フジのXプロ2は魅力的なカメラだと思います。
ドイツに行く前は本当に悩みました。 実際には決断できないで、手元にあるX20で撮ってきて、「この発展形で撮りたい!」と随分思いました。
でも、結局自分が撮るのはポートレートなのでXt-2に傾いています。
それでも「(XT-2の)ファインダーが、ファインダーが・・EVFだしなぁ。」とつぶやきながら決断できずに、ずるずると日を送っています。
- 2016/09/19(月) 00:00:38|
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マイセンの職人さんにはまた後日登場していただくとして、
ちょっと話題を変えまして・・・・、
ここはベルリンの「東西」を隔てていた、あの壁の跡です。

ソ連のスターリニズムも、それに対抗したアメリカのマッカーシズムなどなども、それぞれが互いに悲劇のスパイラルを作り出し、その先端で、こういう東西冷戦の悲しくも深刻なことが生まれてしまいました。
ドイツにしてみればそれをナチの扇動に駆り立てられて犯した自らの誤りの落とし子として受け止められています。そしてそれが、一面では、ドイツ国民が東ドイツ・東ベルリンの人に負わせた戦争の惨害なのだと。
沖縄の悲劇はそのように日本の犯した戦争によって負担させてしまったものだという思いで見られているでしょうか。千島問題はどうでしょうか。アメリカの責任、ソ連の悪行として、日本政府・国民が自らを問う声は弱いのではないのでしょうか。
こういう場所では、観光気分では落ち着かないのですが、しかし、一面ではここからまた未来を作る明るさも感じました。
そしてこういうところに見事にアートの力が発揮されています。

おっ!! 何か来たぞ。
みんなで足漕ぎペダルを踏みながら街を周遊して大いにビールを飲もうという事らしいです。
いいですねぇ。楽しそうです。
私が、親指を立てながら、カメラを向けて、君たちを撮るよと合図すると、一斉に、イェーッと声をあげて応えます。

他の観光の人たちも大いに盛り上がってカメラを向けますから、彼らも・・・・。

日本では「飲酒運転!!」ということになりますね。
誰か素面の人がハンドルを握っているんでしょうか。 どうやら運転手はいるようですね。
楽しそうです。 でも早く酔いが回りそうです。

日本のアートでは政治的なアピール、政治的な格闘がとても弱くて、諧謔やパロディーの力もひ弱です。
大規模な公募展などで見る絵などはほとんどその大半が人畜無害の目黒のさんまです。
アートの力が違いますね。

- 2016/08/11(木) 00:00:48|
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山や林や池の風景を撮る人、海や港を撮る人、街の雑踏や祭りを撮る人、花や木々を撮る人などなど・。・・・写真のジャンルもいろいろあります。
それぞれ好みや意図があるのですから、学ぶことは多いはずです。
人を撮るといってもこれまた様々です。
この刀は、当然のことですが・・・・模擬刀です。
映画の撮影に使うものじゃないかと思いますが・・・・。真剣は重いですからね。
塗り鞘に入った刀も数振りありましたが、その意匠がかえって邪魔になるような気がしてこれを選びました。
が、やはり短刀がほしかったですね。 後になってみれば簪や、小柄でもよかったなあと。

こういうポーズは十代とか二十歳そこそこの人ではちょっと難しいでしょうか。
この人自身が求める絵というものがありますから、自然にポーズが出てきます。
髪へのしぐさにこだわるのは私です。

「赤い布を噛んでください」とお願いしますと・・・・・このようになりました。
私は「情念」というものについてあまり考えたことがありませんが、それもまた人の属性ですから、無視はできません。ある意味でとても深いものでしょうから、主題として考える価値はあると思います。
ただこのような絵になってあらわされるような情念がどのようなモノかは、人生経験が不足していてよくわかりませんが。

「色っぽい」とか「艶っぽい」とかいう言葉はもう死語なんでしょうか。
『色気がある』とも言いますね。
最近は「色『気』」ではなくて、むき出し過ぎるように思いますが、いかがでしょう。

- 2015/07/03(金) 00:02:34|
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初めてお借りする場所なので、何をどの程度動かしてよいのか、お借りしてよいのか。
以前、スタジオ撮影を依頼されて、いろいろな経緯に加えて、経験がないこともあって、確かに撮れるという自信がなくてお断りしたことがある。

しかし、経験を積まなければ何事も始まらない。
来週の日曜日には、もっと明るくてこの情景とは真逆のような明るい室内での設定で撮ることになっている。が、その時も経験不足のクリップオンのストロボを使うことになるだろうと思う。
はたしてどうなることか。

それにしても刀剣があり、キセルがあり、手まりも燭台も拳銃も髑髏も・・・・・・。小道具がふんだんにそろっている。そればかりか
この建物の壁や建具を金箔や黒・朱で塗ったのもこの店の若いご主人だそうだ。
舞妓さんのだらりの帯だと思うが相当高価そうな帯も無造作に畳んでおかれている。聞くと未使用のだらりの帯でいつでも実際に舞妓さんが締めることができるものだそうだ。
街を歩く「舞妓の衣装の着付けサービス」でレンタルしているような帯とはちょっとレベルが違う。
後程、使わせていただく。

この人は狐の面なども作り、時に妖怪となってそこここに出没している。
「この部屋のそのあたりに『陰の気』が強い」などという。
私が「物音で振り返ったら、誰もいなかった。」というと、「そうでしょ。時々出てくるんですよ、この部屋。」とも。
「こちらを覗くんですよ。」

私には何も見えませんがね。
ガラス玉には何かが映るんでしょうか。

しかし、こうして撮っていると何やら小説でも書くような心持がして幾分興奮してきます。
谷崎や三島、あるいは上田秋成などを読んでみましょうか。
私としてはもう少し軽い浮世絵的な絵を目指そうかな。
う~ん、色味として「赤がほしいなあ。」とつぶやくと「持ってきていますが使いますか?」

・・・・・・・。
- 2015/07/02(木) 00:00:13|
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貴重な体験をさせていただいた。
今年3月に、あるギャラリーの主催で「仮面」をテーマに展示と仮面をつけてのパレードが催された。
その時に出会った方で「一度撮らせていただけるとうれしいのですが・・・・。」とお願いしていたのがようやく実現したことになる。

ここはある古物商さんの2階のスタジオ。3階にもスタジオがある。若いこの店のご主人も写真がお好きでこういう写真をよく撮られるのだそうだ。
FBなどで広く知らせると各地から撮影を依頼して若い女性が集まるのだそうで、お店にたくさんの作品がかかっている。
こういうジャンルがあることは知っていたが、自身で撮ることになるとは予想もしていなかった。

若い女性イラストレーターなどの作品には往々こういう絵柄のものがみられる。
何かしら興味を持たれその異世界に感興を得る人がいるようだ。
耽美的だとでもいうのだろうか。

スタジオらしくボックス型のストロボも、何台か置かれていて本格的だ。
私自身は滅多に使わないストロボを持参してきた。ストロボの強い光に照らされた写真が好きではないので、ほとんど普段は使わない。
今日は暗さに沈む世界を撮るつもりなのでストロボの光もぐんと落としてカメラの感度を上げて発色の悪い、荒れたノイズの多い写真を目指す。
着物はこの人が持参してくれている。

普段のお勤め先の仕事の関係で和服の脱ぎ着はお手の物。
実にきっちりと着付けている。
手の位置や姿勢を少しばかり指示するだけで、すぐさま倦怠感のある世界を作ってくれる。
お聞きすると学生時代には演劇の経験も持たれているのだそうで・・・・。

死、耽溺、退廃、被虐、性愛、破滅、異界、苦界・・・・・、こういう言葉が浮かぶ。
普段の私の写真のコンセプトとは遠い存在だが、実在世界の他面にこういう世界観や実態が存在することもまた確かなことだ。

当然ながらこうした時も撮るほうと撮られる方との合成力で写真はできていく。
この人が別の部屋で着替えている間に、私はふすまや道具たちに囲まれて次第にイメージを作っていく。
この人はご自身が写真も撮り、普段は映像の専門家たちと仕事をされているので、うかうかとしてことはできないのだ。
- 2015/07/01(水) 00:01:14|
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