京都の街の変化史の一面を表しているかもしれません。
町の魚屋さんです。

この頃の買い物はスーパーかコンビニというケースが増えているんだと思いますが、こうした魚屋さんがまだあります。
八百屋さんもあるにはありますが、それとは別に小さな野菜販売店がぽつぽつできているような感じもします。
皆さんの町ではいかがですか。

先ほど客の依頼で「おつくり」を作っていました。刺身包丁できれいに鯛?を切っておられましたが、声をおかけするのを逡巡してその様子を撮る機会を逸してしまいました。
この辺りは壬生です。ここから北に上がれば新撰組ゆかりの壬生の屯所跡のある辺りです。
南に下がれば中央市場に近くに出ます。
一筋西には小さな商店街があるのだと思います。ここは、ですから、人の往来から少し離れた住宅街の一角です。
でも多分、こうした住宅街の「おなじみさん」である人たちの生活を支えるお店になっているのだろうと思います。

「新規のお客さんはほとんどないねえ。皆お馴染みさんばかりだ。」とおっしゃっていました。
ご主人は、「私の代で終わりになるよ。」と言われていましたが、そうかもしれません。
この辺りも街の住人の高齢化が進み、それで大いにこのお店が役立っているのでしょうが、その一時期を過ぎれば町も再開発されてしまう運命なのかもしれません。

スーパーは便利です。確かに便利です。野菜も魚も肉も味噌もしょうゆもお菓子も・・・・一回りすれば手に入りますしパック詰めされていますから買い物袋にもおさまりやすい。
支払いも一括ですし、ポイントもたまる。
自動車でも来れますしね。

「この頃のお客さんは、話しかけられたり、会話しながら買うのが嫌なんじゃないかな。」とご主人がおっしゃっていました。
「現金ですか。ポイントカードはお持ちですか。 袋はご入用ですか。 ○○○円です。 お箸はお付けしますか。 ありがとうございました。」 ただ一方的に言われるだけです。 その間お客は「ハイ か イイエ」を答えるだけ。 無言でレジを通ることだってできます。もうお金の受け渡しもしないで済むんです。
職場で疲れて来てるんだから買い物を済ませたらら早く帰りたい、煩わし会話はいらないという人も少なくないのでしょうか。

便利なのはいいですが、便利だから幸せな街だとは、幸福な暮らしだとは言えないと 私は思いました。
続きを読む
- 2022/03/11(金) 00:00:03|
- 働く人々
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日から3月ですね。国の内外が大揺れに揺れています。
さて昨年11月はお一人の方にしか撮らせていただけなかったという、私にとっては大参事でした。それはまさにCOVID-19の広がりとそれに対応する政策の影響である訳ですが。
それが今年の2月は【2月1日から明後日の3月2日までの30日間では】 25人もの方の協力をいただく結果になりました。かつてない人数で、どうしてこういうことになっているのかその原因、背景を知りたいと思います。何か社会心理学的なことがあるんでしょうかね。まん延防止措置が出され、とても寒い毎日だったのにこの数字です。(以前、年間200人のペースの時は月平均が約17人ですから「25」という人数の多さが際立ちます。)
一先ず備忘のために書いておきます。
・・・・・・・・・・・・・・
山の中腹に配置されている校舎は複雑な道を作っている。
それで学生に「7号館に行くにはどう行けばいい?」と訊くと「ここを出て本館の中を通って、向こう側に出るとピンクの建物が見えますから、その右手に沿って行ってもらうと、その奥にあります。」とのこと。
「ということはピンクの建物を越えたところにあるんだね?」「はい。」
その説明は間違っていませんでした。あとから考えてみれば。
ただ、「ピンクの建物の『奥』という言葉の取り違いがありました。

言われたとおりに進んでいくとそれらしい建物がありませんでした。 そのあたりにある掲示物を見つけて、その指示に素直に従えばよかったのですが、学生さんの言葉で作った私の「脳内地図」に従ったので、ピンクの建物の奥手=背後には何もなかったのです。
ただ、さらに山の奥に続く上り道があるだけです。 その右手はクジャクやオナガドリ?などを飼うケージがあって、鶏が甲高く、正調日本語で「コケコッコー」と鳴いています。
そして坂道のずっと奥には鳥のケージより何倍も何倍も大きなケージが見えます。
そしてその前に一人の男性が・・。

それが何なのか、その人がどういう方なのか興味津々で坂道を登っていきました。
卒展の時でなければ、私は既に不審者でしょう。 「ちょっと迷子になりました・・・。」
そのケージは「鹿の飼育」用のものでした。 雄鹿が2頭にメ雌鹿1頭がいました。
そしてこの方は鹿の世話を含めての「用務員」さん。

私の旧職場では「用務員」という言葉は廃されて、「技術職員」と改称されていました。
この方自身は別の仕事で社会に十分貢献されて、さらに何かできないかと応募してこられたんだそうです。
ここの鹿事情についていろいろお話をしてくれました。 この裏山には野生のシカもいるんだそうで。

飼われている鹿はこうして土を落とされ刻まれた餌を与えられますから、野生のシカのようにケージの外では生きるのは困難だそうです。
ですから何かの拍子に鹿が逃げ出すと、その鹿は・・・・。

子供の頃からバレーボールをしていて中、高、大、そして卒業してからは自らクラブチームを作って常に府下のトップクラスで活躍してきたそうです。
長いバレーボールとの付き合いから学び取った蘊蓄も披露してくれました。
通った中学では「その頃既にうさぎ跳びなんかさせなかったな。生徒を指導するのは先輩で変な強制もなかった。」と。当時は東京オリンピックの大松監督の暴力的で支配的な指導が天まで持ち上げられていた頃でした。私たち中学生は毎日の様ぬうさぎ跳びをしていましたし、隣の女子バレー部員は顧問の先生のビンタをくらわされていました。(その先生は生徒思いで、他の点ではよい面をお持ちの先生でしたが、スポーツ界は、なかんずくバレーボールの世界は暴力支配が当たり前でした。過去形にできるかどうかわかりませんが。)
この方の通った中学は京都の、いや日本の教育史に名高い旭丘中学です。
今でもそうして運動をしているためでしょうね。身体の動きは力に満ちていて肌艶も若々しいです。

さて、そろそろ下界に降りてまた学生諸君の作品を見せてもらいましょうか。
ありがとうございました。 ではまたお仕事をお続けください。
続きを読む
- 2022/03/01(火) 00:00:04|
- 働く人々
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
精華大の卒業・修了制作展に行こうとして自転車で走っているときでした。
とても寒くて雪も降ってきました。 北山も西山も雪に煙ってかすんで見えます。
早く叡山電車に乗り換えたいなあと・・・。

そう思って走っているとその雪の降る中でポツンとこんな人が。
「豆腐・・・・・」
「えっ?! こんな寒い中、住宅地でもないこんなところで豆腐の販売?!
自転車を近くの駐輪施設に預けて、電車の時間まで少しあったので近づいてみました。

さすがに「豆腐」ではなくて「米粉ケーキ」を売っていたのです。
だろうね、それにしてもこの寒空の下で・・・・。
でも人が商売をして生活していこうとしたらそんなやわな根性では食べていけませんよね。リタイアして長いのでつい甘い考えをしていました。 電気工事だって、工事現場の誘導員だって、・・・・・雪だから休みますって訳にはいかないわけで。
野菜の行商の人だって多少の雨や雪では休みません。お客さんだって待っていますからね。私は甘い。

趣味が転じた商売だそうです。
この場所にはよく来るんだそうです。 私も週に3回はこの近くを通るのですが、ここからは陰になる辺りを通るので全く知りませんでした。 たまにおにぎり屋さんも横に立つそうです。

この通りは叡電を利用する人や枡形商店街に行く人などが通るところですから、案外いい場所かも知れません。それに下賀茂神社への通りでもあります。なるほどと思いました。
たやすく移動できる車に乗せていますから、固定して販売しているわけではないのです。 まあ、移動販売の範疇なのかな。

寒くて少し体を動かしたくても離れられないから辛いねといいますと、「いえ、これを弾いて歩けば身体は直に暖まります。」と。
そう言われるまで車輪に気が付きませんでした。ここに来るまでだって車輪がなければ難しいということはすぐにわかりそうなものなのに。
商品の入った箱は・・・・今はその必要はないのですが・・・・保冷できる工夫がされています。

撮影した時には雪は降り止んでいましたが、傘をさしたまま歩いている人がいました。
この日帰るときには風が冷たくて、向かい風が額にあたってキンキンと痛むほどでした。脳の血管がどうにかなってはまずいのでネックウォーマー頭から耳に被りなおして帰りました。それくらい冷たい日でしたから、彼の足元も冷たいんじゃないでしょうか。
風、ひかないようにね。
- 2022/02/26(土) 00:00:04|
- 働く人々
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
熱心に練っています。
ガラス窓をコツ事と叩いてこちらに気付いてもらうというのは仕事の邪魔でしょうし、仕事中の人に対して失礼ですから、顔を上げてこちらを見るタイミングまでじっと待ちます。
そして顔を上げた時に、カメラを高く上げて、反対の手で指さして・「撮らせてもらってもいいですか?」という顔をします。
そうしたら手指で「OK」マークをしてくれました。

最近は多くの人がスマートフォンを持っていて、何でもかんでも写真に撮ります。自分にとって「いいなあ」と思えば即座に撮ります。相手かまわずです。
私は、写真愛好者ですからそういうことはしません。 写真愛好者が培ってきたエチケットを守り育てたいものです。

この写真は、半死半生のソニー・α900にキャノンのFD85ミリ F1.2を付けて撮っています。 私にしてはいいレンズを持っているでしょう?!
α900は私の設定を、私の了解なく変えて動作しますし、設定している途中で値がくるくると変わって定まらないことが度々出てくるようになりました。「撮らせてくださいね。」とお願いしても失礼な結果になることが発生しています。
これはもう一年以上も前からの事ですから、この間ずっと次のカメラを意識してきました。そこのとはこれまなんどもしつこいほど書いてきましたが、とにかく今出ているカメラは中古のも含めて文字通り「帯に短しタスキに長し」でして、「解なし」状態が続いてきました。
それで、「壊れて使えない≒カメラがない」になってしまっては話になりませんから、ついに決断の時が来ました。

この写真の撮影は、本当に気に入っていた、私が高く評価するこのカメラに対する気持ちに「引導を渡す」ためにしていました。
正月『元旦」から「引導」などという言葉は使わない方がいいのでしょうから「諦めをつける」と言い直しましょう。
それで、今年からは今までと全く違うカメラで撮ることになります。
私がもっているデジタル・カメラはソニー、キャノン、フジフィルムですが、なんとそのどの会社製でもないものです。ですから知識も関連資産も全くないという訳です。 果たしてこの決断や如何に、どういう未来になるのか。
マウントアダプターも手に入れなくてはならないですね。大出費の年初めです。

でも「まだこれから何年かは撮り続けたいのだろ?! だったら「今という条件の中でベターな選択をして、『人を撮る』活動を続けよう」と自身を説得してきたわけです。 年金生活者ですからハードルは非常に高いですがね(苦笑い)
2000人撮影。10回の個展。
これを達成をしようとすれば、次の頼りになるカメラは必要ですしね。

それにしても長い時間「次のカメラ」を考えて来て、今の日本の一部のカメラメーカーの心底が見えてきたし、写真文化についてもいろいろ考えさせられてきました。それはそれなりに良い経験だったと思います。
今やカメラ生産の状況は大きく変化していますが、結局、10年余り前に、キャノンやニコン勢の中でソニーの、しかもα900を選んだ時と同じ判断基準で、いろいろ妥協を余儀なくされながら選んだことになります。
さあこれから撮らせてくれる人たちの気持ちに応えられるような写真が撮れるでしょうか。
そうなるといいなあと思いながら、新しく手に入れたカメラとともに2022年を始めます。
続きを読む
- 2022/01/01(土) 15:00:01|
- 働く人々
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

久しぶりに通った道で畳屋さんが仕事をしていた。
話しかけたのはこの方のお父さん。 気さくに撮影をOKしてくれたお父さんが、外に用事があるというので、「奥にもいるし・・。」と息子さんを紹介してくれた。

実際の事は知らないけれど京都には案外畳を作る人工場(こうば)が多いような感じがする。
多分、寺社が多いことや和風料理店や旅館が多いことと関係しているのでしょう。

、
以前、京都御所内の迎賓館に畳を納めたという職人さんとお話したことがありますが、素材から製作から収める作業から相当に神経を使ったようです。そしていいものができたとおっしゃっていました。
ここでもかなり高級なものから、団地用のものまでさまざまに製作されています。

我が家にもかろうじて8枚の畳が入っています。が、畳表こそイグサですが、畳床が石油由来です。
この部屋があるだけで随分気分が違います。
この方が今作っているのは全て石油由来です。

お父上にイグサの畳表と石油由来のモノを比べさせていただきましたが、イグサはいい香りがして落ち着きますし、独特の緑色が目にも気持ちいいです。
石油来の方は肌触りも汗を吸いませんしべたっとした感じで色も日に焼けたイグサ色で、それ以後は変色しないわけです。
最近は生垣に建てる支柱も色の変わらない長持ちするプラスチックの竹風のものが多く見られますね。
我が家も「どうしますか?」と訊かれましたが、竹を使ってもらいました。そうなると一年で退色し、数年で部分的に朽ちてきます。
でも、やはり竹がいい。

このころの建物は新建材で作られ窓もサッシで気密性も高いです。
壁は化粧合板で、畳も石油由来だと室内には湿気がたまり、換気をせっせとしないと…ちょっとした旅行に出かけた留守の間にも・・・カビが生えてしまいます。
その点伝統的な土壁やイグサの面で床が藁で作られた畳は湿気を「呼吸」してくれます。
引っ越してくる前の家は壁に珪藻土を塗ってもらいましたが、とても良かったです。
今の家は予算がなくてクロスです。
畳も伝統的なわらの床にしたいものです。でもこの家はそもそもそんな厚い畳は入れられない構造です。悲しい。

安価な住宅はありがたいですが、しかし、殊にマンションなどでは湿気によってカビが蔓延して子供たちの健康を脅かしている一面があります。もっともダニは発生しにくいでしょうが。
窓を閉めたまま、気密性の高い部屋で、加湿器や除湿器で・・・エネルギーを使って・・・調整する。
床はフローリングで、落ちた埃は積もるでけですから人が動くたびに舞い上げる。ここでまたエネルギーを使って空気清浄機を動かす。
畳ならその目に埃を捉えて舞い上がることを減らしてくれる。 まあその代わり一年に一度は天候の良い時に畳を起こして外に出し、叩いて埃を飛ばさないといけない。 今はそんなことをするだけの贅沢な「外」もなければ、埃を飛ばせば「音がうるさい」「埃を飛ばすな」と苦情殺到だろう。
節電節電といい、地球環境を守るために発電の仕方を考えようというが、電気エネルギーの多消費生活スタイルを根底的に問い直す時期だろうと思う。
畳の存在は、それにある問題提起をしているように私には思える。

夏の日なか、畳を敷いた部屋で大の字に寝転ぶ。あの快適さを思い出した。

この方が男性1000人目でした。 ずっと以前、総計で1000人に達した時に「我ながらよく撮ったなあ。」と少し思いましたが、今日は男性だけで1000人。一方は女性は814人で、なんとその差が200人ほどになってしまいました。この差を埋めることはもう不可能ですね。
- 2021/10/29(金) 00:00:02|
- 働く人々
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
前のページ 次のページ