自分の写真がこういう方の仕事に遠く及ばないのに撮らせていただけるのは、本当に嬉しく感謝の気持ちでいっぱいになる。
私は実際、写真の人たちや作品から学ぶよりもこうした他分野の方々から学ぶほうが多いと感じている。
思わずうならされるような写真の作品に出会うことも時にあるけれど、撮る現場を見ないし作品化するその場を見ないから私の想像力が働かないのかもしれない。いや、もっともっと多くの写真作品に触れないといけないのだと思う。

だが、作品より現実のほうがより魅力的だと感じてしまうのはなぜだろうか。

こうした人たちの魅力に引かれて撮るのはとても楽しい。
それにしても私の撮る対象には偏りがありすぎる。
私の元来ものぐさと人見知りが災いしている。もっと視野を広くして「人を探したい」

個展をしたときに来廊してくれた方々がかけてくださった多くの言葉で、私自身が、今、沸々としている。

ソチオリンピックが近い。
それに関するTVの報道で気になることがある。
日本人競技者のうちメダル獲得が期待される競技者について連日報道して「日本人はみななこぞって日本人選手の応援を」的なムードを高めている。いつものことではあるが、これでいいのだろうか。
各競技に世界には有力で優れた競技者がいる。日本から出場する競技者は彼らと競い合うわけだが、その優れた人々の様子がほとんど知らされない。ただ日本人競技者だけがいるようだ。
日本人競技者がもし仮にメダリストになったとして、単に1位だったとか3位だったとかいうのではなくてどれほど強いライバルと競い合って勝利したのかがわからねばその価値を理解することはできない。
あるいは入賞を逃がしたとしても同じことだ。
競技するものに対する尊敬はその順位にだけあるのではない。本質は競技自身のその内容だ。
オリンピック、あるいはスポーツはは勝ち負けだけを楽しむのではない。
日本人競技者を『応援』するのも『当然』のことではない。
国際的に優れた競技者を見出して憧れたり応援することも、日本人が真にスポーツを愛好し、国際的な国民に成長する上で必要なことだ。
スポーツが「戦争」になぞらえられたり国威発揚や狭いナショナリズムを刺激するために使われてはならないと思う。
- 2014/01/31(金) 00:00:51|
- 工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
こんばんは、
遅くなりましたが、個展お疲れ様でした。いい写真を見せていただきとても刺激になりました。自分もこれからチャレンジしていきたいと思います。
今日の写真もそうですが、やはり職人さんの指先の真剣な緊張感とその眼差しに、この方の思いや仕事への姿勢を感じます。また、写真に力を感じます。
最後にかかれている、オリンピックのことですが、私もそう思います。なんだか変なナショナリズムが広められているようにおもいます。日の丸や君が代の強制にしても、オリンピックで君が代が流れて日の丸が上がるとかんどうするだろと。君が代や日の丸に感動してるのではなく、そこですばらしい競技をしたことに感動したことをすり替えられ、国威発揚に利用されています。同じ国民として応援はしますが、それは強要されるものであってはならないし、他国を応援したら、非国民のように言われる雰囲気は絶対に許してはいけないと思います。
- 2014/01/31(金) 19:46:26 |
- URL |
- kimさん #-
- [ 編集 ]
個展においでくださってありがとうございます。
kimさんのように意識の高い方に見ていただくと冷や汗が流れます。でも私自身よい経験をさせてもらたっと思っています。「写真の力を感じます」・・・うれしい言葉です。
kimさんの写真展の際にはぜひご案内ください。
- 2014/02/01(土) 09:11:45 |
- URL |
- soujyu2 #-
- [ 編集 ]