
このギャラリーでは、この奥庭で立体作品を展示するようになっています。
庭の向こう側に高いビルが建つようになり景観が変わってしまいましたが、ギャラリーオーナーのHさんは作家たちの要望に応えて頑張っておられます。
一方またギャラリーは作家たちに支えられるという訳ですが。
木の枝から落ちた葉は「木から独立したのだ、解放されたのだ。」と石山氏は言います。
決してただ死んだ、終ったというのではなくて、地上に落ちてもなおそれぞれの個性をもって存在し続けているのだと。

屋内に展示された木の板を切り抜いた「葉」たちが床に寝かして並べられるのではなくて、ことごとく姿勢は様々でも「立てられ」ているのは、そのためです。
もう存在として意味が無くなったり、役割を終え切っているのではなくて、依然としてそれ固有の「存在」を保っているのだというのです。
それでそれぞれ太〔屹立〕しているわけです。

葉の形に抜けた『跡』もまたただの空虚ではないというのです。そこから見える世界を与えているというのです。
例えば私の父が亡くなった。そのいなくなった跡が以前として私に問いかけたり、世界を見る目を与えたりしている。『跡』にもその葉の痕跡があるというのです。

「自分ももういい年やしな。そういうことを考えるようになったんやろな。」
この木かて個性があるし、葉をより遠くに飛ばして、その地の滋養にしようとしている。とんで行った葉もまたその役割をもって落ちるんやないかな。
道路に広がった葉たちを見てもそれぞれに色も違えば形も違う。それが一緒くたに掻き集められて燃やされたりするのは、なんとなくいたたまれんなあと思うんやけどね。
そうした葉たちを描いた屋内の絵が何とはなしに優しく暖かみをたたえていたのはこういう石山さんの気持ちの反映なのではないかと、「そう言う訳だったのか。」と思いました。
石山さんが「老いを生きる」私たちに対して「まだまだ」と言っているように思いました。

「生き生きとした枯れ葉」というyの葉形容矛盾かも知れませんが、どうもそういうことのようです。
どうです、この若々しい生き生き感は!
- 2021/12/24(金) 00:00:06|
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枯れ葉というか落ち葉というか、それが取り上げられた作品です。
ちょうど晩秋のこの時期、ギャラリーの奥庭は落ち葉が敷き詰められています。
そんなかに板状の、又筒状の陶器に表現された枯れ葉たちが混じります。


普段はあまり作品の写真を載せませんが・・・。

作者の石山さんです。

作品について・・・・実は建物の二階の展示場には木製の作品が展示されているのです。やはり枯れ葉をテーマにした。・・・いろいろお話を伺い、この枯れ葉を取り上げた思想の深さに感銘しながらの「写真を撮らせていただけませんか?」でした。

正直に言いますと後付けの説明になるかもしれませんが、室内にある油絵の感じ・・・・落ち葉が硬い乾いた感じではなしに、肌合いのガサゴソした感じではなしに
・・・・確かに枯れ葉であり落ち葉であるのに?何かどこか優し気な感じで描かれていたこと。

私が二階のベランダから見ていた時、そしてこうして降りて来てお話をしているときに氏から感じる空気が、いわゆる芸術畑の人とは違うものを帯びている感じ、その理由が(本当に理由として繋がっているかどうか怪しいものですが)、お話を伺って合点がいったように思いました。

この方、油絵もされますし、木で立体も作りますし、こうして焼き物の作品もおつくりになるのですが「私の本業はこれではないんです。
「友禅染」の「糸目糊置」の職人さんだそうです。(赤字部分は石山さんにご指摘をいただいて訂正させていただきました。石山さんありがとうございました。西陣は「織」で友禅が「染」です。)
なるほど「職人さん」のにおいがしたのか!

私はたくさんの職人さん、多少の絵や立体の「芸術家」たちとお会いしてきて、どことなく空気の違いを感じるのです。
職人さんの中にもただ注文を受けて「高い技術を発揮する」だけではなくて、自分自身の作品作りをする方が何人もおられますが、多くはその個性的な表現や手法について見せることについて気持ちが控えめです。 思いが弱いというのではないのですが、あまりこれを見よという風が濃厚な方は少ないように思います。
- 2021/12/23(木) 00:00:00|
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若い人が個展などをしていると、つい育ってほしいと思って、じっくり見てしまう私です。
いえ、作品をですよ。

この作品の対角にサン・ティグジュペリの「星の王子さま」に出てくるバオバブの木の生えた惑星のような作品がありました。
火山も二つ?

この人も4回生ですから、今年は卒業制作の一年ですね。
卒業制作は他学部で言えば卒論のようなものでしょうか。気合が入りますね。
毎年一つ二つの大学には卒展を見に行きますが、その学生の4年間と未来がそこに見える気がして時々切なくなります。

こういうギャラリーでは光が黄色くてケルビン値を3000未満にしてもなかなか適正なフォワイトバランスとはなりません。
最近のカメラなから相当に適応力があるのですが、私のα900では対応しきれません。
ケルビン値だけでの対応には限界があります。 ISOもまた1600以上にしなくてはならなくてあまりきれいな画面は期待できません。
でも、記念としては何もないよりいいかなと思って。
制作の思いや苦労、あるいは工夫などを聞かせてもらうのは楽しいものです。
- 2021/09/11(土) 00:00:12|
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会場に入るや否や「異世界」が広がります。
こんな顔に対面することになります。

このギャラリはマロニエと言いますが、今回ここの3階から5階の各フロアはある芸術系の大学の4回生が学内セレクトによって「展示の管理」を与えられて個展をしています。
つまり平たく言えば成績優秀者ですね。
その一人山口君の作品。
これはなかなか衝撃的ですね。

彼が子供の頃お母さんが物干し場で「人の顔をした鳥を見た。」と彼に話した時から、ずっと頭にこびりついていた「人の顔をした○○」が基底にあるんだそうです。

多くの作品の本体は発泡スチロールでできているそうですが、それに「毛をはやして」かをを付けているのですが、なかなか精度も高いです。
その作者がこの人。
たくさんのペンギンを着ています。

今年は卒業制作のある最終年です。
これらの作品の発展形で卒業制作に臨むそうです。
これがこれらの作品群の中では初期のモノ。
私は、特に何かなければこの大学の卒展・修了展には出かけますから、きっと彼の作品を見つけることができるでしょう。
どんなものになるのか楽しみですね。
これが一番新しい作品だそうです。

よく人の顔の観察ができているなあと感心します。 そしてこう見ると何とも不気味なんですが、どことなく愛敬もある。

私はこういう良くできた、又挑戦的な作品を見ると俄然いたずら心が湧いてきて、いろいろやってみたいことが浮かぶのです。
そのやってみたいことを実際にやると大概こうした作品の本来のコンセプトを台無しにしてしまいそうなんですが。
でもそういうことを制作者と話して楽しい時間を過ごすことがいいのです。

こういう作品が河原町通か四条通りに並んだら、それはそれは話題になるでしょうね。ギャラリーで展示するのはもったいないです。

この人の通う大学には大きな造形物を作るのがお好きな先生がいます。 私はその作品はあまり好きではないのですが、しかし、公共空間に設置して人々を楽しませるこういう制作はワクワクするでしょうね。
こんな時期ということもあって、たまたま私の他にお客さんがいませんでしたので、マスクを外していただきました。

昨年から今年。多分彼の3,4回生は新型コロナによって随分不自由を強いられるものでしょう。他の仲間との甲虫で、切磋琢磨し、刺激し合う機会も制約されているでしょうしね。
第一大学という設備の整った場所での政策ができないのですから困ったもので「授業料返して!!」とも言いたいでしょうね。
そんなかでもこうして頑張っている学生の姿を見ると励まされますね。
オリ・パラだけが人を励ますのではないのです。
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- 2021/09/10(金) 00:00:04|
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私は写真を撮っている方に「あなたの写真はいいね。」と言われたことがあまりたくさんはありません。
逆に相当厳しい評価を受けたことはありました。
ただ、そもそも写真を撮っているような方に写真を見ていただいたことがあまり多くないことも事実です。
(それで、というわけではないですが、今年11月の半ばに写真を撮る人が良く出入りするギャラリーで写真展をすることにしました。ただ、それが主目的ではなくて、そこには海外の方がよく立ち寄られるからということと、この6月の写真展の作品を一回の写真展だけでお蔵入りさせるのはもったいないからというのが主たる理由なんですが。)

むしろ他ジャンルの、絵画や音楽、あるいは工芸の職人さんたちに見てもらうことが多いです。
そういう人がどういう感想を漏らしてくれるかの方が断然興味があるからです。

先日とあるところで写真雑誌をパラパラと見る機会がありました。とても優れた良い作品が寄せられていました。
井の中の蛙になる愚を犯してはならないなあとも思いました。

それでも写真を撮っている人たちよりほかのジャンルの人の評価が気になるのはそれなりに理由があると自分では思っているのです。
こう考えるのには、写真についての基本的な知識、技能がないことの裏返しの心理が背景にあるのかもしれません。
まあ、そういうことはあまりごにょごにょ考えても生産的ではないですから、とにかくもっともっとたくさん撮りたいと思います。
ようやく1年以上にわたって私の心を捉え続けてきた写真展が終わって解放されたのですから。

こういう魅力的な表情をお持ちの中高年男性と、若い素敵な女性たち・・・・それが当面のターゲットです。

この方にも快くご協力いただきました。ありがとうございました。
『私が撮る写真はこれです!』と言えるようになりたいですね。
- 2019/06/24(月) 00:00:57|
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