8月上旬。京都人でもちょっと音をあげたくなるような暑さですね。
そんななか鴨川の水の流れとその気持ちの良い音を収録している人がいました。
三脚に「フジフィルムX100F」を付けて。

「私はポートレート・フォトグラファーですが、・・・。」と話しかけて・・・・。 【外国からの人に対しては、こう言えてしまいます。というより詳しい微妙な表現をしてまで話すことができないだけなんですが。】
ムービーを撮っているんですね。そしてそのカメラはX100Fですね。良いカメラでしょう?!
「はい、素晴らしいカメラで気に入っています。小さいですし。」

そのカメラは「私も持っています。色が素晴らしいですね。」
「おお、あなたもですか。でもそのカメラは・・・NIKONですね。」
「はい。でも、フジのカメラはこのカメラよりいいと思いますよ。」
「そうですか。ありがとう。」

もう7,8年も前になるんでしょうか。寺町のギャラリーで個展をしていた北欧の女性もフジのカメラで、X20でした。そのカメラも私は持っています。
発色がいいんですね。レンズもよくてクリアですし。
今日のこの人はドイツから。

私が旅行に行くと、一眼レフに重いズームレンズを付けて歩きます。
でも、この人たちは、きちんと制作意図をもって、それにふさわしいカメラをセレクトする。
この人は今日が京都滞在の最後の日だそうです。私にはラッキーでした。
そしてこの次の訪問都市はTOKYO.
音も撮っているようなので、うかつには話しかけられません。

欧州に人は大概、母国語と英語を話しますから、有難いです。
と言ってもこちらは7割の日本語に2.5割の身振り手真似、そして0.5割の英語。
なんといっても話しかけた者に対するウエルカムな態度と表情がうれしいです。
それにしても今や世界は動画がトレンドですね。
- 2022/08/13(土) 00:00:05|
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ずっと以前ある集まりに参加した際に、その回の呼びかけ人の方が冒頭にこう話されました。
「皆さん今日は美味しいワインを飲んで楽しくおしゃべりをしましょう。 それでひとつお約束事なんですが、この場では宗教と政治の話はしないということで、一つよろしくお願いいたします。」
(この関西で、阪神タイガースを批判することは許されても)政治の話はしてはいけないというのです。
居酒屋でお客同士が口喧嘩から激しいバトルになる話題にはどんなことがあるんでしょうね。実際のところ。

イギリスのパブでは政治のこと、労働組合のこと、年金のことなどなど話題が広がるようですし、フランスでは主体的で自律的な政治的見解をもたない人はリスペクトされないし一人前とは認められないとも聞きます。
公園でも政治的な意見表明をする人が自分で台を持ってきて、その上に立って「今の政府のやり方は・・・。」なんて話し始めると、三々五々人が集まり、取り巻き始めて、今度は「おい、俺にも言わせろよ。」と。そういう文化があるようです。
お互いに異なった政治的意見を言い合うことで「バカ野郎、お前なんかと二度と口を利くものか。」なんてことにはならないのですね。
ですが、この日本では・・・・。

国政選挙があるというのに発言は政党(候補者)とその近い支援者だけ。
国中で喧々囂々と日本の進路、政府や野党の政策に対する評価に対話の輪ができるなんてことは、ほとんどありません。

ここでこういうことをしていると外国人がよくのぞき込んで、しかもここにある話題について質問したり自分の考えを言ったりし対話が成立するんだそうです。
でも日本の人は「あれ?なんだろうな。」と興味を示しても、政治的な話題を見つけると、たちまち退散していくと。

本当に政治的に未成熟な国(民)なんですね。 京都にあってさえですからね。
それでいろいろな切り口を作って「一緒に考えませんか?」と呼びかけているわけです。
60年代に政治に目覚めた私にとっては、「ふ~ん、そういうアプローチもあるか。」とこういう企画をする人たちに対して大いに感心します。 政治に向かう感性が柔軟なんですね。

だって平和でなければ絵なんか書いていられませんもんね。 自由と民主主義を守り発展させなければ、自由な表現を奪われてしまいますよね。
こういう自由や楽しいことを大切にしましょ。 それには・・・・、というんでしょうかね。
共感できます。

私がうろうろしていましたら、先日誘われて楽しく一杯やったご夫婦の姿を見つけました。

おもしろい絵を描く方ですね。
色彩感覚も、さすがに芸術系の大学で学んでいるだけの事はあります。

岸田政権(自公政権)に不満があるから維新を選ぶなどというのは、地獄への特急券を買うようなモノなのに、事実をもとに合理的判断をすることに弱い多くの日本人の特性が現れています。
手元にある維新のある予定候補者のビラには、大阪の吉村知事(維新)が他に先駆けてコロナ禍からの「出口」を初めて示したなどと書いていますが、10万人当たりもっとも多い死者を出し保健所との連絡もつかずに自宅療養を強いられて亡くなられた方、感染者数の集計すらできない行政無能力をさらしたのが維新大阪府市政だったのにです。
そして維新は今や自民党を越えて軍拡に熱心です。「原子力潜水艦をもて!」と政府を焚きつけている維新の松井氏ですが、源泉を持つということは日本の領土・領海を遠く離れたばしょで戦争をするという事です。「専守防衛」さえ蹴散らす維新です。

勇ましい口ぶりや
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- 2022/06/28(火) 00:00:30|
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おや、あれは何だろう。
人が集まり何か楽しそうだと、とにかく一先ず覗いてみる。
と言っても、私は元来は、あまりこうした空気になじむタイプの人間ではない。
それでも好奇心が湧くのは、そこにいる人たちが何を考え、何をしようとしていて、どんな人なのかに興味が湧くからだ。
「戰爭放棄」のTシャツ

この人が歌っていた曲。最初に耳にしたのは「let it be」の替え歌。
勿論? 歌詞は日本語。
私の経験とも重なって、「へぇ~、こんな歌を歌う人がいるんだ。」と、ちょっとうれしくなった。

歌詞はよく覚えていないけれど、散文的に思いだせば・・・。
♬ お母さんが先生に呼ばれて学校に行った。
「あなたのお子さんは赤い思想を持っているようだ。気を付けたほうがいい。」
お母さんは家に帰って来て僕に言ったのさ。
「let it be let it be」と。 🎶

お前の信じることを信じるように話せばいい、やればいい、思うがままにやりなさい。 let it be. let it be.

昔、小田実氏が、意味としてはこんなことを言っていた。
ソ連のスターリン主義的な独裁政治の下では自由がなく民主主義もない。 政権を批判すればしょっ引かれてシベリアに送られる。
日本は自由な国だ、とそう信じている人は多い。だけどその人たちは政権を批判する言葉を口にしたことがない、考えたこともない。誰かが、政権を批判し行動すれば、職場を追われて地域に住めなくなるという現状はソ連と大して違いはない。
政治体制に無批判で身の回りの事にしか関心がない人はソ連にいようと日本にいようと同じこと。
同じ程度に自由で不自由なのだ、と。
高校生の私は考えた。
「25メートルプールはシロナガスクジラにはあまりにも狭すぎるけれど、金魚には無限に自由な天地だ。」
日本の学校は人の多様性を認めない。みんな十束一からげに型に入れて安心しようとする。
ことに生徒が政治的な発言をしたり行動をすることに対して、条件反射的に抑圧・排除しようとする。自主的に判断し、行動することでさえ拒否感を募らせる。
校則が「ブラック」とも言われるゆえんだ。
現在のロシアではプーチン政権の政策に批判的な記事を書いた記者や新聞社は抑圧されて記事が書けなくなり、新聞社や放送局が続けられなくなる。
日本では、マスコミは端っから政権・与党を批判しないし、政権与党に都合の悪いことは書かない。自主的に「忖度」して。
だから政権は記者や、新聞社や放送局に圧力をかける必要もない。政権にとってマスコミは「安心・安全」な存在。人々も同じ。
取り締まりが必要なほど政権の本質を突く言論がないのだから弾圧なぞする必要がない。
だから日本では自由に物が言えて自由に行動できる。

高校一年生の一学期の終わりに保護者面談から帰ってきた父が言った。
「担任の先生が『息子さんは学校の勉強にかかわりのない本ばかりを読んでいるようです。注意された方がよろしいかと。』と言っていた。それでお父さんは『それでいいと思います。高校生の頃はそいうことをして成長する時期だと思いますし』と返事をしておいたよ。( let it be let it be )」と。
- 2022/06/27(月) 00:00:08|
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こういうことができるところに鴨川の良い点があります。
これを天竜川や利根川でする人は、まあ滅多にないんじゃないでしょうか。

写真を撮りたいというと「う~ん、恥ずかしいなあ。」とおっしゃる。で、ちょっと後ろに引いて、少しばかり歌を聞きながら、私もついて歌う。小声でですが。
「いいでしょう?!」と繰り返すと、仕方ないか、という顔してくれる。 こんなもんを撮ってどうするんだと言いたげ。

「昭和」10代からせいぜい30年代頃までの歌。 三浦洸一なんてのもいたねえ。 春日八郎は・・・。
この人も亡くなった、この人ももうあっちだねぇ

みんな声が良かったねえ。声量もあってマイクから4,50センチも離れて歌うのが普通だったよね。マイクを咥えちゃってるのは歌じゃないね。
それに歌詞がいいよね。歌に気持ちが入るよ。

聴いていると私もあとをついて歌える歌ばかりが流れる。
ただ私は気管や肺を傷めたために肺活量が減ってしまい、しかも喉が過敏になってしまって歌えなくなってしまった。
若い時にはやたらと張り切って「オーソーレミーヨー」なんて歌っていたのに。
人がいるから恥ずかしいなんて、もう越えてしまっている。楽しいことを楽しめるように自在に生きる、それが人生だ。
いいねぇ。
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- 2022/04/20(水) 00:00:04|
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人生が楽しいかどうか。
それを決めるのはこういう事じゃないか。そう思いますね。
これより数メートル下で若い女性がバイオリンを弾いていました。インスタグラムやユーチューブをしているので思潮をお願いしますとのこと。それで「撮らせてくれませんか。」とお訊ねしたら「×」でした。
その時にバイオリンの音に重なって上流から楽器の音がしていたのでした。気になって上流を見るのですが、どうも楽器演奏をしているらしい人が見えません。
それがこの人だったのですね。

テープデッキを持ってきて・・・・ちゃんと予備の乾電池を箱一杯に詰めて・・・・それを聞きながら歌っているのです。
別に誰に聞かせるという訳ではなくてひたすらご自身が楽しむために。

歌っているのは三橋美智也の歌。傍らには三波春夫やフランク永井・・・・。
「わ~ら~に~ まみれてよ~ 育てた栗毛ぇ~ 🎶・・・・」

こうやって歌えば「こっちも美味しいから。」と杯を傾ける仕草。それはそうでしょうねぇ。
「お腹もすくし、ご飯も美味しいでしょ?!」

「これまで寒かったし、コロナもあるしでなかなかこれなかったtけど、桜は咲き始めるし、楽しみで、来たよ。」との事。
とにかく歌うのが好きで、もう30曲は歌ったかなと。 お年がおいくつかは分かりませんがとてもよく声が出ています。
しかも30曲も歌ってなお、まだまだ歌うよ、という風情です。

CDの歌詞カードでは「字が小さくて見えんし。」とノートに大きな字で書き写してあるのです。
しかもそのノートの歌詞には「ここは延ばす。 高音で・・・。」などと注意書きが鉛筆や赤インクで書き込まれています。
こぶしを利かすところでは~~~と。
- 2022/04/19(火) 00:00:06|
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