一本の鉛筆
【作詞】松山善三
【作曲】佐藤 勝
1.あなたに 聞いてもらいたい
あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい
あなたに 信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば
私は あなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと 私は書く
2.あなたに 愛をおくりたい
あなたに 夢をおくりたい
あなたに 春をおくりたい
あなたに 世界をおくりたい
一枚のザラ紙があれば
私は子どもが欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたを返してと 私は書く
一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと 私は書く
引用させていただきました。
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「夏休みを奪われた子らへ」
この二人の男の子たちを見つけて、ふと上の言葉が思い浮かんだ。

近くで母親が見守っている。
渓流沿いの道はあまり歩きやすいとは言えない。でもその母親はスカートをたくし上げてでも岩を越えて子らを追ってきて、遊び興じる子を見守っている。

その母親と「町は暑いですが、ここは涼しくていいですねぇ」などと話をして、撮影のお許しももらって撮る。
「君たち何年生?」
「5年生!」

あの日5年生だった子たちは85歳になる。
85歳まであるはずの命を、あの年以降の「夏休み」を、あの瞬間に絶たれた子らがいる。

海外から生徒を引率して広島の夏を訪れる外個人教師がいる。
しかし日本国内では広島、長崎を訪問する「修学旅行」を計画するのは左翼的偏向だという攻撃を受けて、多くの小中学校は伊勢やディズニーに行くことでお茶を濁している。
核兵器と人類は共存できないという立場での授業は、左翼的偏向の烙印を押される。
そういう国に私たちは暮らしている。
- 2018/08/08(水) 00:00:54|
- 状景
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将棋というゲームは不思議な仕掛けですね。
手持ちの駒は9×2+2=20個ですから、初手には20の選択肢があると言えばあるのですが、実際はそんなことはないようで、まず、初手で桂馬ははねられない。
それで18の選択肢です。

左に角、右に飛車が配置されていて左右が非対称ですから、右の駒から動かすか、左から動かすか、それぞれの意味合いが違います。
ところが数手後には、どちらから動かし始めても結局は同じ駒の配置になることもあり、そうなるとそこまでの経過の意味はどうなるのかとか。
素人目にはよくわからないことがたくさんあります。

私は囲碁のルールはまるっきり知らないのですが、一時期、日曜朝のNHKの番組で囲碁の対戦を毎週見ていました。それぞれの置いた石の意味は何も分からず、形勢も勿論分からないのですが、それでも不思議と面白いのでした。
駒の動かし方ぐらいは分かる将棋はというと、どういう訳か昼からの将棋の対局は見ないのです。
おかしな心理ですね。

囲碁も、将棋もこの限られたマス目の中で石なり、駒なりを動かして勝敗を争うのですが、なんといっても「感想戦」というのがあるというところが素晴らしいと私は思うのです。
勝った負けたという事はとても大事なポイントです。が、対局の中での相互のやり取り、そこでの妙手をお互いにたたえ合い、拙着はそれでまたなぜそういう手を打ってしまったかなどをお互いに検討して財産にしあえるという素晴らしい文化です。
素晴らしい手が生まれるのは、相手がそれにふさわしい手を打つからであって凡手しか打たない相手に妙手で答えようにも応えられないということをよく理解しているからだと思います。

ただ勝つためには相手が不調であり、うっかりミスの凡手を連発してくれれば「ラッキー」なんでしょう。
しかし、棋士たちは「良い棋譜を残したい」ということをよく口にします。
お互いの高度な攻防が棋譜に残され、そこには両者の思考の跡が示されているのですから、対戦者がどれほど高い山に登ったかが万民に開かれていて、のちの時代の人にも分かるわけです。
それは片方の棋士だけでは決して登れない山なのです。

こういう文化を持つ私たちの社会で、先日の日大アメフト部のようなスポーツ観がむしろ例外的なものでないことを知るのは残念なことです。
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- 2018/05/27(日) 00:30:31|
- 状景
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高瀬川沿いにこうした石組みがあって、これをベンチにしてよく何かを飲んだり食べたりタバコを喫う人が見かけられます。
けれど今日は将棋を指す方たちが見かけられました。
この右手の方でもお二人が将棋盤を挟んで熱心に考え込んでいました。

夕涼みの縁台将棋ならぬ、高瀬川の風情を楽しみながらの将棋です。
これから夏に向かって納涼将棋が、ここで盛んになるといいなあ。そうすればこの辺りも雰囲気がよくなるのになあ。

最近、羽生名誉七冠、ヒフミン人気、そして藤井15歳7段誕生など、将棋の任期が高まっているようです。
将棋を楽しむ少年たちが増えているようです。 もっとも親の目論見から将棋をやらされている子もいるようですが、純粋・単純に楽しんでほしいですね。

私たち世代の男性の多くは・・・・・強いか弱いかは別にして・・・・将棋の駒の動かし方ぐらいは知っていると思います。
皆さんはいかがですか。
この将棋盤は波打っていますね。多分巻いて持ち運びやすくなるようなものじゃないでしょうか。マグネットで駒をひっつけられるのかな。
もしそうなら野原でも山の上でもできますね。

かつての職業は様々で、この将棋を通じて交流しているという風ですかね。
服装が、どうも元サラリーマン風ですよね。
月に2,2度お互いの都合のつく者たちが声を掛け合ってここで対戦を楽しんでおられるようです。

私のかつての同僚の中には相当に腕の立つ人がいて、よく「詰将棋」の問作を依頼されているという人がいました。
私などは「五手詰め」くらいで十分難しい。
- 2018/05/26(土) 00:00:53|
- 状景
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ページ冒頭でお見苦しいお知らせですがご容赦ください。
一昨々日、PCを起動しいつものようにメールのアイコンをクリックすると開くことができません。私のミスもあって使用できなくなりました。
それでブログをご覧の方でこれまでに私のメールアドレスをお知らせしている方々には改めてお伝えしようと思います。
このブログのコメント欄で管理者のみが見られる設定であなたのメールアドレスをお知らせください。返信させていただきます。
よろしくお願いいたします。 最近よく見る光景です。
結婚式の前撮りですね。
これも人物写真ですから時々自転車を停めて「どう撮るんだろうか。」と遠目に見学させてもらう時があります。
けっこう長い望遠レンズで撮っていることが多いですね。
背景を暈す意味もあるでしょうし・・・・なかなか思うように人がはけてくれませんからね・・・・・・普段とられ慣れてない人を撮るには距離を置いたほうが緊張されないのでしょう。
それに・・・というか予想するにこれが一番かなあ・・・・一眼レフに白い大きな望遠レンズ付けて撮ってくれたら・・・・・それ自体が一つの演出で・・・・・撮られる方の非日常感はグンと膨らむでしょうしね。

「新郎」君に声をかけて了解をいただいて撮りました。
一日かけて撮るんだそうで高鷹体力的にもハードですが「普段しない格好をして一日あるいていると何だか気持ちもそれに慣れてきて不思議な感じです。」とのこと。

一日中カメラを向けられて写真を撮るなんてことはそうそう経験するモノじゃありませんからね。
背後に若い男性二人が飛び石の上で完全にくつろいで座り込んでいます。(上の写真の右手に写り込んでいるのはそれとは別の中国人?男性二人。)こちらからカメラがむけられていることは視野に入っていると思うし、写真に写り込んでいるのは容易に想像できると思うのですが、だからといってどうこうしようという気持ちはさらさらないようで、カメラパースンはそれをどうしようかと随分困っています。
少しすれば移動してくれるかなと時間を稼いでいましたが、まったくそんなことは意に介すような気配がありません。そこで諦めて・・・・。
カメラパースンやスタッフたちは「すみません。ちょっとどいてもらっていいですか?」とは言えないようです。「後から来て勝手に写真を撮っているんだからどけとか言われたくないね。」という反応が予測できるからでしょうか。
「あんたらの営業に協力する義理はないよ。」でしょうか。
まあそういう理屈もあながち理解できなくはないし、一般の写真撮影者に対して、そちらの方が傍若無人だったりするのでそういうことを言いたくなることも重々承知ですが、その若者二人にはあまりに周囲への気配り・遠慮がないなあと感じます。
ほんの数分どいてあげるだけでいいのになあ。

ここ白河あたりでも前撮りは盛んです。

せっかくこういう衣装なんだから全身を入れて撮らないとダメですね。

ウエディングのカメラパースンもいろいろとポーズを提案したり、少し遊びを入れたりして工夫をしているのが見られますが、こういう場所を選んでいる時点で、どうなのかなと思いますね。新郎・新婦の要求なのかもしれませんが。
顔を寄せ合ったりしてもらっている場面では大概女性の方が積極的で腹が座っていますし、うれしそうです。

自分ならどう撮ってあげるだろうかと思いながら見ているのですが、あんなに逆光を多用するんだなあとか、逆光でストロボを使わないのに順光で使うのはどういう理由なんだろうかとか教えてもらいたい場面によく出くわします。
それにしても大概クリップオンストロボを付けたままずっと撮っていますね。
あれも不思議です。必ずスタッフがついているのに。

- 2017/11/18(土) 00:00:00|
- 状景
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ぞの昔私は京都の町の景観を撮った写真をアップするブログをしていました。
開店休業のまま長いこと放置してあるというのが実情ですが、
事情があって見返してみましたが、これもまたなかなか楽しい。

特に私がしなくちゃいけないというブログでもないのでこれからも開店休業ですが・・・。

新年に入ってもまだまだこれから冬本番ですが、ちょと華やいだ雰囲気をお送りしようと思いまして・・・・。

次の写真を見て、あれここは宮川町じゃなくて、あそこだな・・・と気づかれた人は大変な京都通ですね。
- 2017/01/16(月) 00:00:21|
- 状景
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