私は若いころからあまり遊びにあるかないのでどこに涼やかで景色の良い渓流があるのかなどの知識がありません。
釣りが好きでヤマメなどを釣る人はよくご存じなんでしょうが、釣りの趣味もしません。
ものぐさであまり活発じゃありませんから、山歩きは面倒でやめておこうという事ですから、やはり渓流のある山奥になんぞいきません。

そういうことがリタイア後の楽しみ方を制約しますね。
どこの海岸がきれいだとか、気持ちの良い温泉があるだとかいうことは知っておきたいですね。
ただ昨今ではネット上でいろいろ検索して、初めてのところでもどんどん出かける方が多いようですが、私は、その「初めて」もよほど何かの楽しい動機、言い訳がないと、苦手ですしね。

その点で私の行動をかろうじて広げてくれているのがこのカメラですね。
カメラがあればこそ。随分お蔭を被っていると思います。

私のかつても職場の大先輩ですごくいい写真を撮っておられる方がいました。その方は若い女性に「モデル」を頼むと着てほしい服を一緒に買いに出かけ、例えば沖縄までの旅費・宿泊費を負担して、撮影をしておられました。
お~ッなんと贅沢な「趣味」であることよと驚きましたが、私の場合は対して交通費のかからないごく手近な場所で、せいぜいお昼をご馳走するくらいで、「服はどうしましょう。」と尋ねられても、手持ちの服から見繕てもらっています。

そのうち写真一枚を何10万円で買っていただいたり、数千円もする写真集が5万部も10万部も出て、講演や写真教室でがっぽり収入を得られるようになれば、先輩のような事もしてみたいものですが、もう時間的にも手遅れですね。
でもそういうことをしないことでフォトマヌカンをしてくれるこの人たちと良い関係で写真が撮れるんだと私は思ってもいるのです。

撮影料なし、モデル料なしで「ぼくの楽しみに協力してくれませんか?」というスタンスです。
そして、いい写真を撮れるように一緒に工夫するにのですね。
それで、この人たちは、ほとんどあの写真は嫌だ、こういうふうに撮ってとかいうことは言わないのです。
楽しく撮る、というのは作品になっていないなあとおっしゃる向きもあるんですが。

東京電力福島原子力発電所の放射線被害が、もうまるで無くなったかのように言う人たちがいるようです。
地下水が制御できなくて放射能を持った物質を含んだ地下水が海に流れ出している。凍土壁で止めるんだというのですが、それで止まっているわけではなくて、さらに汲み上げた地下水もタンクに閉じ込められてはいますが、もはやその建設も追いつかないし、もうタンクの増設にもお金をかけたくないし、もう(大丈夫だから)垂れ流したいですなんてことを言い始めている。
放射能をもった物質にまみれた汚染土を削りとって袋詰めして山積みにしている。取りきれたかどうかの検証は勿論必要だ、・・・様々なスポットで放射線は今でも検知されているという・・・・・袋詰めなどという、放射能の半減期に比べればその耐久力はほとんどゼロでしかないようなもので覆い隠しているだけだ。だなのに、もう放射能の被害は心配しなくてよいから、自宅に戻っていいよとか、農産物は絶対安全だから食べてくださいとか言われます。放射線を測定して異常なしということだけれど、そもそもその異常なしの基準について「科学的判断」をして来た基幹組織の在り方が疑われているわけで、科学的な検証を期待できるかどうかという肝心かなめのところが揺らいでいるわけなのだ。
だから早く復興のイメージを作りたいからだとか、営業や暮らしがあるからと言って疑問や不安の声を「風評被害を拡大」するなどと言って抑え込むことほど無責任なことはない。
それは福島の人々の正直な気持ちを押し殺す役割をも果たす。
かつて原爆で市民多数を殺された広島・長崎でも同じ現象があった。
「風評」という言葉には無責任な嘘交じりのというニュアンスが色濃くある。そういう言葉をかぶせてしまえば、復興のために懸命に努力している人々を想えば「許せない」発言という感情をかきてたることができるかもしれない。
しかし、現状を直視しないで被害の実態、深刻さをできるだけ矮小化し過小評価しようとする東電や原子力政策担当機関、政府の代わりに「風評被害」を言い立てることにならないか、お互いよく自分の発言を吟味したいものだと思う。
- 2018/08/15(水) 00:00:45|
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よく言って下さいました
ホントにそうです
風評被害という言葉が何も言えないように圧力にしてますね
あれから何も進んでなく、ただ覆い隠しつづけて忘れることを狙ってる感じです
だいぶ前に、金属製の物質は何千年経ても消えないと見聞きしたことがあります
基準値もあげたようですし、数値をそのまま信用する事も出来ない
この国は更に真実を知るのが至難の業になりましたね
- 2018/08/18(土) 16:32:57 |
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- carmenc #-
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コメントありがとうございます。
原発問題にしろ、部分的な「正しいこと」・・・例えば「被災地の経済復興が必要だ」などという・・・・をすべての判断基準にして、そのやり方や優先順位、誰の負担でするのかなどに問題があっても、それを批判すると「復興を妨害する」などという声でかき消そうとします。実はそこに不公正などがあっても、それで甘い汁を吸う人たちを覆い隠すすべとして「正論」を盾にするケースさえ見られます。
自衛隊問題を「被災地の救助に活躍している」、そういうかけがえのない活動を懸命にしている人たちを貶めるのかというようにして、災害救助と国際間の問題を軍事的に自国の利益を追求しようとする軍隊の問題を敢えて混同させる議論なども同じだと思います。
物事を情緒的にとらえる傾向のある日本人の特質をうまく利用したやり方だと思います。
掛け声や雰囲気、多数の雷同に惑わされない批判精神が必要だと自戒しています。
- 2018/08/18(土) 22:28:24 |
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- soujyu2 #-
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