寺ブラ(寺町ギャラリー巡り)をするととても貴重な出会いを経験します。これまでの私のブログをご覧いただくとそれを納得していただけると思います。
作品を展示するということはご自分を開示しているということですから、多くの方は人に対して開いておられるわけで、こんな私でも近づくことができるわけです。
「わく×8展」となんだか判じ物のような作品展が開かれていました。男性一人、女性二人の方たちの合同展です。隔年でこれが8回目だとか。
油絵ですが、三者三様の個性を持ちながら、ともにとてもいい空気の絵を書いておられました。しかも違っているのに共通した空気です。おそらくそれはそれぞれの「品」のあり方だと思います。
さて、中でお一人の男性は抽象画を描かれているのですが、この作品に・・普段私が感じる「抽象画は遠くにある。」という感覚を抱かせない・・・・とても柔和な親和性を感じました。まずこの感覚がこの作品展に長く足を止めるきっかけになりました。
その男性がこの方です。
私がリュックを担いでいつまでも立ち話をするものですから、お茶を勧めていただいたのですが、それをよいことに撮らせていただきました。

正直にいえば「魅力を感じる撮りたい顔」とうものがあるもので、話す先から「撮れたらなあ。」と心の下の方にうごめくものがあるのです。そして話すうちにそれが高まって「実は・・。」とお願いすることになるのです。
大体そこに至るまでになんんども「これはいいカットになる!」という瞬間を逃がしているわけで、
お許しをいただくとかえって慌ててしまって、カメラの設定やらピントに、狂いや甘さがてんこ盛りという体たらくです。

お話しぶりを撮るのに「手指にピントを・・」とヒラメキはしても「寄る」ことを忘れてしまう。
こういうところが実に迂闊なんですね。

絵の世界は「自由」だということを話していただいています。「外に出れば実にいろいろな縛りがある。そういう現実の縛りがなければ無秩序になるのだから、必要は必要だと思うし、それは守る。けれどそれだけじゃね。絵の中は何の縛りもない。それがいいんだね。」

話はいつしか釣り竿作りのことに。とても優れた釣り竿作りの師匠をお持ちだとかで、その方のことやその方の作った竿の話をする時は、目の輝きが一層増します。
そこで最高のお顔をされるのですが、慌てて竿を立てて魚をばらすへたくそ釣り人と同じで、こんな写真にしてしまいました。
魚を釣り落とした人は「こんな大物だった!」といくら話しても人を信じさせることは難しい。何せ証拠がないから。でも写真の場合は自分の「恥」を棚に上げれば、釣り逃がしたものが大物だったことだけは伝えられる。
- 2012/03/14(水) 00:08:08|
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「髭」ですか。そうですね。よく手入れされた品のいいおひげですね。私のような無精をごまかした髭とは違います。やはりそこにその人の品格が出るのでしょうね。
顔も髭も人生を語るようです。
- 2012/03/14(水) 20:30:40 |
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