中学生や高校生が「進路希望」を先生に訊ねられることは一再ではないはずです。
進路意識を高めるなどという理由で何度も何度も「進路希望」欄を埋めねばなりません。
でも「進路希望」って何なんでしょうね。 進学?! 就職?!
京都には国の予算もつぎ込んで小中学生、(そして高校生にも)将来の仕事を「体験的に」考えさせる大きな施設があります。(いまでもあるのかなあ?) パテシエ、コックさんになる?! 自動車の整備工?!
お花屋さん?! まあそういうレベルです。 それらの職業が悪いというのではありません。
ただ、「進路」を考えることって、こういうお店やさんゴッコでいいのでしょうか。
大人は子供たちに何を期待しているのでしょう。
また子供たちの人生の可能性をどう理解しているのでしょう。
人生観を耕す教育が不足してはいないかと・・・。
この方は中高の時にご自分の進路をどう構想しておられたのか。
おそらくは「進路希望調査票」に記入した通りの人生ではないのだろうと思います。

今はこの方を人生の同伴者として暮らしておられます。

おそらくは一般的な「親」からすれば、心配だらけの人生だと思います。
サーファーとして「もっといい波」を追いかけているうちに、いつの間にかインドのヒマラヤへ。
そしてそのインドの地で「石の魅力に惹かれて、それにのめり込んでいます。」

その石を求め、石の導くままに、世界を回る生活になったのだといいます。
インドには石を研磨することで知られた町があるそうで、そこに世界の石が集まり、美しく磨かれて、また世界の石の産出地に戻って行くのだそうです。

そのインドでこの女性に出会い、当時彼女が生活の基盤を置いていたスペインでしばらく暮らしたのだそうです。
「ということはスペインの方ですか?」
「いいえ、彼女の生まれはウルグアイなんですよ。私たちの会話は英語なんです。」
とのこと。
ここに並べられた石たちを見ていると、単に色がきれいだというだけではなくて何か不思議な内的世界を持っていて、そこに引き込まれるような気がします。
表面の色の奥から輝き出る世界がありますし、透かして発見する奥に潜んだ世界があります。

インドで石を仕入れて、世界の各地でそれを販売するという、いわば「流浪」の生活です。
日本にもつい最近、本当に久しぶりに帰ってきたのだそうで、この京都の手作り市にも急きょの出店です。
「これから四国の方にいってみようか、それとも・・・。」といいながら、
「最近、一つ所に根を生やした生活をしたいなあと思い始めているんです。」
大人たちはしたり顔で「結局そういうことになるんだから・・・。」初めからよい高校、良い大学、そして優良企業への就職をしておけば、今頃は・・・、と言うかもしれません。
その「結局は・・」という言葉によって無視されてしまいがちな「生活体験とその思い(時にはご自身が子供には経験させたくないとさえ思うような)」、それが人生の内実なんじゃないかと私には思えるのです。
ただ私にはこのお二人のように生きる動機も決意もなかかっただけで。
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2013/09/03(火) 00:04:41|
- 工芸
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| コメント:2
こんにちは、
今日の素敵な人たちも笑顔が清く輝いてますね、女性は残念にもうつむいた顔で目を見る事が
出来ないのが残念ですがパートナーですもの同じに輝いているんでしょう、 手作り市でのご縁
でしたか、昔日の人の持つ清々しさが滲んでいます、素敵です、 私は仕事で三十年も前に
西独逸で生活してましたが、授業料の無い大学に進学する方たちと技術を身に付けるコース、
マイスターになる為の人達の多さに これが真の姿と羨ましく感じました、又自己責任の国です
運転免許証も生涯使用可、車検も自ら車検場で検査を受けてでした、
この世に使命を持って産まれ 物の豊かさのみでの生活を求めている様な世の中で紹介された
素敵な人たちに拍手です。定住希望なら土地の安い房総半島がお薦めです、
嬉しくなれたsoujyuさん 有り難う。
- 2013/09/03(火) 10:55:53 |
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- umi925 #uBX3JtyA
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コメントをいただきありがとうございます。
ドイツでは、人間一人ひとりを自律した個人として見ることができる文化があるんでしょうね。そしてそうした個人個人が自分の生きる意味を大切にしているんだろうと思います。そういうことができる人間を育てるために学習・自己研さんの機会を保障する社会の役割も自覚的にとらえられているんだろうと思います。
学問・芸術・技能の成果とそれを担う人間が尊ばれる社会でありたいですね。
- 2013/09/03(火) 22:14:56 |
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- soujyu2 #-
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