吉林省から来ている調理人(厨师)さん。
お店の御主人は台湾人。

ここのランチは充実しているのですが、殊に鳥のから揚げ定食はボリュ-ムも味も大満足。
男前さんです。

私は遼寧省に行っていたことがあるので、東北三省にはなんとなく親しみがあります。なんとなくですが。もう一つが黒竜江省ですね。
私たちが高校の日本史で学んだ高句麗好太王碑文は吉林省通化市集安市にあります。
同僚と一緒に集安市に行って新たに保存施設が作られた碑文を見てきました。

集安市は中朝国境の鴨緑江を挟んで対岸に満浦市が見えるところです。
集安市は河岸に沿って・・・あまり華やかとも大規模とも言えない・・・・ネオンサインがきらめいていましたが、対岸の北朝鮮側は火の気が消えたように静まり返っていました。
夜見ていると自動車の灯下が遠くにたま~に走り過ぎていくのが見えます。一台が通し瑠ぎればしばらくはまた深い闇に沈みます。

私のようにぼんやりした人間にはそれと見えませんでしたが国境警備は厳しいとのことでした。
でも対岸から小船で漕ぎ出せば肉声で大声を出して会話ができそうでした。
この辺りは元来小朝鮮族の故郷ですから、東北三省には多くの朝鮮族が住んでいて、ある程度の自治権をもっているようです。

早朝から太極拳や様々な武術・舞踏を楽しむ人の姿は日本と趣が違いましたが、登校する小学生、出勤する男女ののざわめきの風景は日本と変わりありませんでした。

国内の観光者もあるところでしたから、私がカメラを提げて撮り歩いても誰も訝しく見る人はいませんでした。
中華包丁を持つ腕がたくましいですね。
この幅広な包丁で大胆にも細やかにも何でもこなしてしまうのですから、すごいものです。それによく切れます。手入れがいいのでしょうね。

中国で若い素敵な友人たちを得たこと共に、中国での体験が定年後の私の生活意識を大いに変えました。
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- 2021/01/25(月) 00:00:01|
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毎年思うのですが、正月二日になると、もう二日じゃないか、あの「新年明けましておめでとう。」という感慨はなんと足早に行ってしまうのかと。
いわばもう普通の日になりかかった・・・・と敢えて言わなければ、本当にある月のある日と同じような普通の日になってしまいそうな・・・・第2日目です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうです、この笑顔。
自負と覚悟に裏付けられた笑顔とでも言ったらいいのでしょうか。

こういうお店ですし、その若主人ですから様々な媒体の取材を受けてきただろうし、撮影をされてきただろうと思います。
多分、そうだろうと思います。
だからというのではないのでしょうが実に自然体です。
私が撮っているこの時には、私には有名店でたくさん取材を受けているだろうなあなどという、そういう気付きは全くなくて、ただただ料理人さんを撮れる愉しみといった感じで撮っていました。

本当は無知ではいけないのでしょうが、私の場合「知らぬが仏」が功を奏することがよくあるのです。
世間がえらいと言って持ち上げているような人に向かうと自分を卑下してはいけないと変に力んでしまったり、あるいは実際に感心してその敬意が嵩じて身を固くしてしまうからです。

別の角度から見ると、これまで1500人余りの方に出会って、なかには何人か叙勲者やら、その道の「お偉いさん」という方々にもお会いして、成り行き任せに写真を撮らせてもらいながら、少しずつ耐性が培われているのかもしれません。
要は図々しくなることができるように「成長」したという事でしょうかね。

私の「五カ年計画」の課題でもありましたしね。 今一歩図太くなることが。
さて京都の中の京都っ子であるこの若主人。
多分、聞き間違いでなければ2021年に復活する計画の祇園祭の鉾「鷹山」の囃子方もされていると言います。これまた間違っていたらごめんなさいね。
京都人であるということは実に重層的に京都人であり、伝統文化に対する深い教養と磨かれた感性と、そして京都を職において、又、一人の町衆としての生活においてその過去から未来へ継がれていく時間を担うことが欠かせないのです。
その奥行きと深みをもつものだから、京都人とは一筋縄ではお付き合いできないと言われてしまうのかも知れません。
京都人おそるべし…なのです。
- 2020/01/02(木) 00:00:03|
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新年明けましておめでとうございます。
みなさん、どうぞ本年もよろしくお付き合いの程お願いいたします。 皆さんのおうちでは「お節」はどうされていますか。
我が家では長い間、家人が忙しい勤務を終えて冬休みに入ると大車輪で重箱に詰めていました。
でもここ数年は、そこまで生真面目にしなくていいんじゃないかということで少しずつ変貌を遂げてきています。
私が今年最後になるかなと思いながら高瀬川沿いを自転車で走っているとこんな情景に出くわしました。

あと何年かで京の老舗の仲間入りをするだろう「京料理 本家 たん熊 本店」の前で・・・たぶん…鰤を焼いています.鱈かな。間違っていたら、ごめんなさい。・・・。
「お節」に入れるのだそうです。
奥の調理場でも、二人の焼き方が並行して同じことをしているのだそうです。すごい数になりますね。

このお店は2019年にもミシュラン一つ星。
この「若主人」が三代目だそうです。
私はそうしたことにとても疎いので「たん熊」さんには私などは到底出入りできないという事だけは知っているという情けないことです。が、それは仕方がありません、私のこれまでの収入では。
ただこの方からしばらく話を聞かせていただくといろいろ感心することがありました。

あまり目先を変えたりするのではなくて伝統の味をきちんと守っていくのが自分の役割だし仕事だと思っている、というのです。
が、それが頑迷固陋に過去を墨守するというのではなくてホームページには次のようなことがかかれています。
(この時も若主人が話してくれたのですが・・・。)
「本家たん熊本店は 京都ハラ|ル評議会様より HALAL メニュ|を提供する ムスリムフレンドリ|レストランの 認証を頂いております 豚肉・アルコ|ル類を使用しない京料理 その他にもベジタリアンメニュ| コ|シャユダヤ教メニュ|など お客様のご都合に配慮したメニュ|も ご用意しております お気軽にお問い合わせくださいませ。」と。
ここに京都で伝統を守る人の革新性がありますね。
創業が「昭和3年」ですからお店の年齢は今年で92歳。この人の代で、100年を迎えることでしょう。そうなれば「京の老舗」と呼ばれる資格ができます。
その自覚と責任をひしひしと感じます。

そしてお茶などをたしなんでいることは勿論ですが「写真を撮るのも好きなんです。 料理も芸術ですから。」というのです。
こうした料亭の主人たちは皆さんただただ料理と経営だけをしているのではなくて様々な分野の芸術を通じて自らの感性を磨いておられるんですね。
確かに、京都のライカ店でのパーティーによく料亭の若い主人たちを見かけます。
・・・・・誤解があってはいけませんので大急ぎで付け加えておきますが・・・・・私はそうしたパティ-には、招かれた人の後ろについて紛れ込んでいるだけです。
- 2020/01/01(水) 00:00:01|
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私は露店などでの「買い食い」をあまりしません。
祭りや縁日でも然りですし、手作り市に出ているお馴染みさんのお店でも同じです。
親がそういう事をしなかったせいだろうと思います。
そんな私が「食べてみようかな。」と思いました。

トルコの方でしょうか。 ケバブを焼いています。
テレビ番組や映画の中ではよく見る風景です。
それに最近の私の中にある来日して働く外国人に対する関心がそうさせたのかも知れません。
日本に来て7年目だそうです。

「辛いのがいい? 甘いのがいい?」
「辛いの? ずいぶん辛いのですか?」
「本当はもっと辛い。でも日本人に合わせてあるから大丈夫と思う。」
「じゃあ、辛いほうで。」

焼かれている肉からはずいぶんと油が出ています。
奥側のスピーカーのようなものがヒーターです。
「夏の8月に始めた。 正月はたくさんの人だったけど、今は少なくなった。」
夏だったらビールが美味しく飲めるんじゃないかと思いました。そしてやはり食べてみると「ビールがほし~いっ!!」
いえ、辛すぎたからではありません、程よく辛くて美味しいのです。

500円硬貨を握りしめていたのですが、カメラを取り出す際に、ついポケットに戻してしまい・・・・。
「500円ね。」と言われて、
あれっ?! 今ここにあったはずななのにどこに行った?とうろたえてしまいました。
「いいよいいよ大丈夫。急がないで、いいよ。」
インド料理のナンを薄く焼いたようなものに削った肉を挟みます。
そしてそこにキャベツやピクルスを・・・。このピクルスもまた美味しかったです。

この日はたまたまキャノンの5Dに85ミリのプラナーをつけていましたから、フォーカスはマニュアルです。
そして、この後の撮影でも、なぜかちっともピントがつかめないのです。
状況が暗いと、本当にピントに苦しみます。 いったんf1.4の開放にしてファインダーを明るくしてフォーカスし、それから適正に絞ればいいという様な事さえ、うっかりしています。
相変わらずの初心者ぶりです。

オート、オート、オートに慣れてしまうと、ただ被写体に向かってレンズを向けてシャターを切れば何とか写るという悪い癖がついてしまいます。
そうしないようにできるだけマニュアルで撮っているのですが。

撮るのはもっと話してからにすればよかったというのが最大の反省です。
いつもは結構しつこく話すんですがなぜか急いでしまいました。基本に忠実でないといけません。
- 2017/01/21(土) 00:00:04|
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私がよく食べに行くお店のお店のスタッフが店長以下メインの厨师、サブ厨师、そして幾人かの服务员が他店に移りました。
その後に来た人たちとはまだなかなか話ができません。
とにかく忙しいからでしょう、「憤然」と仕事をしているのです。笑顔になる余裕もない・・・・のかなあ。

この人は中国から来ているようなのですが、まだ出身省も聞いていませんし、日本語がどれくらいできるのかも訊ねていません。
腕は確かなようです。
とにかく店長はじめにこりともしないで仕事をしているのですから「いい天気だね。」なんてこともなかなか言えないわけです。

前のスタッフと一緒に「転勤」しなかった服务员が二人いて、その人たちと時々言葉を交わす程度なのです。
で、少し前に店長に「その(仕込みをしている)肉は何キロくらいあるの? 5キロくらい?」と話しかけてみました。
そうすると、まさに文字通りの破顔一笑!! 実に人懐っこい笑顔で「そんなにはありませんよ。3キロかせいぜい4キロまでですね。」なんて話ができたのです。
大概の場合、私の「人見知り」の緊張が相手に伝染しているので、「お互いむっつり」の責任の多くは私に有るのです。

若い中国人の女性店員が日本語が少しできるようですので「(彼に)写真を撮らせてもらえるか尋ねて?」とお願いしました。
「店長がOKならいいよ。」とのことでした。
すると店長さんは顔一面の笑顔で「OK]を出してくれました。

私がシャッターを切っている間、少し緊張気味に作業を続けていましたが、


私が撮り終って「謝謝」と言おうとすると、それより先に大きな声で「ありがとう。」と言ってくれました。
それはお客として食事をしてくれたことに対する「ありがとう」ではなくて・・・・・。
それは私にとってとてもうれしい「ありがとう」でした。
- 2017/01/18(水) 00:00:20|
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