サッカーやベースボールのプレーヤーの動向が取りざたされる。
契約金が○○億円だとか、さらに有名なチームへの移籍だとか。
子供たちの抱く夢は当然のごとくこうしたものに影響される。
人々の関心もそちらにひかれる。
私はこの風潮に懐疑的だ。
織物は縦糸と横糸を交互に編むということが初歩的な原理だ。
全てがそうだというわけではないが、・・・織りの模様は横糸で生まれる。経糸はその横糸を支えて陰にある。
けれど織りを始めるためにはまずその縦糸が張られていなければならない。

このお二人の仕事はその手手糸を張る仕事。
2400本の経糸を黙々と張っていく。

経糸はその一本一本があげられたり下げられたり操作されて、その交差したなかを横糸が通る。
だから縦糸は紐の一本一本の穴に通されて上げ下げを待つ。

この仕事はたとえてみればピアニストのための事前のピアノの調律。あるいは舞台の床張りと言えるかもしれない。
聞く人は調律の見事さを聴きはしない。バレリーナが踏んでいるステージの床の硬さや反発を想像したりはしない。

けれどもそこには確実に、ある人の仕事が、情熱を傾けた仕事がある。

よく表彰された人が「この賞は私一人の力でいただいたものではない。多くの人の支えがあったからこそ、いただけたものだ。この賞はこうした分野にかかわったすべての人に与えられたものだと思う。」などとスピーチすることがある。
これは単なる社交的な決まり文句だと思ってはならないと思う。

この人たちの仕事が「作品」「商品」に出ることはない。
「日本の伝統の粋」として紹介される完成品にこの方たちの姿を想像する人は少ないだろう。
私もそうだった。
テーマ:ある日の写真 - ジャンル:写真
- 2014/01/24(金) 00:03:24|
- 伝統工芸
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身勝手な要望を汲んで、カラーの写真を載せていただきありがとうございます。おかげで経糸の色合いが見え。華やかな経糸の色に対して、地道な作業という構図がよく分かります。
- 2014/01/24(金) 19:16:06 |
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- いけの鯉 #-
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いつも拝見させていただいています。
今日の文章とても共感しました。
私は音楽に携わっていました。
まさに仰るとおりですね。
表にはでなくても とても誇りのあるお仕事だと思います。
どの分野にもそういう方達が支えているのですね。
- 2014/01/24(金) 20:40:03 |
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- #-
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写真を撮るときにカラーならどうか、モノクロならどうかと両方を視野に入れて撮るようにしています。
傾向的にはモノクロに傾きつつありますが、「本当の写真表現はモノクロだ」「モノクロでこそ空気感や精神的深みが出る」などとかいう固定観念は無意味だと思っていますので、そこは柔軟に柔軟に、というところです。
- 2014/01/25(土) 10:46:27 |
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- soujyu2 #-
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コメントありがとうございます。
金メダルしか、一位しか、勝者しか価値がないかのような風潮の中で一人一人の人生や労働の価値が見失われているように思います。スポーツなども成功する手段と化してしまい、それ自体を楽しむことがやせ細ってしまいかねないので心配しています。
拝金主義的、勝利至上的な人生観が、人を支える仕事よりも支えられるほうを偉いと勘違いさせてしまうと思うのです。
ちょっと立ち止まって考えなおしたいなと思いますね。
- 2014/01/25(土) 10:53:35 |
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- soujyu2 #-
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