昨日と同じ写真を、文章を変えて掲載しました。瀋陽での仕事も終わり、あと数日で帰国するのでいろいろ思いが募るからでしょうか。多弁になっています。 私が職場を訪れたときに、入構を門衛にとがめられないために出迎えてくれた女子学生。
在中の最後の日まで中国語のできない私の面倒を見てくれることになった二人のうちの一人。
「ちょっとお話ししましょう。」がいつの間にか「お昼を食べましょう。」ということになって彼女の友人と3人での食事。「中国には日本の喫茶店のような場所がほとんどないんです。中国人は食事をしながら、そこで(レストランで)話すんです。」ということらしい。

その話が親に伝わり、このレストランは親の紹介で、両親が送迎してくれる。それが中国のやり方らしい。大いに面食らう。親はメインの料理を注文して、いったん帰宅された。

中国の学校では、日本でいう学校のマドンナ、アイドル、「ミス、〇〇高」を「学校の花」というらしい。ほかの女子学生によれば、どうやらこの人がその『花』らしい。彼女たちの学校は瀋陽の頂点に立つ学校の一つだから、まさに才色兼備ということになる。しかも容貌外見だけではなく、実に明るくよく気が付く性格の良い学生で、スポーツを好み、初めて会った人もすぐ友達にしてしまう。ほめすぎのように聞こえるかもしれないが、決してそういう感じはしない。
ちなみに男子高生で人気のあるものを「学校の『草』」というらしい。「う~ン、『草』ではちょっとかわいそうじゃない?!」というと、『花』には『草』が合うんです。とのこと。

容姿の良さで人から愛されることはあっても、ちやほやされて何かしらいやらしさを含んでしまうという弊は少しも感じられない。
容貌の印象よりも表情の印象が残る。そこに彼女の禀質があるのだろうと思う。

彼女は「良い大学」に行くことになるだろう。だがその「よい」にからめ捕られていない青年としての志がある。

私の人生の「残額」は少ない。彼女の20年後、30年後を見られないのが残念だ。
現在の中国の現状からすれば彼女の志はまさに「大望」だろう。だがその志はアジア的課題につながる。静かでつつましやかな、しかし「大望」というにふさわしい彼女の志の行く末を見たい。そんな思いでシャッターを切る。
テーマ:女性ポートレート - ジャンル:写真
- 2012/08/18(土) 00:19:37|
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「撮りたい」と思える人に出会えて「撮れた」と思える瞬間を得られて本当に良かったですね。
「花」に「草」ですか。身近にいるけれど憧れや目標と見える人。懐かしい感覚です。同じ立場ならそんな感覚でしょうが、教える側に立てばどう感じるのでしょうか。
写真としては私は「草」くんの写真のほうが好みです。すみません。座り方、ひざの上の本、そして表情、ソファも彼に似合っていると思います。彼の人柄を感じます。上等な肖像画を見ているようです。他の「草」くんたちも見てみたかったかな。
- 2012/08/18(土) 14:12:46 |
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- Shin-Lu #-
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私が出会うことができた男子学生は、事実上二人でしたから、「生い茂る草たち」を紹介することができないのは残念です。
- 2012/08/21(火) 00:18:52 |
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- soujyu2 #-
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