ドイツ旅行の時にも、彼の地で懸命に自分の目標に向かって努力し、活躍している若者に出会いました。
私のブログで何度も触れた海外からの留学生の姿を重ねてみると、こういう若者には「ガンバレ!」という気持ちがより一層わいてきます。

写真は、様々な目的のために使われるはずですから、いろいろな撮り方をします。

この写真から感じられる人柄の人がどんな演奏をするのか、曲を奏でるのかを期待してもらえるとよいのですが。

先日、あるバ―でカウンタに並んで写真や動画についていろいろと話を聞かせてくれた若者がいました。若者と言っても私に比べてという事で、来日20年というマレーシア人の男性です。40歳前くらいなんでしょうか。
舞台などのプロモーション動画などを制作しているようで、スチール写真も撮るけれど、コンピューターグラフックスが主たる仕事のようです。

まだ実現していないものをあらかじめ表現して、その舞台にかかわるアクターやスタッフのイメージさえある方向に喚起することができる仕事で、それが首尾よく行った時には無類の達成感を感じるといっていました。
CDジャケットなどに使われる写真や絵もまた、まだ聞いていない音楽に対して期待を膨らませ、イメージを掻き立てるわけですから似たことが言えるなと思いました。

そういう視点から手元のレコードやCDのジャケットデザインを見るとなるほどすごいなあと感じます。
音楽喫茶などで、かけられているレコードのジャケットを立てかけている店がありますが、それは単なる曲目紹介以上の効果があるように思います。
こういうデザインを首尾よくできる人の才能はすごいなあと。
ですからそういうことに使ってもらえる写真になっているかどうか大いに心配です。

先ほど触れたマレーシア人男性との話のすぐ前に、別の場所でルーマニア出身の美術評論家と話しました。
彼は写真についても造詣が深く、今年行われた京都グラフィエに参加していた写真について極めて辛辣な評価をしていました。
私は同感するところが大いにありましたから、ずいぶん話が盛り上がりました。

こうして会った人にも、今度のこの京都ファインダー倶楽部の文人光画展のフライーヤーを差し上げてしまいました。
どんな評価をしてくれるのか、日本人とは違う歯に衣着せない批評を期待できると思います。

ファインドアイ・文人光画展は今日と明日でお終い。
これまでにマスコミ各社、著名な写真家たちも来場されてまるで特別な写真展のようです。私の個展とは雰囲気が違います。おそらく土日は三百数十人ずつくらいが来場されると思いますので総計ではやはり千数百人の来場になるのでしょうか。
著名な写真家の方に「とてもいいですね。」と評価される一方で、ある画家さんに「これでは作品の域には達していない。誰でも撮れるレベルのものですね。」とジェットコースターに乗った気分。
初日から自分の写真たちを見ていて何かしら「これでは何かまだ足りないなあ。」と思っていたところでしたので、その評価のいずれもがうれしいものでした。
久保田博二氏の写真展にも行き「写真は、ますます、何がいいのかわからないなあ。」と感じてきました。
簡単じゃないからこれからも楽しめそうです。
- 2016/09/03(土) 00:00:38|
- 音楽
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昨年死去した木之下晃という人の作品展を、以前見たことがあります。 サイモンラトルやムーティなど有名な指揮者の一瞬の表情をモノクロ写真で撮影した、味わい深い作品でした。 NHKで放送されたドキュメンタリー番組でも、その作品作りの過程を興味深く紹介されていました。
- 2016/09/03(土) 08:12:42 |
- URL |
- Hudson Terrace #ZeBYuJyY
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木之下晃さんの写真を見ると彼自身の感情も演奏者に投影されて映し出されているような感じですね。そういう意味では僕の場合演奏家に対する遠慮がまだまだ大きな壁になっていてエモーショナルなものになっていないように思います。
そこを、来場された画家は指摘していたのかもしれません。
別のある鑑賞者は「まじめな写真だ。」と言っていましたが、そうしたことの別の表現だったのだと思いました。
- 2016/09/05(月) 19:01:57 |
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- soujyu2 #-
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