白塔の付近の川も護岸が整備され、たくさんの木々が植えられています。
塔の近くを川が流れることでとても雰囲気が良くなっています。水はこの辺りではどこでも清流とはとても言えませんんが。
それにしても瀋陽の街はどちらを向いてもクレーンが何機も見えます。
(⇔)

このアーチ型の橋も真新しいものです。
この公園の設計者もなかなかの力量のように感じました。橋の位置と形状がが良く計算されているように思えました。

こちらの川は石が配置されていて、川底の部分にも石が敷かれていますから、水は流さないのかもしれません。
まだショベルカーで掘ったままという感じがあります。
来年の今がころは緑が根付いて、もっと違った表情を見せてくれるのかもしれません。私が見ることはもうないと思いますが。

昨年は塔だけが孤立して立っていましたが、関連施設も復元されようとしています。
コンクリートとレンガでの再建だからこそ1年ほどでできてしまうのでしょう。法隆寺などのことを思うとこの急速なやり方で大丈夫だろうかと思うのですが、とにかく形だけはできてしまうようです。
(⇔)

文化大革命では多数の寺院などの文化遺跡が破壊されたようです。その文化大革命の過ちを取り戻すためには、まだまだ時間と莫大な費用が必要なようですが、こうした事業によって巨大中国の「国民」がまた新たに形成されていくのでしょう。
領土問題などという「荒業」で国民意識を喚起するのではなく、着実な文化事業の積み重ねで、その目的を達してほしいものです。

日本でも富士山やらオリンピックで「日本」の喚起が懸命にされています。
まるで途上国と同じように「ニッポン」に熱中しようとしています。
どこかの党は「日本を取り返す」などといっていますが、日本はもう少し成熟した国民意識、国家意識をもってもいいのではないかと思います。
「にっぽんよいくに つよいくに」に逆戻りされたのではたまりません。
(⇔)
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/07/09(火) 00:13:28|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
瀋陽には東西南北のほかに二つの塔があります。
私の職場から比較的近かったのが、そのうちの一つ白塔です。ここには昨年も行ったのですが、その時にはまるで工場用地のための更地の工事現場に、取り残されたように「塔」だけが立っていました。
中国の文化財のありようにがくぜんとしたものです。
白塔のある付近の街並みです。
手前の整備された広い舗装道路も、向こうのマンション群もごく新しいものです。
(⇔)

白塔が見えます。 その周囲には、相変わらずクレーンが林立しています。
(ちなみに帰国して入院した病院の窓から京都市内を眺めた時に、・・・景気の悪さも反映してか・・100度くらいの視界にクレーンの姿が2機しか見えませんでした。なんて落ち着いた風景だろうと思いました。)
(⇔)

この辺りには露天市場が並び、赤レンガの古ぼけた住宅がまだ残っていました。しかし、それも既に新しいビルの背後に押しやられ、表面的には一気に綺麗な街に変貌しています。
日本の東京オリンピックの建設ラッシュ、高度成長期の開発の時と同じですね。焼け跡時代から続いた露店や高架下の商店街などはブルドーザーで追い立てられました。
(⇔)

ところが一歩白塔を囲む新建設の公園内に入ると、緑いっぱいの公園に変貌していました。
瀋陽の土地はさらさらとした砂地のような地質ですから植樹には必ずこうした支えが必要です。強い風も吹きますし。
道路の街路樹にしても、一気にまるで魔法をかけたように並木ができてしまいます。そのテンポは、まさに一気呵成といった感じです。
(⇔)

昨年見た雑然荒涼とした風景を見つけることはできません。
成程どこを見ても突貫工事の痕跡がありますし、映画のセットいった趣がないわけではありません。
しかし、私が昨年ここに来てから10カ月の間の変わりようには、文字通り〔あいた口がふさがらない」というくらいの驚きがあります。
(⇔)

公園と川を挟んだ向こう岸のマンション群と、子供の遊具を備えた公園の様子です。
(⇔)
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/07/08(月) 08:57:33|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3
合唱の声は素晴らしいです。男声もしっかり声を出しています。
担任の先生の評価につながるのだそうで、先生方の熱心さもかなりのものだそうです。が、それだけではない学生たちの意欲を感じます。
(教員に対する管理職の評価はなかなかシビアなものがあるそうで、ことに前任の校長の前では相当ピリピリしていました。)
(⇔)

放送や記録写真・ビデオ撮影なども皆、学生がします。
・・・ちなみに私のパソコンの不調など理系の学生が来てちょこちょこっと調整してしまいます。こんなことで困っているんだけど、とある学生につぶやけば、学生のネットワークで、面識のない学生が「困っておられるとお聞きしましたので」と、突然現れて解決してくれます。
教師の役に立つこと、教師に親切にするということは学生にとっては喜びのようです。それは何か利害によるものでもなく、学校の指示でもないのです。
(⇔)

指揮をしている学生の過半が女性でした。
(⇔)

中学1年生です。この指揮者の服装を見てください。そして威風堂々とした指揮ぶり。
指揮台に立つ前に我々の前を通り過ぎるのですが、きちんと礼をしていきました。
彼に限らず、指揮を学ぶ塾に小さな頃から通っている学生がいるのだそうです。だから本格的ですし、コンサートを聞きに行った経験を持っているのでしょう。
「本格的」なものを見たり聞いたりして、それに憧れそれに近づこうとしていることを、茶化さないでリスペクトできる文化があります。
私が、それが大切だなあと羨ましく思いました。
(⇔)

閉会です。実に整然として、快い緊張感のあるコンクールでした。しかも、歌も指揮も、出入りも、鑑賞態度も、とても良好でした。
このあと彼らは修学旅行に出かけます。
そして全寮制の彼らは、しばし家庭に戻ります。・・・高3生を除いて。
(⇔)
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/07/06(土) 00:03:50|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
海外に旅行に行っても見られる物と見られないものがありますね。そこで生活してみて初めて見られる物があります。それはつまり〔内側」ですね。
私は、幸運な機会があって中国瀋陽のこの学校の〔内側〕を垣間見ることができました。
この日は学年の終わりまじかの合唱コンクールでした。
この学校は中高一貫校で、中1から高2までの学年対抗です。高3は受験勉強があって、「そんな場合じゃない」ということです。・・・日本でも高3は文化祭などの行事に参加しないようなとこがありますね。
実によく訓練されています。
私が会場に着いた時には既に学生たちは整然と待機していて、間もなく開会です。
開会に当たって担当の先生から何やら注意事項。まったくくどくどしいところもありませんし、声を荒げる場面もありません。この先生はとても学生に慕われている方です。
男女の学生がいますが彼らが司会をします。
(⇔)

面白うなあと思うのは、普段は制服の生活なのですが、こうした行事には、それにふさわしい服装をするのです。足元を見てください。体育館なのに、革靴です。こういうことを許容する柔軟性があるんです。
学生も教員も、靴を袋で包んでいます。みなさんも高校や中学校の時に「体育館では体育館シューズ以外は禁止! 忘れた者は裸足(靴下)!」などとかなり厳しく言われたんじゃないですか。

日本の生徒会(学友会)に当たるのが学生会ですが、その会長挨拶などもそうですが、こうした行事の開会のあいさつでもかなり高調子で話します。
集会で高揚させるある調子をよく知っています。お国柄でしょうね。
(⇔)

学年対抗です。
日本の学校の体育館によく見られるような舞台は出ていません。階段式の観覧席が舞台です。
この行事の様子を見て驚かされたことがいくつもあるのですが、その中の一つが指揮者の技量です。
彼ら・彼女らは曲想をしっかり理解して、文字通り全身で「指揮」をしています。
そして学生たちは、その指揮に従って歌っています。
(⇔)

前の学年が歌い終わりました。一列型以上すると、もう次の学年の最前列が入場してきています。その整然とした行動には目を見張ります。 先生方が、ほら早く行って! 遅れないで!などという声をかけている様子はありません。
大会前に入退場の練習などもするそうです。だからと言って先生があちこちで指示し、しかりつけてこうなっているのではありません。まあ言ってみればありとあらゆる集団行動の場で、入学以来不断に訓練されてきていますから、一、二度の事前練習で、こうして整然とした行動がとれます。
(⇔)

続きを読む
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/07/05(金) 00:13:18|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
図書館の入ると受付カウンターがありました。そこで内部の写真を撮っていいかと尋ねました・・・???
いえ中国語ができないものですから、下手な英語で話しかけたのです。すると受付嬢は「さっぱりわからない!」といった様子で奥を振り返りかえって助けを求めます。しかし、奥から援軍は現れません。
と、そばに寄ってきた・・図書館利用者と思しき…一夫人が、カウンター上に私の英語を通訳してくれました。そして「ロビーは構わないが閲覧室はノーだ。」と話してくれたのです。
私の英語はかなりおぼつかないものですが、その方はなかなか達者でした。ただ少々?訛っている?ような気がしました。この点はお互い様です。実に親切な方で、私の不安を読み取ったのか、しばらく様子を見ていてくれました。
ここはロビーです。うれしいことに絵が飾ってあります。
何人もの作家の絵がかかっています。
遠目に見てもお分かりのように、なかなかすぐれたデッサン力ですし、題材的にも好感が持てました。
(⇔)

閲覧室への通路を超えてその奥にも絵が飾られています。
閲覧室にはたくさんお利用者の姿がありました。中には入りませんでしたので蔵書の様子はわかりません。上のほうの階には日本語の文献もそれなりにそろっているそうです。
(⇔)

こちらの方たちの服装は大概こんな風です。
ですから私のような年恰好のものが、日本から持ってきた綿パンとシャツを着ているだけで「外国人?!」と思われるようです。
左から二人目の方のように・・縦のストライプのシャツを着ている方・・・こざっぱりした服装の方は珍しいです。
(⇔)

それにしても入場無料で本が読めるのは無論のことこうして絵や書を鑑賞できるのはいいですね。
私が最も気に入った作品です。
社会的には比較的底辺にいる働く人に対する眼差し。最近日本の絵画展ではあまり見られなくなった眼差しです。こうした存在が日本にないのでも少ないのでもありません。ただそこに向ける暖かい共感と敬意のまなざしがなくなっているのだと私は感じています。
(⇔)

(⇔)
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/06/13(木) 00:17:12|
- 瀋陽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
前のページ 次のページ