こういうことができるところに鴨川の良い点があります。
これを天竜川や利根川でする人は、まあ滅多にないんじゃないでしょうか。

写真を撮りたいというと「う~ん、恥ずかしいなあ。」とおっしゃる。で、ちょっと後ろに引いて、少しばかり歌を聞きながら、私もついて歌う。小声でですが。
「いいでしょう?!」と繰り返すと、仕方ないか、という顔してくれる。 こんなもんを撮ってどうするんだと言いたげ。

「昭和」10代からせいぜい30年代頃までの歌。 三浦洸一なんてのもいたねえ。 春日八郎は・・・。
この人も亡くなった、この人ももうあっちだねぇ

みんな声が良かったねえ。声量もあってマイクから4,50センチも離れて歌うのが普通だったよね。マイクを咥えちゃってるのは歌じゃないね。
それに歌詞がいいよね。歌に気持ちが入るよ。

聴いていると私もあとをついて歌える歌ばかりが流れる。
ただ私は気管や肺を傷めたために肺活量が減ってしまい、しかも喉が過敏になってしまって歌えなくなってしまった。
若い時にはやたらと張り切って「オーソーレミーヨー」なんて歌っていたのに。
人がいるから恥ずかしいなんて、もう越えてしまっている。楽しいことを楽しめるように自在に生きる、それが人生だ。
いいねぇ。
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- 2022/04/20(水) 00:00:04|
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人生が楽しいかどうか。
それを決めるのはこういう事じゃないか。そう思いますね。
これより数メートル下で若い女性がバイオリンを弾いていました。インスタグラムやユーチューブをしているので思潮をお願いしますとのこと。それで「撮らせてくれませんか。」とお訊ねしたら「×」でした。
その時にバイオリンの音に重なって上流から楽器の音がしていたのでした。気になって上流を見るのですが、どうも楽器演奏をしているらしい人が見えません。
それがこの人だったのですね。

テープデッキを持ってきて・・・・ちゃんと予備の乾電池を箱一杯に詰めて・・・・それを聞きながら歌っているのです。
別に誰に聞かせるという訳ではなくてひたすらご自身が楽しむために。

歌っているのは三橋美智也の歌。傍らには三波春夫やフランク永井・・・・。
「わ~ら~に~ まみれてよ~ 育てた栗毛ぇ~ 🎶・・・・」

こうやって歌えば「こっちも美味しいから。」と杯を傾ける仕草。それはそうでしょうねぇ。
「お腹もすくし、ご飯も美味しいでしょ?!」

「これまで寒かったし、コロナもあるしでなかなかこれなかったtけど、桜は咲き始めるし、楽しみで、来たよ。」との事。
とにかく歌うのが好きで、もう30曲は歌ったかなと。 お年がおいくつかは分かりませんがとてもよく声が出ています。
しかも30曲も歌ってなお、まだまだ歌うよ、という風情です。

CDの歌詞カードでは「字が小さくて見えんし。」とノートに大きな字で書き写してあるのです。
しかもそのノートの歌詞には「ここは延ばす。 高音で・・・。」などと注意書きが鉛筆や赤インクで書き込まれています。
こぶしを利かすところでは~~~と。
- 2022/04/19(火) 00:00:06|
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和洋折衷型のトレンディーな着物です。
可愛くなりたいという要求に応えていますね。
こういうモノをリードするインフルエンサーがいるんですかね。

このお二人をスマフォで撮ってあげるときに「この写真の様に撮りたいんです。」とスマフォの画面を見せてくれました。
それは若い男女がそれぞれ線路に乗って互いに向き合って手を合わせているポーズでした。
履き慣れない草履や下駄で幅の狭い線路の上で平衡を保つのも大変です。

私にはもうこれくらいの感じの人たちが何歳くらいなのかもわかりません。
子供の頃、三十半ばくらい以上の人はもう押しなべてすべておじさんで、五、六十歳以上はおじいさんで全然区別がつかなかった、その反転現象でしょうか。
先日、美人さんが「写真を送ります、私は何歳に見えますか?」というので「アラフォーかな。」と失礼なことを言ってしまいました。
別の写真ではもっと若く見えたのですが「会社社長」という肩書に引きづられたせいもあってそう答えたのです。が「29歳になりました。」とのことでした。 ふつうは印象より少し若めに言うらしいのですが、そういうことが私にはなかなかできません。
事程左様に、若い人は押しなべて「若い」という事です。

オジサン的には、桜が咲こうが咲くまいがこうした若い人たちとおしゃべりすれば「春」ですね。

そしてこの人たちが、私の知らないことをいろいろ教えてくれるのです。
今度来る若い友人たちもまた私の大切で新鮮な情報源です。 まして彼らは私よりずっとビビッドに勉強をし体験していますからね。

老いては「若者に」従えです。
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- 2022/04/10(日) 00:00:05|
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近々、若い友人が二人東京から来るというので、桜を見せてやりたくて下見に来たのです。
桜のつぼみはほんのり赤く色づいてはいるのですが、開花はまだまだだなあという感じでした。
しかし!!! ここは桜の名所でもあり「バエル」と有名なところでもあるからでしょう、若い女の子たちが着物を着て、向こうからこっちからあっちまで、ず~~と線路伝いにいっぱいいるのです。

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二、三の人が「モデルしますよ」と言ってくれたので、もしも実現したらどこにしようかという気持ちもあって、ロケハンも兼ねて来ていたのです。 が、 ここはダメ・・でした。
どちらにしてもその人たちはとてもステキで魅力的な人たちですから、そもそもこんな安易なロケハンではダメなんです。
さて、それはともかくとして、そこでは「すみません、シャッターを押していただけますか?」が一杯です。
このお二人もそうでしたが、私の故郷の近くの街から来られているということでちょっと思い入れが・・・。

故郷近くの町の名を聞くとそれだけで何となくうれしくなってしまうのは故郷を離れて生活する者の「あるある」じゃないでしょうか。

先ほどまでここにいた別のお二人と相互に撮りあって写真交換をしたらしくて、その写真を見ています。
そしてその別のお二人とはここで知り合ったのだそうで、何とか言うアプリで早速繋がっていました。
私はある美人さんがわたしのFBで友達になりましょうといてくれることが幾たびかあったのですが・・・・危険ですよ、近寄らないでという声が聞こえなくもないのですが、怖いもの見たさと、何しろ美人に弱いので・・・メッセンジャーでやり取りをしましたら、Lineで交流しましょうと言われて、どうして良いかわからないと言ったら、呆れられたのかどうか、そのままプツリと切れてしまいました。
美人で高学歴で独身…Oh!
現代の若者と私の様なIT後進者とではIt格差が大きすぎます。
- 2022/04/09(土) 00:00:03|
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高瀬川は今では水深の浅い川です。いや、もともと人口の運河ですし、たいして深かったことはないと思います。高瀬舟の構造を見ても分かります。 船の底が平らで喫水が浅いのです。

その高瀬川になぜか人が入っています。
通常は川に入ることも、この川の中に構造物を置いたり築いたりすることもできません。 4,50年前までは子供たちが自由に水遊びをし魚とりもしていたんだそうですが。
春近しといってもまだ川の水は冷たいはずです。
向こうにいる人は長靴を履いていますが、こちらの男性と左手の女性は長靴を履いていません。
「冷たくないの?!」「 いえ、ちょうどよく冷却されていいです。」
う~ん、どれだけ熱く燃えているんでしょうねぇ。

何してるんですかぁ? 考古学です。 えっ?!
そうなんです、考古学研究なんでこうして高瀬川に入れるんです。

この方、Sさんという考古学者です。
ご無沙汰しています。 お久しぶりですね。と、ご挨拶。 そうなんです、一応、顔見知りの方なんです。

それにしてもこのコスチュームと考古学。この格好と、高瀬川で「欠けた焼き物、土器」拾いとはなんと不思議な組み合わせ。
ミスマッチを絵にしたようです。
通りを行く人は、やっていることにも、この方の服装にも{????」で見ていかれます。

ご本人の言によれば「着たい服が見当たらないので自分で作るほかなかった。アクセサリーも同じ。」
ただそれだけの事なんだそうです。
ふ~ん、ただそれだけのことかぁ。 ですか?!

高瀬川の岸に沿って町屋が並んでいました。東側の岸に沿って道路が拡幅されて路面電車がとおっていた時期もあって(五条通から北ですが)、この辺りは西側にだけ町屋が残ります。民家や喫茶店・レストランなどが並んでいます。
それが昔は町屋ばかりが並んで、囲われた方たちもお住まいだったようです。

ご存じのとおり、この高瀬川は角倉了以という豪商が江戸幕府の意を受けて開削したもので、伏見までつながって、やがて淀川をへて大阪に舟運がつながります。
その後、何度も改修、開削されてきたようですが、元来は川の両サイドに船を曳く人夫が綱を肩に巻いて歩く細い通路があったのです。
それはともかく、町屋での暮らしの中で割れてしまった陶器をゴミ箱代わりに高瀬川に放ったらしいのです。
江戸期の終わりころからのものが出てきます。

最近、川の改修をして、川底を掘り起こしましたから、そのせいもあって、欠けた陶器がザクザクと出てきます。
それがどこ産のものか、どの程度の品質なのか(高価なものなのか、安価なものなのか)、その比率などを調べると、この界隈の人々の日常の暮らし、京都の経済的な地位、流通の姿などが浮かび上がってきます。まさに近世考古学なのです。
細いガラス瓶の口が出てきました。 この細さだと現代のモノじゃなさそうです。何でしょうねぇ。

、
拾ってはスポンジで汚れをふき取ると「これはすり鉢の一部じゃないか?」とか「なかなかいい絵付けがしてあるね。」などという話になるのです。「これ信楽ですよね?!

時には「これとこれは繋がりますよね。元は一体だったんだ。」なんてものも発見されます。
そして拾われたものを囲んで歴史講義です。
実は私の長靴がここから見えるギャラリーに預けっぱなしなんです。
ですから使ってくれても良かったのですが。

私の場合はここに床を置いて楽しいイベントをした時に、撮影係として流れに入って歩きまわっていたために長靴が必要だったんですが。

そのギャラリー「高瀬川四季AIR」はこの辺りの文化センターの役割を果たしてきました。
ただ、オーナーによれば、あと2年しか続けられないのだそうですが。
誰か後継者は出てこないですかね。 このギャラリのロケーションは抜群ですから、作家たちからは・・・ことに京都以外の方には…とても評判がいいんですがね。
「これ、なんだと思います?」

それにしても、お腹まで冷えて痛くならないかなあと、つい心配になってしまいます。
若さですかねぇ。


この高瀬川、私のリタイア後の8年間を様々に彩ってくれた場所です。
それもあと2年間ですか。 その2年を私なりに大事にしたいものだと思います。

恩返しの個展もしなくちゃいけないかなあ。
- 2022/04/01(金) 00:00:01|
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