やあ、お久しぶり・・・。

この人ご自身の置かれた環境が大きく変わったので、最近はちょっと写真も撮らせてもらう機会も、ゆっくりとお話しする時間もなかったのです。

それで大学内で開かれている制作展に作品を出すということだったので、自分のかかわった写真展の開場時間より早い開場でしたから、急いで見に行きました。
夏のキャンパスはいいですね。

お付き合いが長いのでプライベート写真のような感じですが、そういう風に撮れるということも貴重なことだと思うので、この人と会う時は当たり前のようにカメラを取り出して撮り始めます。

どうも色かぶりがひどくてフォワイトバランスに苦しんでいます。
なまじEVFであることで惑わされているのです。
自分で設定を決めればいいのにファンダーを覗いてそこにできている象に影響されて設定を動かしてしまうのです。いっそのことオートでフォワイトバランスする方がよいかもしれません。

私の写真展の開場までに戻らねばならない都合から早い時間帯の入場でしたので他にお客さんがいませんでした。
それをよいことに撮らせてもらっていますが、むろん主目的はこの人の作品を見ることです。
染色科で学んでいます。

制作にはなかなかてこずる面があったようで、(私に)「メールを送る」精神状態になかなかならなかたようですが、何とか期日に間に合ったようです。
若い人のこうした頑張りにふれていると気持ちが爽やかになります。
- 2018/07/29(日) 00:00:07|
- 染色
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今回の写真は、ほとんどのカットで大きくトリミングをしています。
私は従来、ファインダーでフレーミングをしたら、後でトリミングをしないということをガチガチではない原則としてきました。
まずはフレーミングに注意を払うということを意識してきました。

そのために「視野率100%」のファインダーに価値を置いてきたわけです。
けれどもそのことに絶対的な価値があるわけではないことは分かっているつもりで、たま~にトリミングをしてきました。
しかし、考えればカメラに設定されている画像の縦横比などというものを無条件に受け入れなくてはいけないなどという理由は全くないわけで、プリント用紙も工業規格でカットされているわけでし、その規格に自分のイメージを従属させる必要も必然性も全くないわけですね。

京都ファインダー倶楽部の写真展の時に書家の上田氏が書の用紙を使って表現していました。
通常使われている印画紙のサイズとは全然同じではないのです。
形式は内容に即さなくてはいけないのですから、様々な縦横比或は形状があって、当然ですね。
こういうことに無頓着ではいけないのだと思って、画面を見ていて結果的にことごとくトリミングすることになりました。

私の写真に対する数少ない褒め言葉のうちに「構図がいい」というのがあります。
写真の方からも絵の方からもそう言っていただくことが一再ではありません。
もし本当にその褒め言葉が当たっているのならば既成の縦横比や四角形であることにとらわれずに構図してみることも楽しいかな、やってみる価値があるかなと・・。

彫刻や陶芸作品などはそもそもフレームがないものがほとんどなんですから。

すでにいろいろなことが試みられていますが、写真展のつまらなさを克服するためにも挑戦してみて良い課題だとは思っています。
- 2017/10/07(土) 00:00:27|
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工場の二階ではストールの染色をしていましたが、下の階では服の布地の染色をされています。
この姿勢を一日に何百回と繰り返すのです。 う~~ん。
手先を見ると体重を支えているようには見えません。そうだとすれば腰が、大腿部の後ろが、背筋が・・・・。

次から次へと場所を移して同じ作業をするのですが、その動きが早いのでついていくのが大変です。
画面の中で絵を決めて、自分がついて動いてフォーカスを決める。 と、もうその時はには体の間近に引き寄せられています。
さっと横に移動しますが、私もついていかねばなりません。
すると今度は向こうからこちらに来る作業。私は後退します。ファインダーを覗いたままの後退ですが、足元には染料の入った容器が何列にもなて並んでいます。狭い通路で躓いたら大変なことになります。
振り返って周囲の安全を確認し、自分の姿勢を決め、職人さんの位置とポーズの予想をして、置きピンをして・・・・・。
醍醐味といえば醍醐味なんですが・・・・撮れているんだろうかと不安がよぎります。

もしフィルムなら・・・・・と思うとぞっとします。

ご覧のように作業している方たちは半そでです。
真夏はどんなでしょう。 そのころまたぜひ撮りに来たいものです。
表情まで撮れるようになるためには幾度も通わせていただかないといけないようです。
働く人の尊さを撮りたい。
人は「人材」じゃない、そういう写真を撮りたい。
それも私の目標の一つです。

絵を見ても写真を見ても「労働」がまれにしかありません。
ずいぶん減ってきているようにも見えます。
人の生活の主要な部分は労働で成り立っています。何に労働に対する感慨が人の中心を占めていないことに芸術界はいぶかしく感じないのでしょうか。
「労働疎外」という言葉を耳にすることもなくなって久しいように思います。その言葉が消えていくのは疎外の実態がなくなっているからではなく、労働疎外を告発する哲学・力が日本社会に衰弱しているからだと私は思っています。
そしてそのことはとりもなおさず人々が労働の中で非人間的な呼吸をさせられ逼塞させられているということだと思っています。
私はこの工場(工房)で、それとは違う姿を見たように思いました。
- 2015/04/19(日) 00:02:04|
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染色された部分の間に白地の部分が交互にありますが、そこには別の柄が入ります。
今、色が施された部分二つとそれに挟まれた部分とで一枚のストールの長さになります。
幅は、この長く続いた布の幅の半分です。
京友禅の「手捺染」という手法ですから「色に深みがあ」るのだそうです。

この工場は京都市の北区にある岩倉という地域にありますが、「岩倉の住宅地ってこんなに北まで続いていたの?」と思うほど奥まったはずれにありました。
染色工場ですから郊外に立地せざるを得ないのでしょう。
社長さん曰く
「ストールは私の趣味なんです。本業は布地のプリントなんです。」とのことです。
他業者からの注文ではデザインも色指定も「注文」になるけれど、ストールはご自身が気に入って依頼した作家さんの原画にもつづいて制作するということで制作も販売も熱が入るということかなと推察しました。
それで「写真を撮ってみてくれないか。」というお話になったのでしょう。まさに自社ブランドですから、やりがいがありますよね。

私はこの話をしていただいた時に
私がしているアクセサリーやフラワーデザイナーの方を思い浮かべました。
そして、もう一つはこのストールがぴったりあって映えるだろう方をフォト・マヌカンとして思い浮かべたのです。
そういう人たちと社長さんの自慢のストールとのコラボは実現できないかと。
むろん撮影は、不肖このわたくし目ということで。

「そうすればお互い生かしあえますよね。」と賛同をいただきました。
そして、もう一つ、この「染めの さきら」さんのHPを見ると
「社名の「さきら」とは、京ことばで将来(未来)を意味します。
高齢化が進む京都の友禅業界(型による手捺染)で、
熟練した職人の知恵と技術を20年後、30年後へ引き継いでいける若い人材を育てながら、
京都の伝統工芸、京友禅、手捺染業界の未来に貢献し、共に進化していきたいと考えております。」とあります。
これを応援したいなという気持ちがわきます。

さらに
「 学生の街である京都では、芸術やファッションを志す学生がたくさんいます。
しかし残念ながら、多くの学生が学んだ力を表現できる場が限られているのが現実です。
さきらの庭では、京都に集う若き才能ある皆さんと一緒に、
一枚の布に自由で新しい感性を表現できるアートな庭を造っていこうと思います。
私たち、さきらの仲間と共に種を蒔いてみませんか? 」とあります。
私のブログの精神とも通います。
すぐに知らせたい若い作家もいます。

求める人と求めれたい人が往々出会わないまま時を過ごしてしまいます。
それを結び付けられるとしたら…という思いも今回の「私でよければ。」という話の裏にはあるのです。

写真は何をどうとるべきなのか。自分は何を撮りたいのかなどという問いとともに
写真に何ができるか。 これも私にとって大切な問いなのです。
写真を撮ることを通じて求め合える人たちを結ぶということができれば、これもまた愉快だなあと・・・。

私の写真にそういう小さな力があればいいなあ。
下の写真は染料の色の調合をしているところです。
- 2015/04/18(土) 00:04:53|
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