「念仏六斎」にはこの笛が入らないようです。
この方は、保存会に参加してこの芸能を守っておられます。

8月の22日の20時に上善寺で奉納が行われるようで、
この「六斎念仏踊り」は無形文化財にも指定されているそうです。

空也上人と言えば「市の聖」とも言われます。
六波羅蜜時にある「空也上人像」は皆さん一度は日本史の教科書や資料集でご覧になったことがおありでしょう。
例の口から南無阿弥陀仏の称念仏が仏の姿となって出ている、そうあの像で知られる方です。
私はあの人が、「市」の聖と言われて、堂塔伽藍にふんぞり返って教えを説く人でなかったことや、教団を組織しなかったことを偉いなあと思っていたことがあります。
宗教や政治はそうでなくちゃいけません。まして政権党と手を組むようじゃあお話になりませんね。
(もっとも空也の時代の僧の在り方は今日とは大きく異なりますので、権力との関係も同じように評価することはできませんが。)

私より少しお若いのですが、リタイア後の時間をこうした伝統芸能の保存継承に注がれているのです。
「楽しいですよ!」の一言が印象的です。
ご自身の「楽しい」が社会的な意義に結合するときに人生はますます楽しくなりますね。

この六斎念仏の奉仕の日、ネットの情報によればあまり多い人出ではないそうです。もっぱら地元の方たちが見に訪れているようですね。
斯くいう私もこれまでほとんど全く知りませんでした。
平安時代の空也について学びっぱなしでその後そうした浄土教がどうなり、踊念仏がどうなったのか、なんとなく「昔のこと…だし今はもう・・・・」と思い込んでいたのです。そういう意識は伝統という事や、その国の文化というとについての軽薄な観念の現れだなあとちょっと反省。
(ただ踊念仏が空也の創始かどうかということについては歴史科学的には疑問があるようです。)

伝統というのは、今があってのものですからね。

- 2017/06/28(水) 00:00:49|
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私はもうすでに長い間京都に住んでいます。
浪人生の頃からですから人生の大半をこの京都で暮らしています。
ですが、正直なところ京都のことをほとんど何もと言っていいくらい知りません。
生まれ育った郷里の事はなおのこと知りませんので、日本の事はほぼ何も知らないということになるかもしれません。
海外のことは言うまでもありません。
さて、そんな私がいつものように鴨川べりを自転車で走っていると「コンチキチン」の鉦の音が聞こえます。

今年の祇園祭も7月1日から始まります。全国に有名な山鉾巡行の前祭りが17日、後祭りが24日です。
ですから祭囃子の個人練習が始まっていてもおかしくはないのですが・・・それにしてもここは山鉾を持つ町内からはずいぶん離れています。

槌の頭は鹿の角でできています。これが良いそうです。
鉦は内側の底や縁を打ったりこすったりして音を出します。「コン チキ チン」と。
何やらつぶやきながらの演奏です。
念仏とか御詠歌のたぐいでしょうか?
いえ、そうではないのです。
鉦にも、そしてこの後吹いて見せていただいた横笛にも、いわゆる紙に書いた「楽譜」がありません。
それで「口承」による伝えがあるばかりで、それをすっかり暗唱して演奏するのだそうです。
それが独特の言い回しになっているのですね。
曲は「月鉾」の囃子をベースにしているのだそうですが、実はこの人は祇園山鉾のお囃子の練習をしておられるのではなかったのです。
この地の近辺は昔「小山郷」と言っていました。農村部なんですね。何しろ北「山」通を挟んでいるくらいですから。
「小山」の地名はあちこちに残っています。初音だとか、上総・下総だとかかなり広い地域です。
その小山郷には「六斎念仏踊り」が伝承されているのです。
空也上人の踊念仏を起源とするとも言われているようですが、そうした宗教的な内容を保守する流れ(「念仏六斎」)と、笛を入れて芸能化する流れ(六斎念仏踊り」)とがあって、幾流かが存在するのだそうですが、私は詳しく知りません。
小山郷のそれは芸能的なもののひとつで「六斎念仏踊り」と称しています。
「さて、じゃあ、次は笛を吹いてみましょうか。」

- 2017/06/27(火) 00:00:29|
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