人生、あと10年。
楽しくて意味のあることをしたいね。 この方の言葉です。
私に残された人生も、多分いいところそれくらいでしょう。

「僕は2000人の人を撮ろうとして活動してるんですが、その一人になってくれませんか?」
「いいよ。」

つい最近NHKの番組で、京都の地元の人が教える良い場所の紹介番組で、この人、取材されたんですって。
もう一人、出町柳の河原で、「超」バランスで意思を組み立てている方。その人は依然このブログにも登場してくれた人です。
最近別の人も始めていますが、選ぶ石の大きさが違うんです。この違い、面白いですね。

テレビでの放送と言えば、私も、例の「文人・光画」展を地元のKBSが伝えてくれたんですが、その「尺」のしっぽのところで2,3秒写してくれました。足りない「尺」を埋めただけの事ですが。
この人も、あまり自慢げではないし、だからどう手tことない感じで話していました。
まあ、私の方の映像で言えば、記者やカメラマンが作品の良し悪しで、取材対象を選んでいるとはとても思えないセレクトでしたね。
そんなものです。彼らの取材力というのは。
だってすでに8回もやっている私の個展を取材に来ないんですから(笑い)

先ほど通りかかった女性3人組は、ここに来るまでは何だかもう一つ浮かない感じでしたが、3人とも無事着水させて「グッド!みごと!これからの人生はどんどん良い方に開かれるね!」と言われてすかっかり気持ちを明るくしたようです。
占いの心理的効用の一つです。
私の哲学から言えば、「ここから壺まであと三歩」ですが、そこは塩梅、塩加減、。
毒の力がなければ薬の作用もないとも言えますからね。・・・だと言って、公共放送のテレビで「今日の占い」とか「あなたのラッキーカラーは。」だとか言って放送するのは、日本の知性をますます弱くするからやめるべきですね。壺の温床になる。

「まあ、お掛けなさい。冷たいのを一杯、どうです。ゆっくり話していきませんか。」
と、いう訳じゃないんです。
こういう人の作った職場は楽しいでしょうね。
- 2022/09/02(金) 00:00:03|
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リタイアして、京都のガイドになりたかったんだそうです。
でもガイドになるには「京都検定試験に合格」しないといけないんだそうです。詳しくは知りませんが。
・・・・観光に来た人がトラブルに巻き込まれてはいけないからそういうガイドの資格というものも作られているのでしょうが、「私は無資格です。無料でご案内します。当たり前の観光じゃ物足りなくありませんか?」などという看板を首からぶら下げて、無料案内するのは「白タク」みたいに取り締まられるんでしょうかね。

この方も、私同様、生まれは京都ではありません。

それにしても車で30分ほどもかけて、ここにきて人を喜ばせているんですね。
有料駐車場に停めたんでは・・・京都は高いですから・・・・とてもじゃないけど、できません。
駐車場が、このご近所さんのご厚意で・・・。

明るい方です。私にこれくらいの社交性があれば、今頃4000人や5000人は撮っていたかもしれません。
私の性格では蝸牛の歩です。
まあ、しかし、それもまた良しとしなくてはなりませんね。 人生、色々です。
それにしても、ニコンの色に慣らされていくのは、どうも…。

法師蝉鳴くし、草叢にはリーリーと羽を擦る音がするし・・・・。
青紅葉の穴場を教えてもらいましたが。その紅葉の葉の先端がすでに色づき始めていました。
金閣寺辺りでも色づき始めていますね。
- 2022/09/01(木) 00:00:05|
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8月上旬。京都人でもちょっと音をあげたくなるような暑さですね。
そんななか鴨川の水の流れとその気持ちの良い音を収録している人がいました。
三脚に「フジフィルムX100F」を付けて。

「私はポートレート・フォトグラファーですが、・・・。」と話しかけて・・・・。 【外国からの人に対しては、こう言えてしまいます。というより詳しい微妙な表現をしてまで話すことができないだけなんですが。】
ムービーを撮っているんですね。そしてそのカメラはX100Fですね。良いカメラでしょう?!
「はい、素晴らしいカメラで気に入っています。小さいですし。」

そのカメラは「私も持っています。色が素晴らしいですね。」
「おお、あなたもですか。でもそのカメラは・・・NIKONですね。」
「はい。でも、フジのカメラはこのカメラよりいいと思いますよ。」
「そうですか。ありがとう。」

もう7,8年も前になるんでしょうか。寺町のギャラリーで個展をしていた北欧の女性もフジのカメラで、X20でした。そのカメラも私は持っています。
発色がいいんですね。レンズもよくてクリアですし。
今日のこの人はドイツから。

私が旅行に行くと、一眼レフに重いズームレンズを付けて歩きます。
でも、この人たちは、きちんと制作意図をもって、それにふさわしいカメラをセレクトする。
この人は今日が京都滞在の最後の日だそうです。私にはラッキーでした。
そしてこの次の訪問都市はTOKYO.
音も撮っているようなので、うかつには話しかけられません。

欧州に人は大概、母国語と英語を話しますから、有難いです。
と言ってもこちらは7割の日本語に2.5割の身振り手真似、そして0.5割の英語。
なんといっても話しかけた者に対するウエルカムな態度と表情がうれしいです。
それにしても今や世界は動画がトレンドですね。
- 2022/08/13(土) 00:00:05|
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ずっと以前ある集まりに参加した際に、その回の呼びかけ人の方が冒頭にこう話されました。
「皆さん今日は美味しいワインを飲んで楽しくおしゃべりをしましょう。 それでひとつお約束事なんですが、この場では宗教と政治の話はしないということで、一つよろしくお願いいたします。」
(この関西で、阪神タイガースを批判することは許されても)政治の話はしてはいけないというのです。
居酒屋でお客同士が口喧嘩から激しいバトルになる話題にはどんなことがあるんでしょうね。実際のところ。

イギリスのパブでは政治のこと、労働組合のこと、年金のことなどなど話題が広がるようですし、フランスでは主体的で自律的な政治的見解をもたない人はリスペクトされないし一人前とは認められないとも聞きます。
公園でも政治的な意見表明をする人が自分で台を持ってきて、その上に立って「今の政府のやり方は・・・。」なんて話し始めると、三々五々人が集まり、取り巻き始めて、今度は「おい、俺にも言わせろよ。」と。そういう文化があるようです。
お互いに異なった政治的意見を言い合うことで「バカ野郎、お前なんかと二度と口を利くものか。」なんてことにはならないのですね。
ですが、この日本では・・・・。

国政選挙があるというのに発言は政党(候補者)とその近い支援者だけ。
国中で喧々囂々と日本の進路、政府や野党の政策に対する評価に対話の輪ができるなんてことは、ほとんどありません。

ここでこういうことをしていると外国人がよくのぞき込んで、しかもここにある話題について質問したり自分の考えを言ったりし対話が成立するんだそうです。
でも日本の人は「あれ?なんだろうな。」と興味を示しても、政治的な話題を見つけると、たちまち退散していくと。

本当に政治的に未成熟な国(民)なんですね。 京都にあってさえですからね。
それでいろいろな切り口を作って「一緒に考えませんか?」と呼びかけているわけです。
60年代に政治に目覚めた私にとっては、「ふ~ん、そういうアプローチもあるか。」とこういう企画をする人たちに対して大いに感心します。 政治に向かう感性が柔軟なんですね。

だって平和でなければ絵なんか書いていられませんもんね。 自由と民主主義を守り発展させなければ、自由な表現を奪われてしまいますよね。
こういう自由や楽しいことを大切にしましょ。 それには・・・・、というんでしょうかね。
共感できます。

私がうろうろしていましたら、先日誘われて楽しく一杯やったご夫婦の姿を見つけました。

おもしろい絵を描く方ですね。
色彩感覚も、さすがに芸術系の大学で学んでいるだけの事はあります。

岸田政権(自公政権)に不満があるから維新を選ぶなどというのは、地獄への特急券を買うようなモノなのに、事実をもとに合理的判断をすることに弱い多くの日本人の特性が現れています。
手元にある維新のある予定候補者のビラには、大阪の吉村知事(維新)が他に先駆けてコロナ禍からの「出口」を初めて示したなどと書いていますが、10万人当たりもっとも多い死者を出し保健所との連絡もつかずに自宅療養を強いられて亡くなられた方、感染者数の集計すらできない行政無能力をさらしたのが維新大阪府市政だったのにです。
そして維新は今や自民党を越えて軍拡に熱心です。「原子力潜水艦をもて!」と政府を焚きつけている維新の松井氏ですが、源泉を持つということは日本の領土・領海を遠く離れたばしょで戦争をするという事です。「専守防衛」さえ蹴散らす維新です。

勇ましい口ぶりや
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- 2022/06/28(火) 00:00:30|
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おや、あれは何だろう。
人が集まり何か楽しそうだと、とにかく一先ず覗いてみる。
と言っても、私は元来は、あまりこうした空気になじむタイプの人間ではない。
それでも好奇心が湧くのは、そこにいる人たちが何を考え、何をしようとしていて、どんな人なのかに興味が湧くからだ。
「戰爭放棄」のTシャツ

この人が歌っていた曲。最初に耳にしたのは「let it be」の替え歌。
勿論? 歌詞は日本語。
私の経験とも重なって、「へぇ~、こんな歌を歌う人がいるんだ。」と、ちょっとうれしくなった。

歌詞はよく覚えていないけれど、散文的に思いだせば・・・。
♬ お母さんが先生に呼ばれて学校に行った。
「あなたのお子さんは赤い思想を持っているようだ。気を付けたほうがいい。」
お母さんは家に帰って来て僕に言ったのさ。
「let it be let it be」と。 🎶

お前の信じることを信じるように話せばいい、やればいい、思うがままにやりなさい。 let it be. let it be.

昔、小田実氏が、意味としてはこんなことを言っていた。
ソ連のスターリン主義的な独裁政治の下では自由がなく民主主義もない。 政権を批判すればしょっ引かれてシベリアに送られる。
日本は自由な国だ、とそう信じている人は多い。だけどその人たちは政権を批判する言葉を口にしたことがない、考えたこともない。誰かが、政権を批判し行動すれば、職場を追われて地域に住めなくなるという現状はソ連と大して違いはない。
政治体制に無批判で身の回りの事にしか関心がない人はソ連にいようと日本にいようと同じこと。
同じ程度に自由で不自由なのだ、と。
高校生の私は考えた。
「25メートルプールはシロナガスクジラにはあまりにも狭すぎるけれど、金魚には無限に自由な天地だ。」
日本の学校は人の多様性を認めない。みんな十束一からげに型に入れて安心しようとする。
ことに生徒が政治的な発言をしたり行動をすることに対して、条件反射的に抑圧・排除しようとする。自主的に判断し、行動することでさえ拒否感を募らせる。
校則が「ブラック」とも言われるゆえんだ。
現在のロシアではプーチン政権の政策に批判的な記事を書いた記者や新聞社は抑圧されて記事が書けなくなり、新聞社や放送局が続けられなくなる。
日本では、マスコミは端っから政権・与党を批判しないし、政権与党に都合の悪いことは書かない。自主的に「忖度」して。
だから政権は記者や、新聞社や放送局に圧力をかける必要もない。政権にとってマスコミは「安心・安全」な存在。人々も同じ。
取り締まりが必要なほど政権の本質を突く言論がないのだから弾圧なぞする必要がない。
だから日本では自由に物が言えて自由に行動できる。

高校一年生の一学期の終わりに保護者面談から帰ってきた父が言った。
「担任の先生が『息子さんは学校の勉強にかかわりのない本ばかりを読んでいるようです。注意された方がよろしいかと。』と言っていた。それでお父さんは『それでいいと思います。高校生の頃はそいうことをして成長する時期だと思いますし』と返事をしておいたよ。( let it be let it be )」と。
- 2022/06/27(月) 00:00:08|
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