彼の展示作品は「彫刻」に属するものですが、いま彼がしている作業はそれとはずいぶんかけ離れたものです。

彼が一年のうちに受け取ったレシート、領収書などを台紙に貼っているのです。
会場の奥まった小部屋の壁にそうしたレシートや領収書が整然と掲示されています。
その領収証書やレシートに囲まれて身長140センチくらいの華奢な体の女性が腕を交差させて服の裾をたくし上げて脱ごうとしています。
その腹部には縦にメスの入った傷が見え、腰辺りには赤いあざがあります。この女性はテロリストなんだそうです。彼女の腹部の傷は体内に爆弾が仕掛けられていることを示しています。
レシート群と小柄な女性テロリスト。
それが両方向から、見る人を刺す視線となって衝突し緊張します。

ちなみに、皆さんの手元にあるレシートをご覧になってみてください。
いつどこの、どの店で何をどれほどいくらで購入したかが印字されていると思います。これを時系列に並べてさらに地図の上に落としていけば、あなたの一日の、いや一年の生活がほとんどすべてわかります。あなたの嗜好や体形やその他その他を正確に推し量ることができるでしょう。そして未来の何月何日何曜日の何時ころ、どこのコンビニでどういう飲み物を買い雑誌を手にするかがかなりの確度で推定できることでしょう。

生真面目で経済観念のしっかりした人はすべてのレシートを残し、整理してあるでしょうが私のような人間は「そんなもの捨ててしまったよ。」という事でしょう。
けれどあなたの消費行動はコンビニや書店やあるいは電鉄会社や銀行のコンピューターにはすべて記録が残ります。
もし、これらのコンピューターの情報をすべて集めることができれば・・・・、企業経営者や政府はきっとそう考えていることでしょうし、実際にこういう事を秘密裏に進めていると考えたほうがいいでしょう。・・・・私たちの行動や特性はすべてが開け放たれてみられていることになります。
テロ対策を理由に政府は広範な情報を収集することができる法案を国会に提出し法制化しようとしています。
「レシートの山」とテロ兵士。
彼がこういうことを表現しようとしたと説明してくれたのではなくて私がこう読んだのですが・・・・・。

彼は台湾からの留学生です。
私は以前に出会った台湾からの女子留学生と交流して以降、遅ればせながら台湾の政治や台湾の人々のありように関心を持つようになりました。
殊に彼女や今日紹介している彼くらいの若い世代について。

韓国青年たちもそうですが台湾の青年たちの政治意識もとても高く鋭いものです。
今、台湾の青年たちは海外で学ぶ機会を得られた者たちでも、その外国で活躍手がかりを得られそうだとしても帰国して、自国の「今」と向き合おうとする者が多いようです。

そして自分の学びを暮らしとともに自分の政治的文化的社会参加としっかりと結び付けています。
勉強したことはテスト用で、生活や自分の生きる理屈はまた別のもの・・・そういう態度とは違うようです。
中国の青年は韓国や台湾の青年と視線の先は違う者が少なくないようですが、それでもやはり社会に向かって正対しようとする若者が散見されます。
共通するのは「激動・激変」の予兆です。

朝鮮半島、中国と台湾、そして日本。
現実ではそれらは大きく分裂し緊張し、相互に不信感を抱いています。それはおそらくアメリカのシナリオによるせいも大きいのだと思いますが、日本の自公政権+維新などは、何かあるごとにこの亀裂を深める言動をします。
そしてそれが日韓中台お互い同士、責任をなすりつけあいながら自国の内向きのナショナリズムを掻き立てています。
東アジアを結び付ければ壮大な生産力と文化の力を発揮できると私は思っています。
東アジアの青年の成長に大いに期待するのです。
- 2017/01/19(木) 00:00:29|
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Kポップの代表的なグループ「少女時代」のPVの中に、メンバーたちが扮したマネキンたちが夜になると動き出すというものがありました。
夜のデパートで明かりが消えた後では巡回の警備員は懐中電灯の薄明かりに照らされたマネキンたちの列はちょっと薄気味が悪いかも知れません。が、こんなかわいいマネキンたちがさんざめいていたらそれはそれで楽しいことでしょう。
京都ではマネキンづくりが有名だそうです。

地方の小都市に行って通りの服飾店を覗くとマネキンが見えます。そのマネキンの鼻が少しだけ擦れて白くなっていたりします。
顔立ちやポーズもどことなく「古い」のです。
マネキンたちも時代とともに変わってきています。

最近街の服飾店などで見かけるマネキンには「ここまで奇をてらわなくてもよいのではないか?」と思うようなものがあり、またそのセンスに驚かされるものも見かけます。
しかし、これまでは当然に連想できるはずの「作る人」について余り思いが至りませんでした。

つま先だったときの筋肉の動きまで表現されているとは知りませんでした。
ハイヒールを履かせる都合で爪先立っているんでしょうね。
こうしたマネキンはリアルマネキンというようです。
脚が細すぎなくていいなあと思いました。後日デパートで見たマネキンはちょっとスリムすぎるように感じました。

撮影は許可されているとはいえ、こうした対象に一所懸命カメラを向けているのをはたから見れば、ちょっと奇異に映るかも知りませんね。
でもデパートやブティックでやるよりはましでしょうか。
私は背が高くなくて、マネキンは高身長。
アングルが決まってしまうのは少々面白くないですが、生きたモデルさんとは違う発想が湧いてくるのは楽しいことでした。

頭部、首、肩や胸のライン、・・・・、よくできていますね。
- 2016/09/13(火) 00:00:35|
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木彫作家として利き手が不自由になれば、それだけで落胆は尋常なものではなかろうと思う。
こんな道楽写真愛好者でも、万が一視力を失えば、どんなにか辛いと思う。

私が「写真を撮らせていただけませんか?」と声をかけさせていただいた時には、瞬間、逡巡された。
その時,、奥さんが強く「撮ってもらったら?! 私も写真がほしいから。」と促してくださった。
「孤独の作家」と書くのはふさわしくない、とその時思った。

ただ、・・・・私もそう思うのだが・・・人は、やはり本質的に孤独なんだと思う。
その孤独と向き合うからこそ、人を愛したいと思うのだろう。
その本質的な孤独に加えて、現代社会のありようや、その人の人となりからくる加重する孤独感もある。
私はこういう孤独感から目を背けたり、浮薄な興奮に誤魔化してはならないと思うので、この人の作品は一層心に響く。
記憶をたどって私とのほんのわずかな交流の瞬間を思い出してくださった。
言葉も不自由なので、歯がゆさを押して「2年前」と筆談してくれた。
2年前に会いましたよね。あの時のあの人ですよねと身振りで伝えてくれた。

力強い言葉だった。

作品の一点一点を紹介したいのですが、そうもいきませんから・・・。
作り出されたものと会話できる作品に出会う事は、そう度々あることではない。
だから私は幸運だと思う。

聞けば、私より幾分お若い。
まだまだ活躍の時間はある・・・・と自分にも言い聞かせながら。

おくさんをはじめご家族の支えやファンの期待に応えてこれからも良い作品を生んでいただけるものと思う。
そういう意味で、私が、川添さんの幾分御不自由そうな姿も撮ったのは、未来から今を見たからに他ならない。
- 2016/04/13(水) 00:00:30|
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「孤独の作家」と書いてみたが、それは違うと思った。
この方には2年ほど前にお会いしたことがある。

マロニエというギャラリーで個展をされていた。木彫作品と言って良いのだろう。
その作品は心が漂泊しているという印象の孤独感を強く湛えたものだった。
叫びもつぶやきも飲み込んだような静かな造形は、何度も作品の前に足を止めさせた。

部屋の隅に立つ作品が、ことに印象的で、私はいろいろな角度から見直していた。
そこに川添さんが背後から、「何か感じていただけるものがありましたか?」と声をかけられ、しばしこの作品についての会話があったと思う。

私は自身が個展をして、率直な批評がほしいなあと感じてもいたし、個展をされる方への礼儀だとも思っていたので、思いついたことを素直に申し上げた。
すでにすぐれた作品をものしている方に門外漢があれこれ言うのは憚られる、それが一般の考えだろうと思うのだが、その門外漢に向けて発表されているのだから、そこに何がどう通じているのかお知りになりたいだろう・・・そう思う。

実はこうして撮影をさせていただいた時に、奥さんのあ話で初めて知ったのだが「個展のときには、ただでさえ多い酒量が一層増える。とても精神的な疲労が多い。あの時もいろいろな反応に対して随分深く抱え込み考え込んでいた。」のだそうだ。
そういう誠実な精神が作品にもよく表れている。
私がある作品を気に入って、「ただこれを載せている台はもっと細くて不安な線を描くものがいい。」と・・・・買えもしないのに、こんなことを言ってすみませんねと言いながら・・・・つぶやくと、「ぜひ作り直してみるから後日見てほしい。」と言われた。

その機会を得るか得られないかかという頃に発病されたらしい。
人の噂に、ただ事ならない病状を聞き、心配していた。
で、今回の作品展のおはがきを受け取り、まず真っ先に出かけたというわけだ。

マロニエでお会いした時は会場の暗さもあり、またギャラリーでの毎日で神経が疲れて尖っていたせいもあったのか、表情はこんなに柔らかくなかった。
今は懸命にリハビリに取り組み、奥さんの支えもあって、依然として不自由な体ではあるが、制作にも意欲をお見せになっている。
- 2016/04/12(火) 00:00:09|
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