でも、多分、出すとしたらこの写真だと思います。
撮るときによく見ているつもりなのですが、ちっとも見ていないのだなあということが撮れた写真を見て分かります。
ですから「見て心を動かして撮る」のを信条にしているようなことを言っていますが、実態は相当かけ離れています。
それにレンズの癖なども、ツァイスはいいなあなどと言っているくせに実は分かっていないのです。
「撮れちゃった。」ことが多いのです。
この人の目と口元の表情はレンズの手柄でしょうね。

そのことでよく画家たちと話します。
「意識性と偶然」という事ですね。
こういう問題意識を持てるということ自体が写真をやっていてよかったなあと思えることです。それで他分野の方たちと話ができるのですし。

1枚目と2枚目を比べて、2枚目の良さは前髪でしょうか。
1枚目は目の上が、少しごちゃごちゃしてますね。
筆に絵の具を含ませる時から神経を使います。
絵の具の量、筆先のそろい方・・・・絵画でも書でも同じですね。
それでも、こういう時がせめてもの話しかけるチャンスです。
撮影許可を撮るときには、こういう瞬間までじっと待ちます。
そしてそれまでこの作業の巧みさと魅力をじっくり味わいます。

先日日本画を学んでいる学生が「構図に迷いがあるんです。今、構図についていろいろ勉強しています。写真でも構図はずいぶん重要なんですよね。」と話していました。
そうだと思います。
でも、私の写真は大概、三分割論や黄金比論から外れています。こういうのは安定とバランスの構図です。そういうことを明示しないで説明する入門書の多いこと。
映画やテレビドラマを見ていると素晴らしい構図が出て来ます。むしろそういうものを見て感情が動く構図を参考にします。
そこで動く感情の種類と構図の関係こそが大切です。

だからもっと学ばねばなりません。
絵を見に行っても彫刻を見ても、学ぶことだらけです。
写真展に行って参考になることは少ない。正直、そう思います。

自分にないものをいろいろな分野から学ぼうと動機づけてくれるのも写真です。
ありがたい趣味です。
自分にはできていないこと、分からないこと、知らないことが山ほどあって、他の人たちがいろいろ教えてくれる。そう思えて、興味や関心を他に向けることができるという事は、私のようなものぐさが活力を失って萎まないためにとてもありがたいことだと思うのです。
- 2016/09/25(日) 00:00:34|
- 陶器
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コメントありがとうございます。
仕事に誇りをもって誠実に取り組む姿には心惹かれます。
写真には表しにくい分野で活躍されている人もいますが、せめてこうした方たちを通じて働くことのすがすがしい緊張を伝えられたらと思います。
- 2016/09/27(火) 17:58:11 |
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- soujyu2 #-
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