この人には以前もお会いして写真を撮らせていただきましたが。それを覚えていてくれました。
私がお渡ししたカードを見て「やっぱりそうですよね。」

今はほとんど仕上げ段階の金彩をしています。
華やかで高級そうな、いい感じの猪口ができますね。
マットな黒色が落ち着いていいですねぇ。

伝統工芸大学校の「卒展」を見せてもらいながら、立ち寄りました。
若い学生たちの卒業生作品ですが、思わずうなるような出来栄えのものありますし、これはすぐに買い手がつくなというものもいくつもあります。

他の芸術系大学の・卒業・進級制作展でも同じことを感じますが、この2年とか4年を本当に充実して過ごしたんだなあと感じさせる作品と、技術云々ではなくして思いが定まらずに過ごしてしまった残念な時間を感じさせるものもあります。
それぞれの人生の一階梯ですが、双方に「頑張れ」と声をかけたくなります。

この人は卒業後ある陶器の会社で働き、既に独立していますから、職人としての名前を持っています。
私のような「なんちゃってアーティストネーム」ではありません。
非常に細やかな線を描くのですが、タヌキの背の毛で作った筆を使います。
お腹の毛で作られた筆もありますが、背の毛の方が弾力があってこの場合には適しているのだそうです。
金彩は「金粉」を使うわけでが、「金属ですから1年くらいで筆先が擦り切れて使えなくなります。」とのことでした

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- 2017/03/17(金) 00:00:23|
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でも、多分、出すとしたらこの写真だと思います。
撮るときによく見ているつもりなのですが、ちっとも見ていないのだなあということが撮れた写真を見て分かります。
ですから「見て心を動かして撮る」のを信条にしているようなことを言っていますが、実態は相当かけ離れています。
それにレンズの癖なども、ツァイスはいいなあなどと言っているくせに実は分かっていないのです。
「撮れちゃった。」ことが多いのです。
この人の目と口元の表情はレンズの手柄でしょうね。

そのことでよく画家たちと話します。
「意識性と偶然」という事ですね。
こういう問題意識を持てるということ自体が写真をやっていてよかったなあと思えることです。それで他分野の方たちと話ができるのですし。

1枚目と2枚目を比べて、2枚目の良さは前髪でしょうか。
1枚目は目の上が、少しごちゃごちゃしてますね。
筆に絵の具を含ませる時から神経を使います。
絵の具の量、筆先のそろい方・・・・絵画でも書でも同じですね。
それでも、こういう時がせめてもの話しかけるチャンスです。
撮影許可を撮るときには、こういう瞬間までじっと待ちます。
そしてそれまでこの作業の巧みさと魅力をじっくり味わいます。

先日日本画を学んでいる学生が「構図に迷いがあるんです。今、構図についていろいろ勉強しています。写真でも構図はずいぶん重要なんですよね。」と話していました。
そうだと思います。
でも、私の写真は大概、三分割論や黄金比論から外れています。こういうのは安定とバランスの構図です。そういうことを明示しないで説明する入門書の多いこと。
映画やテレビドラマを見ていると素晴らしい構図が出て来ます。むしろそういうものを見て感情が動く構図を参考にします。
そこで動く感情の種類と構図の関係こそが大切です。

だからもっと学ばねばなりません。
絵を見に行っても彫刻を見ても、学ぶことだらけです。
写真展に行って参考になることは少ない。正直、そう思います。

自分にないものをいろいろな分野から学ぼうと動機づけてくれるのも写真です。
ありがたい趣味です。
自分にはできていないこと、分からないこと、知らないことが山ほどあって、他の人たちがいろいろ教えてくれる。そう思えて、興味や関心を他に向けることができるという事は、私のようなものぐさが活力を失って萎まないためにとてもありがたいことだと思うのです。
- 2016/09/25(日) 00:00:34|
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近々ドイツから日本に来ている数人のアーティストの写真を撮ることになっているのですが、楽器の肌合いや奏者の表情、髪、黒い服などを撮るのにフジのアクロスがいいのかなあなんて思ってしまっています。
いえ、このX20のモノクロでもよいのですが。

多分欧州の人にはソニーの比較的あっさりとした淡白なモノクロよりも・・・・無論設定を変えてやれば多少は変わってくると思うのですが・・・・このフジのモノクロの感じの方が喜ばれるのではないかと想像するのです。
ちょっとドラマチックですしね。

カラーの好みも東西で随分違うように思いますし。 ベルビアモードが好まれるのかなあ。

あまり相手の好みや感性を慮っていると自分のワクワクで撮れなくなって、せっかくのチャンスがつまらなくなるのも嫌ですし、考えどころです。
でも、フジのモノクロは私は好きです。(この文章は文法的におかしそうですね。でも「は」という助詞はこういう風に使えそうな気がします。)
手指の肌がきれいで、手の甲や腕の立体感がいいなあと思います。

若い人がこうして工芸分野で育っていくのを見るのは楽しいです。

工芸に携わる職人たちが私たちの生活に深みを与えてくれます。
音楽や美術、演劇や映画などなど、芸術もまた然りです。
写真もその中に加わりたいものです。
- 2016/08/01(月) 00:00:07|
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すべて とどまると くさる
このおそろしさを 知ろう
つねに前進 つねに一歩
空也は左足を出し 一遍は右足を出している
あの姿を 拝してゆこう
坂村真民さんの詩だそうです。ある方のブログに引用されていました。
心に置きたい言葉ですが、「空也は左足を出し 一遍は右足を出している 」ですか、そういわれると何か辛いなあ。
陶器の絵付けです。
太い筆にたっぷりと吸い込ませた「ゴス」を繊細な筆先から沁みださせています。

そして必要かか所を満たしたら、余計な「呉須」をまた筆に吸い取らせます。
ですから必要な箇所には塗っているというよりは、しずくとなってたまる呉須を広げているという感じです。

ですからこの筆が、このように太い必要がありますし、また筆席が繊細な細さで得ることが求めれるようです。
初め、絵付けの絵柄の細やかさを見て、その筆の太さがあまりに意外でしたが、そういうわけだったのです。

そして作業には、やはり息を詰めるように繊細な感覚が必要だと思いました。

呉須は藍色に発色しますが、素焼きの生地に描くと青みが買った灰色です。
生地には呉須が沁みこんでいくわけですが、その量も問題となります。ですから空気の温度や湿度も大切な要件となります。

最近知人から「モノクロが多いね。」と言われました。
「その心は ❓」
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- 2016/05/22(日) 00:00:26|
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この部屋の静けさは写っているでしょうか。
実演のために3人お若者がそれぞれの台の上で作業をしているのですが、しわぶき一つさせないで集中しています。
かく乱要因は不躾に話しかけてシャッターを切る私だけです。

部屋は広いのですが、何しろ静かですからアルファ900の「バシャン(むしろガシャンかなぁ)」という大きな音が響きます。
先日、ある人の後ろ姿を、他に幾人も歩いているようなところで、数メートル後ろから撮ったら、振り返りもしないで「撮ったでしょ?!」と言われてしまいました。

ですから、一面とてもご迷惑なカメラなのです。(撮っていること自体は棚に上げさせていただいて・・。)
最近は静穏モード付きのカメラが増えているというのに。
でも、罪とともに「功」の面もあるので、こうして人を撮るときには、あの5Dのパコーンという間の抜けたプラスチッキ―な音に比べれば随分役立つのです。
今はもちだすことのないコンタックスRXのシャクーンの方がよいのですが。(擬音化って難しいですね。完全に皆さんを誤解させていますね。)

話をし、カメラを向けて、さらに集中したその人の意識と仕事を引き出して撮る。
私は、普通のあるがままの写真というものについては疑問を感じていますので、シャッター音は大切なんです。(というのも撮る方の一方的なわがままと独り善がりの了解なんで、周囲には十分気を付けたいと思っています。)

こういうところで「ビューティフル」とか「素晴らしい」とか言えませんものね。

でも演奏会や式の会場、そして野鳥、野生動物の撮影などではシャッター音は禁物なんでしょうね。
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- 2016/05/21(土) 00:00:17|
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