ある怪しい空気を漂わせたギャラリーの奥に陶芸のできる部屋があり、そこで作品作りに励んでいた方です。
とある大学で教鞭をとっておられたと記憶しています。

ギャラリーの雰囲気の怪しさについて一しきり話をすると、僕の作品もねとおっしゃり、ギャラリーオーナーも「相当なものだよ。」と相槌を打っておられました。・・・・と言っても記憶をよみがえらせればというお話ですが。

芸術に携わる方の多くは、私が撮影をお願いすると、大概、私の方も芸術的的な撮り方をするのだろうと「忖度」をしていただけることが多いのです。

それで「こやつはどんな風に撮るのかな。」と、ある種のリスペクトがあるのですね。

それで、「じゃあ、こちらもいつもの通り本気で制作をすればいいんだな。」と。
ところが、私が好奇心から色々話しかけてしまいますので、「解説」をしながら、笑いながらということになってしまったりして・・・。

私が距離をとり、空気と化すことも一面必要ではないかと・・・。

そこはちょっと難しい問題があって、・・・・。

このころは撮れるだけでうれしいという気持ちが過半でしたね。
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- 2021/01/11(月) 00:00:06|
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「写真を撮る奴はそんな発想をするんだ?!」と言うような表情で愉快そうに笑いながら、作品の説明をし、またカメラに収まってくれました。

「おじさんシリーズの中に入っていただきたいので・・・。」とお願いしたものですから、ギャラリーのオーナさんが近づくと「どうやら爺を撮って個展をするらしいよ。」と。 川上さんが今年83歳です。
「あら、若い女性の写真を撮っていたんじゃないんですか?」とはオーナーの言葉。

先週は司修という画家の個展がありました。いい絵があって「この絵はいいですね。僕は大好きです。」と話すと「じゃあ、是非買ってください。」と突っ込まれましたが、23万円は、司さんの絵としては殊の外高価だということはなくとも、年金生活者の私にとっては、「到底手が出ませんよ。」
そしてその司さんが御年82歳。
川上さんの個展会場の下の階で個展をされていた油絵作家の鶴身 幸男さんが82歳とシルバー世代大活躍です。

私はたまたま周囲にこうしてご高齢でいよいよ若々しく、ワクワク世界を広げておられる方々を目にし、お話を聞く機会がありますので、いつまでも若造でいられます。ありがたいことです。
「写真をやっています。」
「そうか、がんばんなさい。」ってなものです。 これが本当にありがたいのです。

それで、「それじゃあたまには若い者の役に立とうかな。」なんて感じで撮らせていただくわけでもあるし。

そして「お、なかなかいい写真を撮るじゃないか。」なんていつかいっていただけるように頑張る訳なのです。
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- 2018/09/26(水) 00:00:17|
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川上さんを紹介するのにどういう言葉がふさわしいんだろうかと散々、脳みその中を経めぐってみたけれど私の貧弱な語彙集の中には見つからなかった。
それこそ引きだしをひっくり返すほど探してみたのですが。
「陶彫作家」という言葉を使っている作者の作品紹介があったので、なるほどと思って使わせていただきました。

私が氏を初めて見たのは、氏が高瀬川に長い長い布を流す作品を展示するために川の流れにザブザブと入って作業をされているときでした。
手助けをしている若手のスタフよりも一層勢力王政に設営に汗を流している姿は、とても80歳になる作家とは思えなかったのです。

その後、ギャラリー高瀬川四季AIRでの茶話会で、氏の旺盛な制作意欲やとらわれない世界観をうかがって、こういう大先輩がおられるのは力強いことだなあと感じると同時に、いつか撮らせていただく機会があればと思っていたのです。
この日(9/18)は市が寺町三条上るのギャラリー・ヒルゲートの2階で個展をされていて、その初日でした。

私は、先の高瀬川での氏の姿を見たことをお話しし、次いで氏の作品についていくつか質問をさせていただいたのです。

この展示の期間中の一日 「創作60年の『時間と距離』」と題して講演をされるので、作家活動60年を振り返っていろいろ考えられてという事もあって、実に多面的なお話を短時間のうちに聞かせていただけました。
ギャラリーの奥庭はなかなか手入れが大変で、ベンチを置いて周囲を夏草が存分に生い茂る状態でしたが、「この空間は面白いな」と、そこに野外展示用の作品を・・・・本当はこの倍の数あるんで、もう少し広さが欲しいんでけど、まあこれも面白いやろ。」と。
2階の小さなテラスから見るのもいいし、ここに降りてみてくれていい。」とのことでした。
私が白いワンピースを着た若い女性をここに座らせて写真を撮るとい面白いと思うんですが・・。」というと、「そういうのも面白いなあ。」と・・・・。
- 2018/09/25(火) 00:00:23|
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清水焼です。
急須と言って良いんでしょうか。
取っ手は「型」で作りますが、他の部位はそれぞれ手で作り出していきます。
本体は轆轤で引きます。

ここは実演の会場ですから、それぞれの部位はあらかじめ作ってケースに入れられ乾燥しないようにして保管されています。
今、把手の接着面の形成をしています。
本体(胴)の局面に合うように削り込んでいきます。

接合部がぴったり合っているか確かめています。

ご自身の工房とは色々環境が違いますから、難し面があると思いますが、土の感想の進行が違うようです。
エアコンの影響ですね。

まだもう少し削るようです。
気さくな方でいろいろなお話をしながら進めていかれます。
私以外にも関心をもって立ち寄り話しかけたり質問をされたりする方がいますから、それに答えます。
中には煎茶道に通じておられてご自身やご親戚がもたれている名器について長々とご自慢をしていかれる方もいて・・・・。
実演は「楽しいですよ。いろいろお話しできる機会は少ないですから。」と言われますが。

陶土を溶かした水を筆に含ませて胴を湿らせます。
それで把手を接着するのです。

垂直線に合わせて、うまい具合に着きますでしょうか。


- 2018/04/23(月) 00:00:34|
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手指で作ったものは手指に優しい。そう思います。
その手指の感覚というか感性が凡人に比べてはるかに繊細度を増した職人の手指が作り出すのもが我々にある種の「快」をくれるのです。
それが「手作り」であることの価値だと思います。

今やみくもに「手作り」をうたう商品がありますが、どうもただ手作業で作れば「手作りに間違いはないでしょ?」みたいなものが散見される。
でもその手作りの質の高さ・技能の高さが問題ですよね。

嘘はついていないが意図的にミスリードさせる「嘘」が氾濫する現代。
CMなどはその最たるもの。 自公政権や官僚の国会答弁もその典型。

そういう社会だから、「手作り」とか「オンリーワン」など何か肌感覚として確からしいものが求められるのかもしれない。
そこにさえ「嘘」が忍び込むやるせなさ。
職人の手仕事に嘘はない。

何百何千ものぐい飲みを作る。
そのうちのただ一つを作るときのこの表情です。

だから私はこれを撮りたくなるのですね。


- 2018/03/18(日) 00:00:33|
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