私は艶っぽい世界にはとんと縁のない生活をしてきました。
芸子、舞妓の世界は言うまでもなく、和服の姿の良いおかみさんがいるような呑み屋にも行ったことがありませんでした。
「洋」の方にも行ったことがほぼありません。

ある時、鴨川に沿って自転車で走っていると、多分玄人だなと思う方が三味線のお稽古をされていました。
開店前の一時、おさらいをしているのだという事でした。 小料理屋さんをされているとのこと。

それはこの方です。前の方を「お姉さん」と、その片は呼んでおられました。

師匠の前でおさらいをする会があるので来ないかと言っていただいて、花見小路にあるとある料理屋さんの二階に伺いました。

花見小路の料理屋さんで飲んだり食べたりしたことなんかありません。
接待などという代物がない職場でしたし。 まして自腹を切ってなどとんでもないことで。

こういうところでセ゚撮影をするなんてことも想像できませんでしたから、おろおろしてしまいます。
照明なども今まで経験したことのない条件ですしね。
難渋しました。

なんでも経験してみないとわからないものですし、逆に言えば一つの経験が、次の少しマシを生み出す貴重な宝だということも知りました。
何もかも手探りです。 今でもあまり変わりませんが。
- 2021/01/27(水) 00:00:03|
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太夫の正面前方はすっかりカメラパースンで占められています。
太夫の周囲は人だかりですし、たくさんのカメラが取り巻いていますから、なかなか良いカットは撮れません。
事前の計画では見物の方たちが歩道側でご覧になると思い込んでいましたので、私は高瀬川の流れの中から撮るつもりでした。それで幾度か下見もしたのですが・・・・・。
ところが交通規制がかかり車が止められましたから太夫の前後左右とも人垣でなかなかチャンスがありません。そこで結局、道路側から撮ることになりました。

この写真は、後で太夫に叱られるかもしれません。
太夫はどちらかと言えば現代の顔のつくりをしていますから、こうして「江戸期」の版画を思わせる表情が私としては気に入って取り上げました。

この辺は「道中」をとったものとはいえませんね。
衣装は重いし、暑いし、そのうえ独特の高い下駄は重くて高いので歩きにくさは格別です。
第一足元が見えませんから、介添えする「おかあはん」などがいなければ、行動もかなり不自由です。
昨日の初めの写真では川にしつらえられた「床」でカメラパースンの要望に応えていますが、川岸から床に降りる石段は両方から手やひじを支えなければとても降りられませんし、また上れません。

かなりの重労働です。
「禿」さんは、「おかあはん」の住む町のご近所の小学生です。

太夫の頭上にかざしている傘を持って従うのは何時もこの方です。

そして向かって右手におられるのが元高砂太夫だった「おかあはん」です。
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- 2015/08/31(月) 00:01:59|
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