ実現しますか。 心許ない限りです。
今回はこれが良かったでしょうか。
- 2022/01/18(火) 00:00:02|
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大変申し訳ない話なのですが、カメラ・テスト+継続的な修練を兼ねています。
そして、何より仏師・高橋さんの写真と並べて展示できる写真を撮りたいということが本音です。
今年の京都ファインダー倶楽部の写真展に出したい写真です。
ご協力をいただきました。
うれしいですねぇ。
こういう場所でいい写真が撮れるかどうか難し所ですが。

じゃあ、どうして撮るんだと言われると、「それはね。」と多少動揺しながら言い訳をしなくてはいけません。
「それはね。いい写真は偶然にしか撮れないから。」というしかないのです。
その偶然は単線の時間軸の上で、別の条件と突然ばったりと遭遇して・・・というだけの「偶然」じゃなくて多元多次方程式の解を求めるようなものです。その「多」がどれくらい数えられるかというところは究明しなくてはいけませんね。

「偶然」なんだからカメラを三脚に据え付けて機械仕掛けでシャッターボタンを押し続ければいいかというと・・・・いいのかもしれませんが・・・・そう言う訳ではないのではないのかもしれないというところが、頼みの綱です。

で、こうして撮らせていただくときには、一応、自分としては、主観としては、「何か意識して」撮ろうと思う訳です。
それがなかなか大したことではないので結局、何ら変わらないのです。それでも「偶然」の「棒」に出くわすかもしれないのです。
無論、棒は被写体になってくださる方の事ではなくて、「いい写真」の事なんですが。

こういう事ですから「作家だ」「プロだ」というレベルからは相当遠いところにいるんだなあと思います、私は。

こういう職人の指を持つ人を撮り続けたいですね。
- 2022/01/17(月) 00:00:04|
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