実はこの日、グント冷え込んだんです。
風の通り道に立つと寒さは一層身にしみます。
林の中にも風の道と、木々の作る風のない場所があるんですね。

芸術系の学校で学んだ人たちは、卒業後その道で生活をしていくのが大変です。
芸術系の学校に行く目的が「芸術家になる」ということでなくていいのはもちろんです。ですが、絵を描き続ける、音楽の作曲や演奏をし続ける、芝居・ダンスをし続ける・・・・ということ自体が至難です。制作する場や道具・設備、発表の場を個人宅に持つこと自体が難しいからです。公共の施設としてそういうものを提供するような文化水準に日本はありませんから勢い「自力・自己責任」とならざるを得ないのです。
しかも企業に就職すれば「長時間残業・休日出勤」は当たり前なんですから。
文化を楽しむことを権利として保障しようという政府でも社会でもないからです。芸術もまた経済的・商業的な「財」としか見られていません。

制作や表現の自由ということと文化の創造と享受の物的・制度的基盤を公共的に整備することとを「ごっちゃ」にして「自由論」をいう人がいますが、私はそれは違うと思っています。
「国(政府・自治体)の援助を受けているのに国(政府・自治体)を批判するのはおかしい」などというのはその裏返しの議論ですが、この程度の議論をする政治家もよく見ます。
まあ、今度選出された議員諸君の多くもそんな程度なんでしょう。各党の文化政策と行動を見れば、ごく一部の党を除いて、そう言わざるを得ませんね。

今度、枯れ葉を何かに使うのだそうで、拾っています。

場所を写して池畔でのスケッチです。
背後にはバードウォッチの施設があります。
先日、下見に来た時は、長い球のレンズをつけた方に「どうです、何かいますか?」と声をかけられました。

私は植物も動物も全く知識が乏しいのですが、せめて高校程度の知識はしっかり身につけるべきだったなあと後悔しています。
学校で学ぶことは人生を楽しくするために、決して馬鹿にできません。
「学校で勉強することなど、どうせ実社会では役に立たない。」などとしたり顔でいう人を時に見ますが、その方はその程度の「実社会しかイメージできていないし、その程度の生活しか送れていない」人なのだなあと思います。

芸術教科を軽視しないで勉強していれば、こういう楽しみ方ができるのに・・・・。
教育委員会や学校自体がこういう人生の楽しみを子供から奪って平気なんですからひどいものです。
「芸術科や家庭科は受験に役に立たないからカリキュラムから削ろう」なんてことが学校の常識なんですからね。

芸術の先生に「話の分かる先生」が多く見られませんでしたか。

おお寒い!!
そろそろ移動しませんか?!
- 2014/12/18(木) 00:00:41|
- 絵画
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初めまして。
芸術大学を出た後も、自分の表現を続けることは、安易に口にしたくないほど壮絶だと思います。
私も、何故、何のために、こんなことをやっているのか自問自答しながら、卒業後も、数年間創作を続けました。
生きていくためには、就職しなきゃならない。
そんな風に才能のない自分を誤魔化して就職した時、喪失感に苛まれると同じくらいの大きさで、ああ、もう創らなくて良いんだと安堵したのを覚えています。
- 2014/12/18(木) 14:38:33 |
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- まめ #-
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初めまして、こんにちは。
「安易に口にしたくないほど壮絶」だというのは体験者だからこその表現でしょうね。
ギャラリーなどで若い作家さんやその卵、ひよ子さんたちにお会いすることが多いですが、30歳前後の壁を突破される方はたくさんはおられないように感じられます。
それは決してその方の頑張りの不足とだけとは言えない面があるように思いますが、しかし、現実には個人として突破口を作っていかねばならないのが現状です。
私はそうして苦闘している若者に目を向けたいと思っています。
大芸術家を目指さなくとも『鼻歌』のように描く絵や作るオブジェ、そういうものが生活の中から豊かに湧きあがる世の中になればなあと思います。
しかしその一方で、プロパーの作家として生きる人たちがいなければ国民的感性の成長は望めないでしょうから、大いに奮闘を期待したいところです。
まめ さんのブログの写真と文章にはこれまでも注目させてもらってきました(上からものを言っているようでごめんなさい。)
これからも楽しませて?ください。
- 2014/12/19(金) 09:13:12 |
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- soujyu2 #-
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