これまで私の周囲に現れてくれた方たちの意欲的で旺盛な生きようは私には随分刺激になっています。
そういう刺激に促されて私自身としてはなるように生きているという感じでしょうか。
でもそれはそれでとても新鮮なワクワク感があります。

今年もそういうワクワク感に誘われてなにがしかのことができて行けばいいかなあと。
ただ、やはり「チャンスの後頭部は剥げている」「人生はもう長くない」「豚でもおだてられたら木に登れ」などという言葉で自分を奮い立たせることは必要かなと思います。元来ずぼらで、勝負の出来ない質ですから他人にはともかく、自分には「チャンスは前髪を掴め」と言い続けなくてはなりません。 こうして書いているのは自分への暗示かけでもあります。

でも一方で、この撮影の時にお茶屋の前で1時間余り待ちぼうけでいたのですが、「こういう事情でここに立っているのも二度とない体験なのだから、この場の空気をしっかり感じよう。」と思えるようになりました。
それは若者の感覚ではないのだろうと思いますが、これはこれで先が長くない者の一つの処し方・智恵かなあと思いました。
ドイツに行った時に、妻が「これが最後の外国旅行」だと繰り返していました。たった3度の外国経験なのですが「体力的に無理だから」と決めていたようです。
それで精一杯外国にいることを楽しもうとしているように感じたのです。
満彩希はんです。
かつてご自身が店だしの日にお姉さんに見送られたことを思い出しているのかもしれません。
誰しも皆が順繰りに人生の様々な段階・位置をたどっていきます。
そしてその時に成っていろいろわかるのです。老いて親の心を知るというように。

そして一瞬一瞬が初めてなのです。
それは人生のどの段階でも同じです。
ですから、どんなに経験を積みあらゆることに通じているようでもやはり今日の日は初めてなのです。だからワクワクできるのですね。
それと同時に、 「1999本のヒットを打った者にだけ2000本目に挑戦する不安と喜びがある」というように、積み重ねたものにだけ味わえる人生の妙があるはずです。
それを楽しみにしたいものです。

私が尊敬するある画家は70歳を過ぎて「これから10回の個展をする」と意欲的です。
せっかく1103人の人を撮ったのだから1104人目に挑戦する楽しみを味わいましょう。
そして、そういう単純な積み重ねに見えることでも、次第に状況は変わり新たな経験をするチャンスへとつながります。

実はこの日も玄関の前で待機するだけではなくて中に招き入れていただける可能性が全くないわけではなかったのです。
そういう事情が生まれるのも人の写真を撮ることを楽しんできた事によるわけです。
それがなるかならないかはまた別の事情によるわけですが、それもまた楽し、です。
- 2017/01/02(月) 00:00:19|
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