スワヒリ語が国語ですが英語も公用語ですから・・・欧米の様々な国の植民地化がされましたからね・・・英語で応答してくれます。

写真を撮らせてくれませんかという求めは度々されるのでしょうね。
初めは「描いているポーズ」をしてくれました。 ですから筆が止まっています。
で、私は描くのを続けてください。」とお願いして、撮りました。
でも、こういう一枚も・・ね。

以前アフリカのどこの国でしたっけ、少年少女のダンスチームが京都に来て、リハーサルの写真を撮ったことがありました。が、そのリズム感と姿態の自由さと魅力的な表現力に驚きました。あの子たちも素敵だったなあ。

外国人観光客が立ち寄って「素晴らしい」を連発していました。

もう少しお客さんが少なければマスクを外してもらうところでしたが、そうはいかない繁盛ぶり。

ギャラリーの中は色にあふれています。

彼はビザの関係で3か月しか日本にいられないようですが、全国のデパートを回っているとのことでした。

後日、撮った写真のプリントをお届けしました。
とても喜んでくれて、あの日描いていて仕上がった絵を指さして「見ろ。」と。
そしてマスクを撮って撮影です。
- 2023/02/19(日) 00:00:04|
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タンザニアはオルドヴァイ渓谷を持つ国である。
日本がひっくり返ったって逆立ちしたって、皇紀2600年をでっちあげたって、その文化の長さはとっても追いつかない、比べ物にならない国である。
その国から来たティンガティンガの画家である。

ティンガティンガについてはウィキペディアには「ティンガティンガ は、1960年代にタンザニア・ダルエスサラームにおいて、エドワード・サイディ・ティンガティンガ、1932年 - 1972年) が生み出したポップアートの手法。」と説明されている。
だからその手法の歴史は浅い。

工事現場にあるエナメルペンキを使って描かれる絵は彩度の高い鮮やかな色彩に満ちている。
そこにはピカソらが取り入れたアフリカの民族的な嗜好が見える一方で、西洋絵画を吸収した現代的な表現も見られる。
私は色彩や特異で魅力的な形状と共に、画面に満ち溢れるリズムを感じる。それがいい。

彼は最初の写真にあるボードに書かれているようにマサイの人たちを多く描いているが、その身体表現と・・・部族を示すのだろうか・・・それぞれがまとった衣服のデザイン性が素晴らしい。

この鮮烈と言ってもいい表現。もし私がレストランとかcafeでもやっていたらぜひ壁に架けたいと思うだろう。

実は撮影させてもらった前日にこの展示販売会を見つけて、しかもアマニ氏が制作実演をしているのを知り、…カメラを手にもしていないのに・・・「どうぞ写真を撮ってください。」と会場スタッフに促されて、「僕が撮るとブログやFBなどで公開しますがいいですか?」の問いには「どうぞ、どうぞ。」ということになったのです。
でカメラを取り出すと大失態で、電池切れでした。 外出する時には必ずカメラを取り出して一枚シャッターを切るのに・・・この日は。

で、すぐ翌日、出直したのですが、「禍福は糾える縄の如し」でして、昨日はまだ薄い淡い色の線でほとんど下書きのような状態でしたが、今日はこうしてティンガティンガの特徴も見えるまでに描き進んでいました。
何が幸いするかしれませんね。
- 2023/02/18(土) 00:00:02|
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裸体の女性を描いた絵を街中のギャラリーで展示するというのはなかなかレアなことではないでしょうか。
私はDMを手にした時からぜひ見に行こうと思っていました。
増田さんは、被爆1世、2世の肖像をたくさん描いてこられて、昨年、このギャラリーで個展をされましたが、それを見たときに氏の存在を知りました。

氏はあることを契機にして50歳の時に絵を描くことを初めて、その後、とある大学の通信制で絵を学んだそうで、以後ずっと描かれています。
・・・ちなみに、絵を描く際に対象を写真に撮ることがありますが、その経験から写真にもたいへん強い興味を持たれてやはり本格的に学ばれているようです。なにごとも、やるなら本気で本格的にという信条のようです。

きちんと謙虚に学ばれたればこそ今日の到達があるのでしょうね。
私とは大きく違うところです。私のように学びのない人間は結局詰めのない人生になりますね。

モデルを引き受けてくれた人とは、氏がなぜ、どのように描きたいのかを十分お話しして、始めたそうです。
会場の絵はすべて同じ人がモデルです。
「女性の美やエロスの表象とされてきたヌード写真が、実は男性の性的幻想による、男性が理想とする女性の美やエロヅを描いてきた」(笠原美智子『ジェンダー写真論 1991-2017)、そして、男性が支配的であり優位である社会では、男性のということが「人間の」と読み替えられてきたのが歴史の真相だということを笠原氏は言っている。
写真を絵に、彫像に置き換えても同じことです。

私は自分の写真展で「若い魅力的な女性たちの写真」を展示するときにいつもこの問題提起を頭においてやってきました。
と言っても笠原氏の問題提起に対して、問題を正しくクリアしてというのではなくて、皆さん、どうですかと投げ出すという姿勢で。
ほとんどこういう問題意識でコメントしてくださる方は性差、年齢の如何を問わずありませんでした。
で、なおさら増田さんの絵を見たかったのです。

増田さんからは絵に関することだけではなくて多岐にわたることについてお話を聞かせていただきました。

多方面について、非常に問題意識の高い方で、しかも行動的な方です。
そして何より・・・写真で見てお分かりのように・・・「真面目」な方です。

ですから、撮る人間としては初めの増田さんの表情を崩すために、とても苦労しました。
いろいろ取材を受けて…大手五紙の取材を経験されているそうです。・・・・作品とともに写真を撮られる経験は少なくないけれど、「プロのカメラマンに、ちゃんと撮ってもらったことはないよなあ。」と後ろに見える・・・・展示会場のお手伝いに来ておられる・・・ご友人が言っていました。
おやおや、私はプロだとか写真作家だとか、一言も言っていないんですがね。
「前の個展の時に…」とか言ったのが誤解の元でしょうかね。
- 2023/02/17(金) 00:00:02|
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私が昨年の11月の個展をした京都写真美術館は平安神宮につながる神宮道沿いにあります。
この神宮道にはいくつかのギャラリーやお店がありますが、それがら共同して「神宮道上がる下がるアート☆カルチャー」なるイベントに取り組んでいました。その中の博宝堂というギャラリーで「ゴリラ・ライブイベント」がありました。

楽器演奏をする、ライブで絵を描くなどというのは私の大好物ですから、早速入らせていただきました。
ちょうど、ライブの時間帯でしたからも勿怪の幸いでした。

描く人は木立 章氏。

この日はたまたま85ミリではなくて24-70ミリをつけていましたから「撮らせてもらおう。」という気になれたのです。
これが85ミリだったか初めから諦めていたでしょうね。
風景を撮るんじゃないかな(大雪の後でしたから)という気が少しばかりしたものですから。そうなると24ミリがいい働きをするんですよね。

お声掛けをすると、すぐに応じていただけました。
お願いする前からもし撮るとするならと事前にいろいろ想定していたわけなんですが、撮るために私が立てる場所はごく限られていました。

それにこのギャラリーの照明は電球色と白色の蛍光灯が混ぜてつけられていましたから、ホワイトバランスがとても厄介で。
電球色の黄色を避けると白色の蛍光灯は青くなります。しかも気持ちの悪い色になるんですよね。蛍光灯は厄介です。
という話は置いて・・・。
ゴリラとかチンパンジーとかオラウータンを動物園で見ると不思議な感情がわきますね。
あの瞳には何が写っているんだろう。
彼らを見ている人間が彼らにはどう受け止められているんだろう、と。
こんな狭いところに閉じ込めてしまって申し訳ないなあととも思います。

描く人の表情を捉えるのはとても難しいですね。
自撮り棒のようなものにゴ―プロのようなカメラをつけて撮るか、それとも直径3,4センチのドローンにカメラをつけて撮るしかないでしょうか。
そういうことはきっと誰かしているでしょうね。
- 2023/02/02(木) 00:00:01|
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この方の個展会場です。

実はこの日、外に出るときに、どのカメラを持って出るか迷いました。
「ベストで行こう! それしかないじゃないか?!」
それでよかったのです。
あまり広くないこうした場所では、下がれませんので85ミリだと全身を撮りにくいです。
でも、この85ミリだからこそ撮れる絵というものがありますからね。
こういう表情が出てくるといいですね。昨日の写真と比べるとずいぶん違うように感じます。

なんだかモジリアーニの描いた女性に似ている人がいたように思うんですが、どうでしょう。
雰囲気がですよ。
こういう微妙な表情が出るというのはいいですね。
それを撮るのが人物写真の妙でしょうかね。
そういう意味でも無理なポーズなんていらないですね。

- 2022/12/20(火) 00:00:04|
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